特集

すべてはこの一言から始まった! ハービー・山口の運命を変えた奇跡の出会い

ハービー・山口 You are a peace of art.

CAPA』本誌連動企画としてスタートした、ハービー・山口さんの人気連載「You are a peace of art.」。写真をめぐるエピソードを綴った心温まるフォトエッセイです。

ハービー・山口 You are a peace of art. 第3回「Excuse me!」
「ギャラリーのシルエット」東京 2018

第3回「Excuse me!」

見知らぬ人に声をかけるのは とても勇気のいること。そのひと言、あなたも言ってみませんか?

ちょうど3年前のことである。2018年2月17日から始まった原宿のBOOKMARCでの個展『LAYERED』が中日を迎えた。私はできるだけお客さんに「こんにちは」「ありがとうございました」と声を掛けている。それがきっかけで思わぬ発展に繋がることがある。

このギャラリーは東京・原宿にあるので、海外からの旅行者も多い。外国からの男女十数名が入って来た。「Excuse me」と話しかけると、イギリスのマンチェスターにあるアートスクールの学生たちだった。偶然に通りかかって中を覗いたら面白そうな写真が見えたから入って来たそうだ。「そうなんですか、ギャラリーを覗いたら、すごくハンサムな日本人のフォトグラファーが見えたから入って来てくれたのかと思いましたよ!」という私の冗談に皆笑ってくれた。

私はかつて1973年から1980年代までロンドンに住んでいたので、彼らにとても親近感を持った。そこで私は当時の生活を披露した。彼らはこの日本の原宿で、母国の思わぬ話を日本人写真家から聞くこととなった。まずは定番の地下鉄で出会ったザ・クラッシュのジョー・ストラマーとの逸話。そしてボーイ・ジョージとのデビュー前の同居。結婚前のダイアナ・スペンサーを偶然撮影した話題と続いた。それは40年近く経った過去の話であったが、彼らは同じイギリス人として多いに共感を持ってくれたようだった。

私はさらに写真家としての経験からこう続けた。「自分の作品のスタイルがすぐに認められなくても、信念があるのなら辛抱強くそれを続けてみたらいいんだよ!」。すると彼らは「あなたの人生はなんてインタレスティングなの!!」と言い残して原宿のストリートの中に消えていった。

その次の日である。展示写真の中に都内の高校の校舎の中で撮影した一枚があった。それを見るために、先生に引率されて高校生たち十数名が学校帰りに来てくれた。写っている本人はとても嬉しそうだった。そこで私はたまたまそばにいたユニークなヘアスタイルの若い男性に声を掛けた。聞くと彼は美容師だった。それは好都合とばかりに、その男性にご自分の職業のことを高校生に話してもらった。

また偶然に、かつてお世話になった九州のFMラジオのパーソナリティーの方がいたので、ラジオで喋る人生について語ってもらった。突然始まったミニトークショーだった。彼ら2人の話の内容は、好きなことを仕事にしていることの素晴らしさについてだった。高校生たちは、初対面の大人たちがまるで同世代の少年少女のような生き生きとした表情で語りかけてくる様子を、興味深い授業を聴いているように真剣に見守っていた。

ハービー・山口 You are a peace of art. 第3回「Excuse me!」
「ギャラリー内のレイヤード」東京 2018

人との偶然の出会いが人生を大きく変えることだってあるんだ

写真展会場で、初対面のお客さんにも声を掛けるのにはある理由があった。

私が23歳でイギリスに渡ってから2年目、育った日本とは全く違う環境や文化に触れ、このイギリスで新たな人生を築きたいと思っていた。ところが観光ビザは6か月で切れ、所持金もわずかだった。そこでオーディションを受け、入団したのが当時ロンドンにあった日本人の劇団「RED BUDDA」だった。その劇団で私はにわか作りの素人役者として100回の舞台を踏ませていただいた。それは私にとって、かけがえのない貴重な経験となった。やがて私は写真に専念するため、100回の出演を機に退団を決意した。しかし退団すればビザの延長の理由を失い、わずかばかりの給料もなくなってしまう。そう思うと一つの賭けであった。

