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2020/1/22 19:05

京都の石庭鑑賞は今が旬!? 日本人が知っておくべき名「枯山水」11選

いま、京都を訪れる日本人観光客が減りつつあることをご存知でしょうか? 正確には、京都市内の主要ホテルに宿泊した日本人が、2018年12月まで21ヶ月連続で前年割れを記録した、という京都市観光協会などのデータに裏付けられたものです。「京都は外国人観光客が押し寄せていて、いつ行っても大混雑」というイメージから、敬遠されつつあるというのです。

 

実際、祇園や清水寺、伏見稲荷大社などは海外からの観光客で芋洗い状態だし、多くの人は、これらのスポットには修学旅行などですでに訪れたことがあるかもしれません。でも、そんな私たちもまだ訪れていないであろう、隠れた名所があります。

 

“京都らしい”、静謐で厳かで心鎮まる場所。そんないまこそ訪れたい所とは、知る人ぞ知る京都のお寺にある「枯山水」です。今回は6つのお寺にある11の庭を巡りながら、その小さな世界をのぞいてみましょう。

 

「枯山水」って何? 「石庭」との違いは?

実際の庭を見る前に、「枯山水」とは何かを確認しておきましょう。日本式庭園のうち、水を用いず石や砂で山水の風景を表現する様式のことを指します。飛鳥・奈良時代から作庭されてきたものが、室町時代に中国(宋・明)から渡ってきた山水画の影響で、禅宗寺院で抽象的に発展しました。京都では龍安寺の石庭があまりに有名です。

 

ちなみに、「石庭」とはどう違うのでしょうか? 答えは、石庭は枯山水の一ジャンル。水を使わない「枯山水」のうち、草木をほとんど使わず、石・砂(・苔)だけで表現した庭が「石庭」と呼ばれています。

 

また、もうひとつここで押さえておきたい言葉があります。それが、石組です。

 

「石組」って何?

枯山水とは“見立て”の世界です。砂や石や石組(いわぐみ)によって、自然景観を抽象的に表現しています。石組は、石を複数組み合わせることで何かを表現すること。その石組でよく表現されるのが、「三尊」「須弥山」「蓬莱山」です。

・「三尊」(さんぞん)
「三尊石」「三尊石組」。真ん中に置いた大きめの石をメインに、その脇に小さめの石を添える石組。後述の臨川寺のように、大きな石を弥勒菩薩と見立て、その左右に文殊菩薩と普賢菩薩と見立てた小さめの石を配したもののほか、阿弥陀三尊、釈迦三尊など複数のパターンがあります。

・「須弥山」(しゅみせん)」
仏教において世界の中心にそびえ立ち、仏が住むとされている須弥山。これを表すように、大きな立石で須弥山を、その周辺に低い石を並べた石組です。

・「蓬莱山」(ほうらいさん)
道教の蓬莱神仙思想に基づく石組。これは不老不死を願う思想で、不老不死の仙人が住む蓬莱山が理想郷とされています。こちらは石や築山で蓬莱山を表し、その周辺に長寿の象徴である鶴や亀を表現した石や石組を組み合わせる例が一般的。

 

これらを踏まえて、さっそく枯山水の世界を訪れてみましょう。

 

1.室町時代と現代をつなぐ“4坪の小宇宙”

龍源院(りょうげんいん)は、大徳寺の中で特に古い塔頭寺院(たっちゅうじいん・敷地内の小院のこと)のひとつ。1502年に能登の畠山義元、周防の大内義興、豊後の大友義親の三氏で創建され、創建当初のまま残る方丈(本堂)・唐門・表門は、重要文化財に指定されています。創建当時から補修をしながら伝わる方丈の床など、外観だけでなく内側からも、その長い歴史を随所に垣間見ることができます。この龍源院には、4つの枯山水があります。

 

・「一枝坦」

まず、方丈の前庭は「一枝坦(いっしだん)」と名付けられた、蓬莱山形式の石庭。

庭の奥にある、一番大きな石が蓬莱山を表しています。絶壁のようで、人間を寄せつけない厳しさを感じさせます。そして左右にあるふたつの石組で、長生きの象徴である鶴(写真右)と亀(写真左)を表現しています。

