おもしろローカル線の旅~~伊豆箱根鉄道(神奈川県・静岡県)~~
伊豆箱根鉄道は大雄山線(だいゆうざんせん)と駿豆線(すんずせん)の2本の路線で電車を運行している。この2本の路線は神奈川県と静岡県と走る県が別々で、線路は直接に結ばれず、電車の長さが異なり共用できない。そんな不思議な一面を持つ私鉄路線だが、美景と郊外電車の“のどかさ”が魅力になっている。
乗れば癒されるローカル線の旅。今回はおもしろさ満載の伊豆箱根鉄道の旅に出ることにしよう。
【路線の概要】2本の特徴・魅力はかなり異なっていておもしろい
最初に路線の概要に触れておこう。まずは大雄山線から。
大雄山線は小田原駅を起点に南足柄市の大雄山駅までの9.6kmを結ぶ。路線は、小田原市の郊外路線の趣。住宅地が続き、途中、田畑を見つつ走る。
ちなみに路線名と駅名に付く大雄山とは15世紀に開山した最乗寺(大雄山駅からバス利用10分+徒歩10分)の山号(寺院の称号のこと)を元にしている。
一方の駿豆線(すんずせん)は三島駅と修善寺駅間の19.8kmを結ぶ。
こちらは観光路線の趣が強く、富士山の眺望と、沿線に伊豆長岡温泉、修善寺温泉など人気の温泉地が点在する。東京駅から特急「踊り子」が直通運転していて便利だ。
ちなみに、駿豆線の駿豆とは、駿河国(するがのくに)と伊豆国(いずのくに)を走ることから名付けられた路線名。開業当初に駿河国に含まれる沼津市内へ路線が延びていたことによる。現在は同区間が廃止されたため、駿豆線と呼んでいるものの伊豆国しか走っていないことになる。
両線の起点は大雄山線が小田原駅、駿豆線が三島駅だ。お互いの路線の線路は別々でつながっていない。しかも、神奈川県と静岡県と走る県も違う。
大手私鉄のなかで異なる県をまたぎ、また線路がつながらない路線を持つ例がないわけではない。しかし、伊豆箱根鉄道という中小の鉄道会社が、どうしてこのように別々に分かれて路線を持つに至ったのだろう。そこには大資本が小資本を飲み込んで拡大を続けていった時代背景があった。
【伊豆箱根鉄道の歴史】戦前に西武グループの一員に組み込まれる
伊豆箱根鉄道は、現在、西武グループの一員となっている。元は、両路線とも地元資本により造られた路線だった。その後に勢力の拡大を図った堤康次郎氏ひきいる箱根土地(現・プリンスホテル)が合併し、伊豆箱根鉄道となった。
まずは駿豆線の歩みを見ていこう。
●1898(明治31)年5月20日 豆相鉄道が三島町駅(現・三島田町駅)〜南条駅(現・伊豆長岡駅)間を開業
同年6月15日に三島駅(現・御殿場線下土狩駅)まで延伸させた。
●1899(明治32)年7月17日 豆相鉄道が大仁駅まで路線を延長
ちょうど120年前に、駿豆線が生まれた。同時代の地方鉄道にありがちだったように、運行する会社が次々に変って行く。
豆相鉄道 → 伊豆鉄道(1907年) → 駿豆電気鉄道(1912年) → 富士水力電気(1916年) → 駿豆鉄道(1917年)
と動きは目まぐるしい。駿豆鉄道は、1923(大正13)年に箱根土地(現・プリンスホテル)の経営傘下となる。そして…。
●1924(大正14)年8月1日 修善寺駅まで路線を延伸
一方、大雄山線の歩みを見ると。
●1925(大正14)年10月15日 大雄山鉄道の仮小田原駅〜大雄山駅が開業
●1927(昭和2)年4月10日 新小田原駅〜仮小田原駅が開業
●1933(昭和8)年 大雄山鉄道が箱根土地(現・プリンスホテル)の経営傘下に入る
その後、1941(昭和16)年に大雄山鉄道は駿豆鉄道に吸収合併された。さらに1957(昭和32)年に伊豆箱根鉄道と名を改めている。歴史をふりかえっておもしろいのは、同社が駿豆鉄道と呼ばれた時代に静岡県を走る岳南鉄道(現・岳南電車)の設立にも関わっていたこと。会社設立に際して、資本金の半分を出資している。そして。
