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昭和史のヒーローは何をフィルムに焼き付けたのか?写真集『写真家 白洲次郎の眼愛機ライカで切り取った1930年代』発売

白洲次郎が撮影し、未公開写真をまとめた写真集『写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代』が発売された。

1930年代、30代の白洲次郎が商用で欧米にたびたび長期滞在した際に愛機ライカで撮影され、その後、近縁者以外にはその存在を知られることなく、長く埋もれていた約400カットの未発表モノクロ写真。

白洲次郎が自らピントを合わせ、シャッターを切った風景や人物には、彼の美意識の結晶のようなものが垣間見え、記録写真を超えた一級の写真芸術がそこにはある。

パリ郊外・フォンテーヌブロー宮殿をバックに立つ白洲正子と吉田茂

『写真家 白洲次郎の眼』は、「MASAKO(正子)」「CRUISE(クルーズ)」「UNITED KINGDOM(ユナイテッド・キングダム)」など、テーマや被写体、撮影地ごとに厳選した写真を中心に、「もしも写真家・白洲次郎が現代にその写真集を出すとしたら」という編集コンセプトのもと、遺族、関係者の協力、監修のもと実現した企画だ。

後に彼を戦後処理に担ぎ出す吉田茂との交流、近代化の槌音響くサンフランシスコの喧噪、新婚旅行のような正子との豪華客船の旅、スイスでの優雅なスキーライフなど、30代の白洲次郎が心奮わせた風景や人物が鮮やかに蘇る。

白洲次郎愛用のライカと同時代の1932年製「ライカDⅡ」

愛用のライカや旅行鞄、服飾品の紹介、「白洲次郎の流離譚」(筆・青柳恵介氏)と題したエッセイも挿入し、白洲次郎、正子ファンのみならず、多くの昭和人の心を揺さぶる一冊だ。

パリ・リュクサンブール公園のベンチに座る白洲次郎(※白洲正子撮影と思われる)

白洲次郎(しらす・じろう)

1902年(明治35)、兵庫県芦屋に生まれる。旧制第一神戸中学卒業後、イギリス・ケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学。1928年、帰国。英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』記者を経て商社に勤務するが、1943年(昭和18)、日本の敗戦を見越して鶴川村(現・東京都町田市)に移住。農業に従事する日々を送る。1945年(昭和20)、吉田茂に請われ終戦連絡中央事務局参与となり、日本国憲法成立などに参画。その後、貿易庁長官に就任、通商産業省(現在の経済産業省)を誕生させる。以後、東北電力会長などを務め、1985年(昭和60)逝去。享年83。妻は白洲正子。

書籍情報

『写真家 白洲次郎の眼 愛機ライカで切り取った1930年代』
写真:白洲次郎
発行:小学館
定価:3520円(税込)
B5判・192ページ