 

↑鶴は、大小2つの石で“鶴首”と“羽”を表現。鶴首石をどちらに見立てるかで、羽ばたいているように見えたり、羽をたたんで休んでいるように見えたり。動と静を、たった二つの石で表現している

 

↑一方の亀。通常、亀石は一目で亀だとわかるそうだが、言われなければわからないほど抽象的。禅寺らしくまさに“禅問答”を感じさせる

 

・「龍吟庭」

室町時代中期に、銀閣寺庭園も作庭した相阿弥によって作られたのが「龍吟庭」。京都で室町時代の庭園が現在まで残っているのは、大仙院とここ龍源院だけとか。建物と庭園がそろって残っているという点で、こちらはとても貴重です。

果てしない大海原を表した杉苔の上に三尊石が建つ、須弥山式枯山水の名庭です。中央に高くそびえる石が須弥山で、その両側に連なるように石を並べることで、須弥山の突出した高さを際立たせています。

 

↑ほぼ横一直線に石が並んでいるため、鑑賞する位置を変えるとまったく違った光景に出会える

 

・「滹沱底」

壁際に細長く作られた、庫裏にある石庭は「滹沱底(こだてい)」。

左右に出っ張りのある石と、穴の開いた石が配置されていることから、別名「阿・吽(あうん)の石庭」とも。阿吽とは、吸う息・吐く息を示し、天と地、陰と陽、男と女、電極の+と―と、どれひとつも切り離すことができない、宇宙の真理を表しているのだそう。

 

東西に置かれた2つの石は、秀吉が建てた「聚楽第」で使われていた基礎石とされている。
↑東西に置かれた2つの石は、秀吉が建てた「聚楽第」で使われていた基礎石とされている

 

間口は広い反面、奥行がないため、檜や椿など木は土塀寄りに植え、石は砂に埋め込むようにすることで、圧迫感をなくすよう工夫している。
↑間口は広い反面、奥行がないため、檜や椿など木は土塀寄りに植え、石は砂に埋め込むようにすることで、圧迫感をなくすよう工夫している

 

・「東滴壷」

4つめが、わずか4坪と日本最小の壷庭「東滴壷(とうてきこ)」。一滴の波紋から、大海原の広がりをイメージさせるものです。

壺庭は、京都特有の夏の暑さをしのぐための重要な空間。ただしここは、方丈と庫裡の屋根が接近して日差しが遮られるため植物が育たず、昭和35年に石庭として作りなおされたそう。

 

↑三石のうち背の高い石は、逆サイドの二石につながるような向きに置かれ、まっすぐ引かれた砂紋とともに流れを生み出している

 

↑平たい板石が置かれその周りに丸く砂紋が引かれている様子は、一滴の水が滴り落ちる姿を表している

 

室町時代に作庭された庭と現代に作られた庭を、室町時代に建てられた方丈から眺める……時代の連なりを感じながら、贅沢でおだやかな時間を過ごせそうです。

 

【Information】
龍源院
京都市北区紫野大徳寺町82-1
075-491-7635

 

2.キリシタン大名にちなんだ十字架の枯山水

同じく大徳寺の塔頭寺院である瑞峯院。ここは1535年に、キリシタン大名として知られる大友宗麟が大友家の菩提寺として建立したお寺です。方丈、唐門、表門ともに建立当時からのものが残っており、重要文化財に指定されています。

↑室町時代から屋根は檜皮葺で軽量のため、柱は細くなっている

 

ここには、ふたつの枯山水が存在します。その「独坐庭」「閑眠庭」ともに、昭和を代表する作庭家・重森三玲氏が、開祖400年遠忌を記念して昭和36年に作庭したもの。

 

方丈の前に広がる「独坐庭」は、「独坐大雄峰」をテーマとした蓬莱山式庭園。室町時代の構成手法を用い、伝統的な枯山水の様式を踏襲しながら、現代らしいデザインも盛り込んだといいます。