●1949(昭和24)年 岳南線の鈴川駅(現・吉原駅)〜吉原本町駅が開業
しかし、駿豆鉄道が運営していた時代は短く、1956(昭和31)年には富士山麓電気鉄道(現・富士急行)の系列に移されている。
かつて西武グループの中核企業だった箱根土地が、神奈川県と静岡県の鉄道路線を傘下に収めていった。同時期に東京郊外の武蔵野を巡る路線の覇権争いも起きている。
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いずれも首都圏や関東近県まで含めた西武グループ対東急グループの勢力争い巻き起こる、その少し前のことだった。その後の1950年代から60年代にかけて、箱根や伊豆を舞台に繰り広げられた熾烈な勢力争いは箱根山戦争、伊豆戦争という名で現代まで言い伝えられている。
いまでこそ、西武池袋線と東急東横線が相互乗り入れ、協力し合う時代になっているが、半世紀前にはお互いのグループ会社まで巻き込み、すさまじい競争を繰り広げていたのだ。
伊豆箱根鉄道は、堤康次郎氏が率いる西武グループの勢力拡大への踏み石となっていた。そんな時代背景が、いまも感じられる場所がある。
大雄山駅近くのバスセンター。西武グループの伊豆箱根バスと、小田急グループ(広く東急系に含まれる)の箱根登山バスが走っている。伊豆箱根バスのバス停は「大雄山駅前」、一方の箱根登山バスのバス停は「関本」。この名前の付け方など、それこそ昔の名残そのもの。知らないと、少し迷ってしまう停留所名の違いだ。
【大雄山線1】なぜ長さ18m車しか走らない?
大雄山駅の近くでも見られた大企業による争いの名残。いまはそんな争いもすっかり昔話となりつつある。
歴史話にそれてしまった。伊豆箱根鉄道の現在に視点を戻そう。
伊豆箱根鉄道の大雄山線は、小田原駅の東側にホームがある。同駅は東側からホーム番線が揃えられている。そのため、大雄山線のホームは1・2番線。ちなみにJR東海道線が3〜6番線、小田急線・箱根登山鉄道が7〜12番線、東海道新幹線が13・14番線となっている。
大雄山線のホームは行き止まり式。しかし、駅の手前にポイントがあり、JR東海道線の側線に向けて線路が延び、接続している。その理由は後述したい。
大雄山線の電車は5時、6時台、22時台以降を除き日中は、きっちり12分間隔で非常に便利だ。例えば小田原発ならば、各時0分、12分、24分、36分、48分発。どの駅も同様に12分間隔刻みで走るので時刻が覚えやすい。たぶん、沿線の人たちは自分が利用する駅の時刻を、きっちり覚えているに違いない。
小田原駅を発車した電車は、東海道線と並走、間もなく緑町駅に付く。この先で、路線は急カーブを描き、東海道線と東海道新幹線の高架下をくぐる。
このカーブは半径100mm。半径100mというカーブは、大手私鉄に多い車両の長さ20mには酷な急カーブとされている。よって大雄山線の全車18mという車体の長さが採用されている。さらにカーブ部分にはスプリンクラーを配置。線路を適度に濡らすように工夫、車輪から出るきしみ音を減らす工夫を取っている。
緑町駅を過ぎ、JRの路線をくぐると、あとは住宅地を左右に見ながら、北を目指す。五百羅漢駅の先で小田急小田原線の跨線橋をくぐり北西へ。穴部駅を過ぎれば水田風景も見えてくる。
しばらく狩川に平行して走り、塚原駅の先で川を渡り、左に大きくカーブして終点の大雄山駅を目指す。
終点の大雄山駅へは、きっちり22分で到着した。鉄道旅というにはちょっと乗り足りない乗車時間ではあるものの、大雄山駅周辺でちょっとぶらぶらして小田原駅に戻ると考えれば、ちょうど良い所要時間かも知れない。
【大雄山線2】今年で90歳! コデ165形という古風な電車は何をしているの?
