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カメラブランドの由来、知ってる? αシリーズの産みの親「ミノルタ」の語源は「稔る田」だった!?

ソニーのフルサイズミラーレスカメラα7シリーズが好調だが、この「α」というブランドは、「ミノルタ」(現在のコニカミノルタ) が生み出したオートフォーカス一眼レフカメラ「α-7000」にルーツがある。「αシリーズ」を大切に育ててきた、ミノルタというブランドの成り立ちを見てみよう。

ミノルタの由来

カメラブランドの由来

  1. オリンパスの由来
  2. キヤノンの由来
  3. ニコンの由来
  4. ペンタックスの由来
  5. ミノルタの由来

「αショック」という言葉も生み出した初代「α」の誕生

「αシリーズ」最初のモデル「α-7000」が誕生したのは1985年のこと。キヤノン、ニコン、ペンタックス、オリンパスとともに、一眼レフカメラ市場をリードしていたミノルタが、世界初の本格的なオートフォーカスシステムを持つ一眼レフカメラとして「α-7000」を作り上げた。「α-7000」は発売とともに大ヒット製品となり、その革新的な機構とともにカメラ業界に与えた影響は大きく、「αショック」という言葉も生まれたほど。この「α-7000」の登場がきっかけとなり、一眼レフカメラのオートフォーカス化、電子マウント化が加速されることになった。

α-7000
ミノルタ α-7000

カメラ名といえば、英文字と数字の組み合わせが一般的だが、革新的な機構・機能を持つ新型カメラシリーズに対して、ミノルタはギリシャ文字の最初の文字「α (アルファ)」を贈った。「α」の由来について記した正式な資料は見当たらないが、「α」という機種名は新時代の先駆けとなる一眼レフカメラに相応しいものと考えられたのだろう。

田んぼに稲が実る様子がカメラのブランド名に!?

「α-7000」を生み出したミノルタは、1928年に現在の兵庫県西宮市武庫川で創業した「日独写真機商店」から始まる。貿易商に勤めていた創業者の田嶋一雄 (1899〜1985) は、2名のドイツ人の協力を得て、カメラの開発・製造を行う会社を立ち上げた。1929年には初の製品「ニフカレッテ」を発売。カメラ名の「ニフカ」は、社名の最初の文字の「ニ」、フォトグラフの「フ」、カメラの「カ」から付けられた。1931年には社名を「モルタ合資会社」に変更する。ドイツ語の「Mechanismus Optik und Linsen von Tashima」(光学とレンズの田嶋製作所) の略称が「MOLTA (モルタ)」。「ミノルタ」に語感が似ているのが面白い。

1933年には、ブローニーフィルムを使う「ミノルタ」「セミミノルタ」の2機種が発売される。製品名の「ミノルタ (MINOLTA)」は「Machinery and Instruments Optical by Tashima」の略で、以後のカメラ製品に広く「ミノルタ」の名前が使われるようになった。また、「ミノルタ」の名前には「稔る田 (みのるた)」の意味もあると伝わっている。これは、工場のある武庫川の周辺には田んぼが多く、秋の実りの時期に金色に染まる情景を読み込んだとも、創業者の母親が「稔るほど頭を垂れる稲穂のように、常に謙虚でありなさい」と言っていたことに由来するとも言われている。

なお、ミノルタの古いレンズ名に「ロッコール」がある。これは、武庫川工場の北にそびえる六甲山から付けたもの。世界で初めてマルチコートを施したレンズとして高い評価を得るレンズが多く、オールドレンズ愛好家に珍重されている。

MC ROKKOR-PF 58mm F1.4
光を反射させると緑色に見えるミノルタ独自のコーティングにより「緑のロッコール」と呼ばれた「MC ROKKOR-PF 58mm F1.4」(撮影・所蔵:中村文夫)

主力機に「7」を付けるのはNASAとの幸運な出会いから

日中戦争が始まり、戦時体制に入る1937年、会社名を「千代田光学精工株式会社」に変更。社名に「ミノルタ」が使われるようになるのは、ズーッと後の1962年で、「ミノルタカメラ株式会社」へ改称する。さらに、1994年には「ミノルタ株式会社」に改められた。

ミノルタでは機種名に「7」が付くものが多い。αシリーズの「α-7000 (1985年)」「α-7700i (1988年)」「α-7xi (1991年)」「α-707si (1993年)」「α-7 (2000年)」、マニュアルフォーカス機の「X-7 (1980年)」「X-700 (1981年)」「X-70 (1982年)」などがある。この「7」が多用されるきっかけは、1962年の出来事が関係している。

α-7
ミノルタ α-7

この年、NASAが打ち上げた有人宇宙船マーキュリー・アトラス6号 (コールサインは「Friendship 7」) のジョン・グレン宇宙飛行士が「アンスコオートセット」というカメラを持ち込んだ。これはアンスコ社へOEM供給された「ミノルタ ハイマチック (1961年)」という35mmフィルムカメラで、このカメラが宇宙空間でも有効に機能したことで注目された。この「フレンドシップ7」の「7」にあやかろうと、ミノルタは1962年発売の35mm一眼レフ機に「SR-7」、1963年のハイマチックの後継機に「ハイマチック7」の名を付け、以降も「7」がたびたび使われるようになった。

ミノルタハイマチック7
ミノルタ ハイマチック7 (出典 : ケンコー・トキナー「ミノルタの歩み」)

やはり「7」はラッキーナンバーなのだろう。2003年にミノルタはコニカと経営統合して「コニカミノルタホールディングス株式会社」(現在はコニカミノルタ株式会社) になるが、カメラ事業の継続を断念。2006年にαシリーズの開発・製造は「ソニー株式会社」に引き継がれることになった。一度は消えかけた「α」の命が、ソニーで新たな息を吹き込まれ、現在のミラーレスカメラ「α7シリーズ」という大輪の花を咲かせているのだ。

α7 IV
2021年12月17日発売の「ソニー α7 IV

 

 

参考文献 :『カメラレビュー クラシックカメラ専科No.12 ミノルタカメラのすべて』(朝日ソノラマ 1988)