グルメ
2018/4/13 17:00

熊本の魂、「黒糖ドーナツ棒」は不滅です! 70周年を迎え震災復興とともに歩むフジバンビ

黒糖ドーナツ棒の誕生秘話

昭和45年に発生した火災により、フジバンビの熊本工場は3分の2が全焼。その2年後に起きたカネミ油症事件の風評被害により、売上は激減し、会社は存続の危機に陥ります。そんな矢先、吉田社長はスキーで靭帯を断裂し、入院生活を余儀なくされます。当時社長だった藤原会長から与えられたのは「世の中にないお菓子を考えて戻ってこい!」という無理難題。

 

悩み続けるなか閃いたのが、ありがちな「丸」ではない、棒状のドーナツでした。吉田社長は松葉づえをつきながら病院を抜け出し、そのまま工場に籠り、トライ&エラーを繰り返しながら開発に没頭します。こうして出来上がったのが、世の中にないお菓子「黒糖ドーナツ棒」でした。

 

愛されるお菓子を作り続けて70年

「黒糖ドーナツ棒」の大ヒットにより、熊本を代表する企業へと成長したフジバンビ。今年で創業70周年を迎え、3月19日にはホテル日航熊本で盛大な記念祝賀会が開かれました。会に先立って行われた記念講演会では、德川宗家19代目にあたる德川家広氏(公益財団法人德川記念財団理事)が壇上に上がり、「日本の食文化と德川家の歴史について」をテーマに講演。関ケ原の合戦前後の戦国武将たちの思惑を独特の視点で考察しながら、德川家康が築いた江戸文化を「過去にこだわらない、せっかちな人たちの文化」と論じます。そこから生まれた食文化が、当時のファストフードであった蕎麦、寿司、天ぷら。

 

さらには、江戸時代に国産化が進んだ「砂糖」がもたらした“心の平和”についても、興味深い話題を展開します。誰もが心穏やかに過ごせる世の中こそ江戸の概念であり、当時は貴重であった甘いものを普及させることで幕府は平和を願ったと言います。つまり、甘いお菓子は心の平和を生むということ――。フジバンビが取り組んできた70年間の功績を、そう称える講演でした。

 

↑「日本の食文化と德川家の歴史について」をテーマに講演する公益財団法人德川記念財団理事の德川家広氏

 

続く記念祝賀会には、約600名が列席。熊本県副知事や熊本市市長をはじめ、地元企業の社長など政財界からも数多くの方々がお祝いに駆けつけました。2009年からスポンサー契約をしているINAC神戸レオネッサの選手・監督・コーチからのメッセージ、黒糖の故郷である沖縄と熊本を繋ぐ音楽コンサート「琉球の風」に出演するネーネーズのライブも行われ、祝賀会に華を添えました。

 

↑フジバンビがスポンサー契約をしているINAC神戸レオネッサからビデオメッセージが

 

↑ネーネーズの唄声が華を添えます

 

来賓の祝辞で登壇された方々の言葉で印象的だったのは、フジバンビがお菓子を通じて地域を支えてきたこと、そして震災復興のために尽力してきたことへの賛辞。熊本県民の心の拠りどころである熊本城の現状を見たら分かるように、復興にはまだまだ時間がかかります。祝賀会の中で、吉田社長は今後も継続して復興支援をしていくことを表明しました。

 

「平成28年4月に熊本と大分を襲った大地震は、多くの悲しみを生みました。震災以降、わたくしどもは地域貢献の気持ちを改めて強く心に刻むことになります。震災復興のための微力ながらの支援、次世代を担う子供たちのサポートなど、社会奉仕の心を持って活動していくことで、皆さまから愛される企業であり続けたいと願っております。また、昨年からは海外での商品展開も始まりました。国内自社店舗に関してましては東京進出を目標に、熊本を代表する商品のひとつとして『黒糖ドーナッツ棒』のファン拡大に努めて参ります」(吉田社長)

 

↑今後も震災復興とともに歩んで行くことを表明する吉田社長

 

↑フジバンビ代表取締役会長の藤原守雄氏。「お菓子作りしか知らない人間が会社をはじめて、気が付いたら70年も経っていました。本当に有り難いことです。これからもお客様第一主義を貫き、従業員を大事に、地域のみなさまに愛される会社でありたいと思っています」と語っていただきました

 

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