右奥から蓬莱山の山岳が連なるように石を並べ、半島を模してひとつの長い石に見せる手法をとっています。

 

もっとも大きな石は、厚さ5cm程度。横から見ると線のようだ。
↑もっとも大きな石は、厚さ5cm程度。横から見ると線のように薄い

 

↑通常非公開の「檀那の間」から独坐庭を切り取る(※特別な許可を得て撮影しています)

 

方丈の裏手にある「閑眠庭」

キリシタン大名だった大友宗麟にちなみ、縦に4個・横3個の石を配して十字を作っているのが、日本庭園としては新鮮に感じられます。「十字架の庭」とも呼ばれています。

 

↑手前に大きな石、奥に背の低い石を置き、遠近感を出した。また、石を建物に対して斜めに交差するように配置することで、室町時代の手法も取り入れている

 

室町時代の手法を生かしながら、現代的な洗練さも感じさせる印象深い庭でした。

 

【Information】
瑞峯院
京都市北区紫野大徳寺山内
075-491-1454

 

【豆知識】石畳にも庭と同じくこだわりがある!

ここで、作庭にも通じる手法として豆知識をひとつ。レンガやタイルなどは、目地が揃うように並べられるところ、京都の社寺の石畳は、大小も位置もバラバラに並べられていると思ったことはありませんか?

 

実はこれ、綿密に計算されているのだとか。“乱張り”“氷文字(ひょうもんじ)”と呼ばれ、あえて目地がずれるようにT字に組むのだそう。これによって耐久性が格段に上がるのだといいます。お寺を訪れたら、ぜひ足元も見てみて。

↑十字ではなく、T字になるように石を組み合わせていく方法

 

続いてのページでは、日本人の宗教観にも触れるような、緑あふれる枯山水を訪ねます。

 

この記事で見られる「枯山水」ギャラリー

3.絵画の原案として画家に作られた枯山水

臨済宗大本山妙心寺の塔頭寺院、退蔵院は、1404年に建立された、同寺塔頭寺院のなかでも古刹です。応仁の乱では妙心寺とともに炎上しましたが、1597年に亀年禅師によって再建され、今に至ります。応仁の乱ののちに建てられた方丈は、江戸時代には剣豪・宮本武蔵が禅と剣の道に精神的な共通点を見出し、ここで修行に励んだとされています。

↑国宝「瓢鮎図」を所蔵している(※写真は複製。※特別な許可を得て撮影しています)

 

広大な敷地には枯山水のほかに池泉回遊式庭園や茶席も設けられています。

↑池泉回遊式庭園の中心にある池は、瓢鮎図を所蔵する寺らしく「ひょうたん池」と名付けられている

 

↑こんなところにも、ひょうたんとなまず

 

ここで最初に鑑賞したい庭が、枯山水「元信の庭(もとのぶのにわ)」。室町時代の絵師・狩野元信によって作庭されたと伝わっており、龍安寺など抽象的な庭に比べて、絵画的でわかりやすい構造が特徴です。

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亀島、鶴島、三尊石、蓬来島と、代表的な石組を詰め込んだともいえる、豪快で華麗な庭です。こうして窓から少し下がって見てみると、まるで絵画のよう。

※通常、方丈は非公開。特別な許可を得て撮影しています

 

↑築山の奥に滝に見立てた立石を置き、青みがかった栗石を敷いて渓流を表現

 

↑中央には亀島と、鶴が水を飲んでいる姿を表した鶴島を配置。不老不死など未来永劫変わらない繁栄を願った

 

↑背後には竹藪を配しています。風が吹くと竹がそよぎ鳴らすさらさらという音を、水の音としたのだそう。(※以上3枚の写真は特別な許可を得て撮影しています)

 

画家は通常、景色をみながら絵を描きますが、元信は風景を想像しながら妙心寺で襖絵を描き、それを元に、実際の庭を構築しました。現代人は、桜や紅葉など、季節ごとの移り変わりを楽しみますが、かつては“不変の美”が尊ばれたため、木々は松ややぶ椿、槇などすべて常緑樹で構成されており、その季節によって様相が変わらない点も、絵と同様です。

 

【豆知識】石庭の砂はなぜ白い?

