第7回 小さく金の文字で「MOEGARA」
とある会食で、その会で一番偉い人が「燃え殻さんに絶対喜んでもらえると思って、今日持ってきたものがあるんですよ」と言って、ブランド物の紙袋に入ったプレゼントを渡してきた。
「絶対喜んでもらえると思って」という前フリは、かなり危険だ。「えー、すみません」とかなんとか言いながらそれを受け取る。「開けて、開けて」偉い人がそう急かしてくる。
笑顔を絶やさぬよう、あくまでも自然な態度を心掛け、僕は包装紙を破かないように慎重に箱を開けた。そこにはブルーの革張りの文庫本カバー。
「おお……」自然な微笑みが底を尽き、あまりにも棒読みの一行しか言葉が出てこなかった。
「あれ? 喜んでない? ない?」偉い人の顔が一瞬にして曇る。「いやいやいやいやいやいや(五万回)」僕はマッハで否定し、「文庫のカバーって自分ではなかなか買わないんで嬉しいです! いや本当に嬉しい! かなり嬉しい!」と念押しするように言った。
「俺、ブルー、好きなんだよねえ」ギリギリ機嫌が戻った偉い人がそう言ったとき、「お前が好きでどうすんだ!」と瞬時に言葉が漏れそうになったが、「へえ〜、そうなんですね〜」となんとか振り絞って返した。
どんなときでも、リアクションをしっかりきっちりできる人は大人だ。
リアクションは、相手に誠意を伝えるツールだ。社会で生きていくには、自分の気持ちを正直に表すことよりも、相手の機嫌を損なわない所作のほうが大切になる。
どんな場面でも、相手が欲しいリアクションをサラッとできるようにしておくことは、あらゆるマナー講座で必須項目にしたほうがいい気がする。

前に映画好きの女性と一緒にテアトル新宿で映画を観たことがあった。
彼女は、いわゆる単館映画と呼ばれる種類の映画をよく観に行く人で、その日一緒に観た映画も、ちょっと古いモノクロの日本映画だった。
前日、僕は午前三時過ぎまで原稿を書いていたということもあり、映画の中盤から信じられないくらいの睡魔に襲われる。暗闇の中で、ふと彼女のほうを見ると、映画に見入っているのがわかる。
首を左右にバキバキと鳴らし、大きく一回深呼吸。「眠気よ去れ」と念を込め、もう一度スクリーンに目をやった。
そこまでは覚えているのだが、そこから映画が終わるまでの記憶が朧げだ。気づくと、エンドロールが流れはじめ、壮大な音楽が聴こえていた。
恐るおそる彼女のほうを見ると、真剣な顔といえば真剣な顔、つまらなそうな顔といえばつまらなそうな顔で、スクリーンを観ていた。こちらはすっかり寝てしまい、感想など言えるわけがない。
しかし、彼女の表情からは映画の良し悪しが伝わってこない。「終わり」という文字がスクリーンに大きく映し出され、場内が明るくなる。
彼女がこちらを見る。僕も彼女のほうを見る。少し微笑み、小さく頷いた彼女。これはきっと「この映画、良かった」の表情だと察しながら、映画館を出た。
大きく伸びをしながら彼女が「良かったよねえ〜」と言う。「良かったよねえ〜」の「たよねえ〜」くらいから被せるように僕も「よねえ〜」と合わせ、「いや〜、脚本から役者まで全部最高だったわ」と付け足した。
すると間髪入れずに彼女が「寝てたのに?」とニヤッと笑って訊いてくる。「ん?」と僕。

夕暮れの新宿三丁目付近。行き交う車の音だけが聞こえていた。
「いや、まあ、ところどころ寝てた可能性が高いけども……、だいたい起きてましたよ」と、しどろもどろになりながらごまかす。
リアクションは、相手に誠意を伝えるツールだ。社会で生きていくには、自分の気持ちを正直に表すことよりも、相手の機嫌を損なわない所作のほうが大切になる。
ただ、正直に自分の心情を伝えるほうが、結局、相手に誠意が伝わるということもまた事実だ。
イラスト/嘉江(X:@mugoisiuchi) デザイン/熊谷菜生