終点の大雄山駅には茶色の車体をしたコデ165形という古風な電車が停められている。この電車、なんと1928(昭和3)年に製造されたもの。今年で90歳という古参電車だ。17mの長さで国電として走った後に、相模鉄道を経て、大雄山線にやってきた。果たして何に使われているのだろう。
実は、このコデ165形は大雄山線では電気機関車代わりに利用されている。大雄山線の路線内には、大雄山駅に検修庫はあるものの、車両の検査施設がない。そのため定期検査が必要になると、駿豆線の大場工場まで運んでの検査が行われる。
大雄山線では検査する車両を、このコデ165形が牽引する。小田原駅〜三島駅は、JR貨物に甲種輸送を依頼。小田原駅構内の連絡線を通って橋渡し。JR貨物の電気機関車が東海道線内を牽引、三島駅からは同路線用の電気機関車が牽引して大場工場へ運んでいる。2本の路線の線路が結びついていないことから、このような手間のかかる定期検査の方法が取られているわけだ。
なお、このコデ165形の走行は、事前に誰もが知ることができる。
「駅に●月●日、●時●分の電車は運休予定です」と告知される。これは大雄山線のダイヤが日中、目一杯のため、定期列車を運休させないと、この検査する電車の輸送ができないために起こる珍しい現象。
他の鉄道会社では、検査列車などの運行は一切告知しないのが一般的だが、この大雄山線に限っては、検査列車の運行をこのように違う形で発表しているところがおもしろい。
【駿豆線1】元西武線のレトロ車両ほか多彩な電車が走る
伊豆箱根鉄道の2路線を同じ日に巡るとなると、小田原駅から三島駅への移動が必要となる。
もちろん東海道新幹線での移動が早くて便利だ。とはいえ乗車券670円のほかに特別料金1730円が必要となる。ちなみに在来線ならば乗車券の670円のみで移動できる。所要時間は新幹線が16分、在来線ならば40分ほどと、差は大きく悩ましいところだ。
さらに、小田原駅と三島駅間を直通で走る在来線の普通列車は少なく(特急はあり)、熱海駅での乗換えが必要となる。小田原駅はJR東日本だが、途中の熱海駅がJR東日本とJR東海の境界駅で、三島駅はJR東海の駅となる。ICカードを利用した場合は、下車した駅で改札をそのまま通ることができない。窓口や精算機で乗継ぎ清算が必要となるとあって、やや面倒だ。
駿豆線を走る電車はすべて長さ20m車両で、大雄山線に比べて変化に富む。大雄山線が5000系だけだったのに対して、駿豆線の自社車両は1300系、3000系、7000系の3種類。さらにラッピング電車や色違いの車体カラー、JRの特急列車の乗り入れもあるので、より変化に富む印象が強い。
三島駅から駿豆線の電車に乗車してみよう。駿豆線の三島駅は南側にあり、JRの通路からも直接ホームへ入ることができる。JRの三島駅南口と並んで、伊豆箱根鉄道の駅舎も設けられている。
ホームは小田原駅とは逆で、JR東海道線のホームが1〜4番線、新幹線ホームが5・6番線。そして駿豆線のホームが7〜9番線となっている。ちなみに駿豆線に乗り入れる特急「踊り子」は、1番線ホームを利用している。
【駿豆線2】富士山の清らかな伏流水が街中を豊富に流れる
三島駅から緩やかなカーブを描き、東海道本線から離れていく。そして三島市内をしばらくの間、走る。
三島は富士山麓から湧出する伏流水が豊富に流れる街だ。三島駅の次の駅、三島広小路駅の近くでは源兵衛川をまたぎ、さらにその先の三島田町駅の手前で御殿川をまたぐ。
いずれも伏流水が流れる河川で、清らかな流れが楽しめる。河川沿いには緑地や親水公園も設けられていて、のんびり歩くのには格好な場所だ。
3番目の駅、三島二日町駅と次の大場駅の間は、前述したように、富士山の眺望が素晴らしいところ。三島市の住宅街が途切れ、畑ごしに富士山と駿豆線を走る電車の撮影を楽しむことができる。
さらに大場駅近くには伊豆箱根鉄道の車両の定期検査を行う大場工場があり、駅側からこの工場へ入る引込線が設けられている。大雄山線の車両も、この工場まで運ばれ、検査が行われているわけだ。
大場駅から伊豆長岡駅まではほぼ直線路が続く。途中駅の韮山駅は、世界遺産にも指定された韮山反射炉(循環バス利用で約10分)の最寄り駅。また伊豆長岡駅は伊豆長岡温泉(バス利用で約10分)の最寄り駅だ。
伊豆長岡駅から先は、狩野川沿いに電車は走る。大仁駅付近で蛇行する狩野川に合わせてのカーブが続く。普通列車で30分ちょっと、まもなく終点の修善寺駅に到着する。
ちょうど修善寺駅には特急「踊り子」が停車していた。「踊り子」に使われる185系だが、走り始めてからすでに40年近い。数年内に185系の退役させることがJR東日本から明らかにされており、ここ数年中に、駿豆線を走る特急「踊り子」はE257系(中央本線の特急「あずさ」「かいじ」に使われた車両)に引き継がれる予定だ。
国鉄生まれの特急形電車の姿もあと数年後には消えていきそうだ。駿豆線ではお馴染のスター列車だっただけに、ちょっと寂しく感じる。