退蔵院には、ほかにも個性的な石庭があります。白砂と黒っぽい砂を敷いた「陰陽の庭」です。

そう、砂は白、と必ずしも決まっているわけではありません。退蔵院の副住職・松山大耕(まつやまだいこう)さんによると、赤っぽい砂や青っぽい砂を使った庭も存在するそう。

 

ただ、白砂は実用的な意味合いもあります。昔は電気がなかったため、夜の明かりは月明かりだけ。お堂の前に白砂を撒いておけば、月光を反射して部屋が明るくなったのです。

 

【豆知識】枯山水の砂紋は、どうやって作っている?

水のない枯山水において、水を表現しているのが白砂に描かれる砂紋です。触っても冷たい水はないけれど、この模様があるからこそ、水を“感じる”ことができるわけです。

 

この砂紋は、専用の熊手で引いています。作業する人やその日の気分によっても、引き具合は変わってくるとか。また、雪が積もった日は、いつもより砂紋がくっきり見えるため、曲がっていると目立ってしまうそう。松山副住職に、実際に引いて見せていただきました。

↑ヒノキ製の砂熊手を使って奥から手前に引いていく。この熊手の素材は、鉄や竹などさまざまあり、それぞれの庭の特徴に合わせて特注で作られているという。呼び名も「砂熊手」のほか「レーキ」とも

 

【Information】
妙心寺 退蔵院
京都市右京区花園妙心寺町35
075-463-2855
http://www.taizoin.com/

 

4.日本人の宗教観をも表す公家の庭

延暦年間(782~806)に最澄によって、比叡の地に創建されたのが曼殊院(まんしゅいん)です。現在は、曼殊院門跡と呼ばれています。“門跡(もんぜき)”とは、天皇や親王など、皇族の関係者が出家し住職を務めたお寺のこと。ここは1656年に、桂離宮を創始した八条宮智仁親王の皇子・良尚法親王が入寺し、門跡寺院となりました。

↑大書院から庭越しに小書院を臨む。屋根は、桂離宮と同様に、雁が重なるように飛んでいく姿を表しているという

 

桂離宮を完成させたといわれる兄の智忠親王のアドバイスを受けて建設され、細い柱に薄い屋根、軽快ささえ感じさせる“数寄屋風書院造り”で、「桂離宮の新御殿」や「西本願寺の黒書院」と並び、当時の朝廷文化をしのばせます。とくに、書院の釘隠しや引き手、欄間などが桂離宮と共通しており、曼殊院は「小さな桂離宮」と呼ばれているのです。

 

その庭は、五葉松を中心にした枯山水。

寺院の庭とも武家の庭とも違う“公家好みの庭”という点で、曼殊院は特徴だっています。庭の奥に立っている石で滝を表現し、そこから小川が流れ出てやがて大海に注ぐ、という風景を表現。書院=娑婆から出て大海=白砂を渡り、築山=悟りを開いたひとがたどり着く蓬莱山へ向かう旅路を表しているのだそう。

 

↑奥の築山に立つ大きな石。大海の源流となる滝に見立てている

 

「とある宗教学者の先生が、京都のお寺に来ると、仏様を拝むよりも外の庭を眺めている時間のほうが長い、それは外の世界に神仏の“気配”を感じているのではないか、日本人は“信じる宗教”ではなく“感じる宗教”を持っている、とおっしゃっていました。庭も、そういった“生命”を感じる場所なのだと思います」と、執事長の松景崇誓(まつかげしゅうせい)さんは話します。

 

“八百万の神”といって、自然のなかにどこでも神仏を感じる日本人の宗教観をも、この枯山水から感じ取ることができそうです。

 

【Information】
曼殊院門跡
京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
075-781-5010
https://www.manshuinmonzeki.jp/

 

