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1台のカメラとの出会いが名作を生んだ。同潤会代官山アパートを撮影した『代官山17番地』誕生秘話

ハービー・山口 You are a peace of art.

CAPA』本誌連動企画としてスタートした、ハービー・山口さんの人気連載「You are a peace of art.」。写真をめぐるエピソードを綴った心温まるフォトエッセイです。

「TOMORROW」東京 1996 (『代官山17番地』より)
「TOMORROW」東京 1996 (『代官山17番地』より) © Herbie Yamaguchi

第7回「This is the Camera.」

あの日のカメラが私の人生を救ってくれた

使うカメラによって撮影時の気分が変わるというのはよくあることだ。その反面、どんなカメラを使おうが、写真の内容が一番大切なのだから、カメラの種類は気にしないという人もいる。どちらも正しいのだろう。しかし、カメラ愛というか、カメラへの思い入れが自分にはあるのをかつてから感じていて、しっくりいくカメラを使うことが良い写真への近道と思っている。

振り返ると、私の作品の中でこのカメラを使ったことで助けられたという事例がいくつかある。その一つが『代官山17番地』という作品だ。主に1996年から1998年の2年間の撮影だった。

現在は面影がほとんど残っていないが、代官山駅のほぼ隣に位置する、住所でいえば渋谷区代官山町17番地。この辺りに同潤会代官山アパートという、1996年の時点でおよそ築70年という古い集合住宅が存在していた。この佇まいが素晴らしい空気感を漂わせていて、再開発のため、惜しまれつつ解体されるまでの2年間を記録したものだ。

建物の持つ独特の風合いはもちろん、ここに住む人々、近所の人々、八百屋さん、美容室やブティックに来たお客さん、また偶然に敷地を発見し散策する人々が被写体だった。

同潤会代官山アパートとの出会い

私がこの建物と初めて出会ったのは1985年から1986年頃で、ロケ中にふと木々の中に迷い込み偶然発見したのだった。

代官山駅の背後を見れば、この建物の全景は見えていたのだが、八幡通りからだと沿道の建物や店に隠されていたため、木々に囲まれた小径を入って行かなければこの建物群の存在に気づくかないのだ。まるでトトロの森の中のような、ひっそりと季節の移ろいとともに息づく洒落た集合住宅だった。この敷地を偶然発見したときの高揚感を今でも憶えている。

以来、ここを訪れることはなかったが、10年が経ち、知り合いの美容室「boy」がこの敷地内に支店「boy bis」を開いたことで、この建物に再会し感動を新たにした。そして美容室で髪を切ってもらうために何度か訪れる中で、ここが再開発のために数年後に取り壊されると知り、被写体として最後の数年を撮りたいと強く思うようになった。

カメラは普段使っているライカ、または建築物だから少し大きめのフォーマットが向いているのかと思い、当時、雑誌の仕事でポートレートを撮るときに多用したマミヤ645を使ってみたが、何かしっくり来なかった。

そこで思いついたのが、ローライフレックスだった。6×6判のフォーマット、そしてこのカメラの持つクラシックな雰囲気が、この建物に似合うのではないかと想像した。本格的な撮影は中古のローライフレックスを買うことで始まったのだった。

『代官山17番地』より
『代官山17番地』より © Herbie Yamaguchi

ローライフレックスとの出会いが名作を生み出した

手に入れた「ローライフレックス F2.8」は手入れが行き届いていて撮影意欲を掻き立ててくれた。被写体が建物であるから広角レンズを使いたいとも思ったが、標準レンズ1本ですべてを撮ることが一つの挑戦だった。

明るいファインダースクリーンに交換し撮影を始めると、そこに映る建物や樹木、影、日向、人々の滑らかな肌色は、まるで絵画の中の出来事を思わせる滑らかさと輝きを放っていて感動した。チッという控えめなシャッター音。両手に包み込むようにしてホールドする仕草。すべてがこの被写体に適していた。

モノクロフィルムを詰め、フィルム現像もプリントもすべて自宅の暗室で行った。印画紙に現れた画像は中判カメラが醸し出す、しっとりとした空気感と、しっかりと芯を掴んだ質感描写と、同時にスナップショットが持つ被写体の軽快な動きが一体化して、とても心地良かった。

このカメラとの出会いが『代官山17番地』を生み出した大きな底力になっていたことは明らかだった。こうしたカメラと撮影者と被写体との組み合わせが、少しでもシャッターを切る勇気やエネルギーや作品の完成度につながるのなら、カメラの選択は重要だ。

東京丸の内の富士フイルムイメージングプラザのオープンに際し、「富士フイルム X-Pro2」で撮影した1枚を展示させていただいたとき、以下のようなコメントを寄稿した。

私にとって富士フイルムのカメラというと「フジペット」を思い出す。1957年に写真ファン層を拡げようと「初心者や女性も気軽に写真撮影を楽しめる」というコンセプトで発売されたカメラだ。熱心な写真愛好家であった私の父は、当時7歳だった私と2歳年上の兄に写真の楽しさを伝えようと、この「フジペット」を買ってくれた。当時の値段は1950円であった。

私は兄との共有カメラである「フジペット」を夢中で構え、ファインダーを覗いた。そこには仲良く寄り添う40代だった両親が、東京大田区の自宅の庭で、秋の日差しを浴びてにこやかに笑っている姿があった。今思えば、それが私の写真家活動の始まりであった。

富士フイルムの名前は当時のネオパンのフィルムや、中学や高校の写真部の暗室にあった引き伸ばし機「フジB」など、写真家を目指す私の身近に存在していた。あれから61年が経った今、私の手元にはX-Pro2がある。

私の近著『良い写真とは?』の中に、次のような一文がある。「カメラにはISO感度の設定ダイヤルが付いています。もし撮影者の年齢設定ダイヤルが付いていたとしたら、あなたは何歳に設定しますか? 私は常に20歳に設定していて、いつでも20歳の時の瑞々しさで写真が撮れるのです」。

だがXシリーズを使うときは少々違う。あのフジペットを手に入れた7歳だった自分に戻れるのだ。このカメラのファインダーの向こうには、私が写真家になったことを知らない天国の父と、いくつかの写真展や写真集を見届けてくれた天国の母が、いつもうれしそうに笑っていて、「人の心を平和にする、優しい写真を撮ってね」と語りかけてくるのだった。

これまでを振り返ると、いくつかのカメラとの出会いによって、確かに私の人生は救われてきた。そしてカメラと被写体と写真家が一体化したとき、会心の作品が生まれる土壌となるのではないだろうか。そんなことをふと思うのだった。

 

ハービー・山口さんのオンライントークイベント開催
ライカそごう横浜店で2021年9月30日まで開催中の写真展「DJたちのポートレイト展 〜FMヨコハマの番組を彩る12人の素顔〜」関連イベントとして、7月31日にオンライントークイベントが開催されます。

■ライカオンライントークイベント「ハービー・山口 モノクロポートレートを語る 〜ライカM10モノクロームとDJたちのポートレイト〜」
2021年7月31日 (土) 12:30~13:30
出演 : ハービー・山口、小山薫堂 (放送作家・脚本家)
MC : 柳井麻希
URL : https://youtu.be/mcQ05UMbRZg