1975年のある日、退団してなんの所属もなくなった私は何度か訪れた写真専門のギャラリー「フォトグラファーズ・ギャラリー」を訪れた。そこは国内外の有名な写真家の写真展が常時開催されていて、写真を志す者にとっては貴重な場所だった。誰の写真展だったかは覚えていない。そのギャラリーの一角で、私は2人連れの同世代であろう男性に声を掛けた。話のきっかけは、その中の1人が日本製のカメラを胸に提げていたことだった。

「Excuse me」。私のたどたどしい英語にもかかわらず、彼らは親しみを込めて笑顔を返してくれた。日本のカメラを持っていた彼はクリストファー、もう1人はエイドリアンという24〜25歳のイギリス人だった。クリスは日本に行ったことがあると言い、片言の日本語を話した。1975年のことであるから、日本を知っているイギリス人は現在に比べたら100分の1ほどの割合ではないだろうか。日本では寿司といって生の魚を食べるという習慣はイギリス人には全くない時代だった。彼らは意気投合した私に、「いつか遊びにおいで」と彼らの住所を書いたメモを私にくれた。

数日後、そのメモを頼りに彼らを訪ねると、そこはロンドンブリッジにある4階建ての倉庫で、若い写真家が10名ほど所属する写真家グループの基地だった。建物は古く、床は歩くたびにギシギシと音を立てたが、地下には大きな暗室、上階にはミーティングルームや個人の部屋があった。印画紙やフィルム代、家賃はスポンサーが負担していて、2年後に控えた大きな写真展を準備中だという、ここはまさに若き写真家の天国だった。

実はこの時の訪問がきっかけで、後に私は自分のプリントを彼らに見せる機会を得た。その結果、なんと私は唯一の日本人としてこのグループの一員として迎え入れられ、この倉庫に彼らと住むことになった。彼らのお陰でビザの延長が果たせ、仲間を得て、写真展「QUALITY OF LIFE」に参加し、思う存分に写真家として活動ができたのである。さらにこの倉庫に遊びに来ていたマグナム所属の写真家、ジョセフ・クーデルカが私の部屋に泊まっていくなど、1人では決してあり得ない環境を与えられたのだった。

新しい出会いは、自分の人生と誰かの人生を重ねるレイヤード

「Excuse me」から始まったギャラリーでの新たな人との繋がりが、私の人生を大きく変えた。もしこの出会いがなかったら、ビザや経済的な理由、そして遠い異国での孤独感に耐えきれず、私は意思半ばで日本に帰国していただろうと想像するのだ。

新しい者同士が出会うために。それはファッションではなく、自分の人生と誰かの人生を重ねる、未来につながる人生のレイヤードにほかならないのだ。

 

ハービー・山口さんからのメッセージ
3月14日までスーパーラボストアトーキョーで、3月27日までMYDギャラリーで写真展を開催中です。ここでもご来場の方々との新たな交流が生まれています。写真展は音楽でいえばライブのようなものですから、こうした交流ができれば写真展が2倍楽しくなりますね。早くコロナ禍が収まってほしいと願うばかりです。

■ハービー・山口 & ギュンター・ツォーン 2人展「HOPE・PEACE 2020」
2021年1月22日 (金) 〜3月27日 (土) 18:30〜20:00
MYD Gallery (東京都港区南麻布2-8-17 鳥海ビル1F)
会期中無休
TEL 03-5410-1277 (クレー・インク)
要予約 https://www.mydgallery.jp/contact

■ハービー・山口写真展「The Blitz Kids」
2021年1月23日 (土) 〜3月14日 (日) 12:00〜18:00
スーパーラボ ストア トーキョー (東京都千代田区神田猿楽町1-4-11)
月曜・火曜休廊
TEL 03ー6882ー4874
詳細 https://getnavi.jp/capa/pickup/210123herbie/