機材レポート

【ニコン歴代カメラ】ニコンS3 –大型プリズムの採用で35ミリが追加

1917年から2017年に至るニコン100年の歴史はカメラだけでは語れない。双眼鏡、顕微鏡、レンズ、測定・検査機器、測量機、半導体露光装置(ステッパー)、その他さまざまな光学製品やその応用技術から成り立っている。また、それは技術者のたゆまぬ研究・開発努力によって構築されてきたことは言うまでもない。ここでは、その長い道のりの第一歩から順を追って見ていく。

 

SPのファインダーを簡略化しつつも大型プリズムの採用で35ミリが追加された(since1958)

 

ニコンSPは当時のレンジファインダーカメラの技術を極めたもので、正にSシリーズの最高峰であったのだが、高価になりすぎて一般のアマチュアカメラマンが簡単に手を出せないレベルのものになってしまった。そこである程度機能を省き、価格を下げて手に入りやすい実用機としたものが、ニコンS3である。

主としてコストダウンの対象となったのは、ファインダーである。SPの採光式ブライトフレームファインダーをアルバダ式のものに変更し、フレームの切り換え機構を省略した。広角レンズ用の実像式ファインダーも省略し、ファインダー視野に35ミリ、 50ミリ、105ミリの3つのフレームが常時浮かんでいるものに変更したのだ。パララックスの自動補正もない。

ファインダーはここまで簡略化したのだが、他の機構はSPのものをほぼ踏襲している。レバー巻き上げ、クランク巻き戻し、外付け露出計が連動する一軸不回転のシャッターダイヤル、内蔵セルフタイマーと使用する上で便利な機能はそのまま引き継ぎ、さらにモータードライブの使用も可能にしている。使い勝手や外観からはSPの簡略版というより、むしろS2のDNAを継承した実用機なのだが、 S2ほどの数量は出なかった。S3が誕生した1958年には、一眼レフの時代がもうすぐそこまで来ていたのである。

 

ニコンS3の特徴

当時の技術の粋を尽くし、最高の性能を追求したニコンSPと異なり、S3は実用機としての性格が強い。操作の利便性に直接影響するレバー巻き上げやクランク巻き戻し、一軸不回転のシャッターダイヤルなどについては、この機種でSシリーズの基本が完成したと言ってもよいだろう。

 

軍艦部の機能はSP同様、フレーム切り替えは省略

巻き上げレバー、シャッターダイヤル、フィルムカウンターなど、軍艦部の巻き上げ側の各部品は、 SPから変わっていない。

 

巻き戻しクランクや接点付きアクセサリーシューも変わっていないが、ファインダーフレーム切り換えダイヤルがなくなっている。

 

前板部と軍艦部はデザインを変更

ニコンS2では前板に設けられた距離計窓の段付き部が円弧状になっていたが、SP以後は斜めの直線状になっている。軍艦部もSP以後はシュー部分が高くなっている。

 

ニコンロゴのデザインの変化

S2までは”N”が曲線になっている「ぐにゃり文字」になっているが、SP以後はストレートな字体になった。

 

S2までのロゴ形状

 

SP、S3以降のロゴ形状

 

3種のフレームが常時表示されているブライトフレームファインダー

ニコンSPの採光式ブライトフレームファインダーは、アルバダ式のものに変更され、複雑なフレーム切り換え機構とパララックス自動補正機構も省略された。

 


35ミリ、50ミリ、105ミリの3種のレンズ用のフレームが接眼レンズに設けられており、これが視野内に常時浮かんで見える。

 

未対応の画角は外付けファインダーでカバー

焦点距離21ミリの広い視野に対応する外付けファインダー。逆ガリレオタイプの対物レンズを4枚構成としている。軽量化のためか本体に当時としては珍しくプラスチックを使っている。

 

 

ニコンS2の一部からS3までに対応

ニコンSシリーズのモータードライブ

ニコンSシリーズのアクセサリーの中で、最も特徴的なのはモータードライブであろう。開発はニコンS2の時代に始まり、ごく少数のモータードライブ対応機がS2Eとして世に出された。そして次のSPから標準の機能としてモータードライブ用のカップリングが組み込まれるようになった。これは一眼レフのニコンFに引き継がれ、報道写真やスポーツ写真などで活躍するようになった。

 

モータードライブ S36

Sシリーズのニコンの交換裏蓋の形で装着して電動の巻き上げ機能を実現する。電池ケースは別でケーブルで接続して使用。電池ケースは単3用と単2用があった。

 

モータードライブ S250

長尺のフィルムを専用マガジンに装填して250枚の撮影ができる。後に一眼レフ用としてこのような長尺のモータードライブを用意するのが一般的となったが、実はSシリーズの時代から存在していたのだ。ただ生産数量は非常に少なかったようで、試作のみに終わったとの説もある。