最後のふたつのお寺は、通常時非公開。そのレアな枯山水を見てみましょう。

 

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5.本堂の前庭に作られた大スケールの石庭

「夢窓国師入定の地」である、臨済宗天龍寺派・臨川寺(りんせんじ)。もとは亀山法皇の離宮だったところを、1336年に禅寺とされました。嵐山の代名詞、渡月橋からすぐという立地にありながら、普段は非公開のお寺です。夢窓国師とは、後醍醐天皇の霊を弔うために建立された天龍寺の開山で、この臨川寺で晩年を過ごし亡くなりました。

 

この寺で鑑賞できる石庭が、こちら。

夢窓国師は、室町時代の枯山水の礎を築いた人物でもあり、天龍寺のほか等持院なども作庭しています。臨川寺の庭は、度重なる戦乱で当初の面影を失いましたが、現在の庭は昭和時代に、先々代の住職が日本画家・伊藤紫虹氏に依頼し作られたものです。

 

「龍華三会(りゅうげさんね)の庭」と呼ばれ、石と白砂だけで作られた、荒々しくも堂々たる庭。中央の“三尊石”は、弥勒菩薩(お釈迦様が入滅後、56億7000万年後にこの世に降りてきて説法してくれる姿)が説法している図を表したもの。真ん中が弥勒菩薩、左右に文殊菩薩と普賢菩薩、その周りを十六羅漢がひざまづくように取り巻いています。

↑中央の三尊石。周囲の石は、伏したように低くなっている

 

↑解説してくれたのは、副住職の阪上宗英さん。作庭した伊藤紫虹氏から直接、この庭のテーマや意味するものを聞いたという

 

また、多くの庭は方丈の前など、建物の“裏手”にあるもの。ところが臨川寺の枯山水は、正面の門からまっすぐ、本尊の弥勒菩薩を安置した本堂の目の前に広がっているのも特徴です。依頼した住職が「庭の常識にとらわれず、好きに使っていい」と背中を押したことから、本来本堂の通路となる場所に、大スケールの石庭が完成しました。

↑本堂から石庭を臨むと、その先に門が見通せる

 

ちなみに、副住職が石を数えてみたところ、16羅漢のはずが17あったのだとか(!)。17個目の石を鑑賞する“自分”だと想定して、いっしょに説法を聞いている気分で庭を眺めてみてはどうでしょうか。

 

【Information】
臨川寺(霊亀山臨川禅寺)京都市右京区嵯峨天龍寺造路町33
電話番号非公開

 

6.嵐山を借景に完成する枯山水

こちらも天龍寺ゆかりのお寺。弘源寺は、天龍寺の塔頭寺院で、1429年に夢窓国師の教えを継ぐ玉岫禅師によって開山されました。小さなお寺ながら、見所がたくさん。

 

毘沙門堂にある「毘沙門天立像」は、インドの仏師によって彫られ、中国を経て平安時代にこちらへたどり着いた重要文化財です。また、日本画家・竹内栖鳳とその一門が、栖鳳の子息が病気療養のため弘源寺に逗留した縁で、膨大な作品を襖などに残しています。

↑腰を大きく捻った躍動感あふれる姿は随一

 

↑竹内栖鳳一門による襖絵や扇面が多数現存。本堂の各所に飾られている

 

そして、この寺一番の見所である庭が、方丈の正面にある「虎嘯(こしょう)の庭」です。

『碧巌録九十九則』のなかにある語句「「龍吟雲起、虎嘯風生」(龍吟じて雲起こり、虎嘯きて風生ず)から名付けられたものだとか。「龍吟」とは枯れ枝の間を抜ける風の音、「虎嘯」とは大地より涌出る朗々たる響き、つまり禅の悟りの境地を表しているのです。

 

↑手前には“舟石”が鎮座。お釈迦様による悟りの境地へ向かって渡っていく、という様子を表現しているという

 

↑その舟石の奥に、寄り添って並んだ石が“三尊石”。お釈迦様(弥勒菩薩)・文殊菩薩・普賢菩薩である

 

方丈に座って眺めると、庭の先に嵐山が見え、この嵐山を借景として、緑豊かな枯山水が完成していることがわかります。

↑方丈から庭を眺める

 

「虎嘯の庭」を鑑賞する際、その手前にある柱にもまた、見所が。柱に残る刀傷です。幕末、長州・土佐の尊王攘夷派志士を新撰組が急襲した池田屋事件に端を発する「蛤御門の変」で、長州藩士が逗留、その際に試し斬りした痕跡だとか。京都が経てきた歴史に思いを馳せるときです。

庭前の何本もの柱に、無数の刀傷が残されています。血気盛んに過ぎますね……。
↑庭前の何本もの柱に、無数の刀傷が。血気盛んに過ぎますね……

 

【Information】
弘源寺

京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町65
075-881-1232
http://kogenji.jp/

 

取材で訪れた日は、息が白くなる寒さに、あいにくの雨。普段の撮影なら、寒い上に雨なんてコンディションとしては最悪ですが、今回ばかりは違いました。「この天気、この季節で正解だな」と思える光景を目の当たりに。石と白砂によるモノトーンの世界が、夏の日差しのように影が際立つことなく、しんと冷えた空気のなか、雨に濡れてまるで水打ちをしたように色濃く見える様子は絶景です。冬の京都は寒さにも雨にも負けず、枯山水でもっと楽しめそうです。

 

さて、以上の石庭を効率よく巡れるだけでなく、普段非公開のお寺にも特別に入場できるという、またとない機会が用意されています。

 

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「My Favorite Things」のメロディと「そうだ 京都、行こう。」のキャッチコピーでおなじみの、JR東海ツアーズによる期間限定ツアーがそれ。紹介した石庭を実際に行って確かめたいという人はぜひ、参加してみてはいかがでしょうか。お手軽な日帰りと、たっぷり楽しめる宿泊のそれぞれのプランがあります。

 

・「京都 禅寺と石庭めぐりプラン」
https://souda-kyoto.jp/travelplan/sekitei_sp/index.html
申込をすると、「そうだ 京都、行こう。」オリジナルの足袋が特典として付いてきます。

↑その名も「京の冬の足袋」。内側が起毛で、靴下の上から履け、足裏には滑り止めも付いている親切設計

 

また、前述の大徳寺龍源院、同 瑞峯院、妙心寺退蔵院のほか、大徳寺本坊、同 大仙院、龍安寺、正伝寺の枯山水が美しい全7つの寺をピックアップした「禅めぐり帳」も特典として付属。各寺では、禅の教えである“禅語”が書かれたこの旅行企画オリジナルの御朱印(1枚300円・1カ所のみ無料)をいただけ、この手帳に綴じられるという贅沢ぶりです。

禅めぐり帳と、7つのお寺の禅語御朱印

 

・「【石庭】京の庭を楽しむ 非公開石庭めぐり」
https://ec.jrtours.co.jp/ec/search/pc-tour-K10177/?top_type=6&category=06&dep_region=01&cid=soudakyoto_bus_sekitei
臨川寺と天龍寺弘源院に関しては、通常立ち入れない非公開の寺院。今回、特別なプランを使って限定日のみ訪れ、枯山水を楽しむことができます。

この現地ツアーに申し込むと、各寺院でそれぞれ御朱印を授与いただけます

 

・「京都石庭めぐりガイド」
https://souda-kyoto.jp/travel/sekitei/index.html
作庭家の重森千靑(しげもりちさを)さんと大徳寺の石庭を巡れるイベントや、現在進行中の建仁寺霊源院の作庭観賞会、曼殊院オリジナルの「石庭スイーツ」づくりを楽しめるワークショップも。

 

・京都デスティネーションキャンペーン「京の冬の旅」
https://ja.kyoto.travel/specialopening/winter/2019/

 

解説=重森千靑(しげもりちさを)[龍源院、瑞峯院]
取材・文・撮影=@Living編集部 写真提供=JR東海

※通常、展示品を含む堂内は、写真撮影は禁止です。

 

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