突然だが「戦国武将の最期」と言われ、頭に浮かぶのはどんなシチュエーションだろうか?織田信長のように家臣に裏切られ劇的な最期を迎える場面や、戦で敗北し命を落としてしまう石田三成のようなケースなどをイメージする人がきっと多いだろう。
しかし、戦国武将の中には食中毒や肥満など戦国時代らしからぬ意外な理由で亡くなっている者もいる。そんな人物を『戦国武将イラスト名鑑』(かみゆ歴史編集部・著/学研プラス・刊)から取り上げていきたい。
徳川家康
300年続く江戸幕府を開いた人物といえば、徳川家康。誰もが知っている有名人の家康だが、彼の死因を知っている人は少ないのではないだろうか。家康は、薬を自ら調合するなど自分の健康管理を徹底していた人だったそうで、そのおかげか「人生50年」といわれた時代に、70歳をこえ長生きをした稀な将軍だった。
しかし、そんな健康志向の家康の最期は、江戸幕府が出来てから13年後に突然訪れることになる。なんと、魚の天ぷらにあたり食中毒で亡くなってしまったのだ。この家康の死をうけて、江戸城ではてんぷら料理が以後禁止に。関ヶ原の戦いに勝って天下を取った家康だが、最期は一匹の魚に命をとられてしまうという意外な幕切れとなった。
上杉謙信
「京でわがもの顔にふるまう織田信長を討ってほしい」と室町幕府第15代将軍の足利義昭が助けを求めたのが、武田信玄と上杉謙信の2人の武将。特に謙信は戦に強かったにもかかわらず、自分の領地より人助けを優先する「義」をつらぬく武将として有名だった。そんな正義の味方として皆に頼られた謙信は、さぞ激しい戦場で命を落としたのだろうと思っていたら、どうやら違うらしい。
謙信はかなりの酒好きだったらしく、普段はどんぶりのような器で酒を楽しみ、戦中も馬の上で飲酒するなどキッチンドリンカーならぬ合戦ドリンカーだったようだ。そのため亡くなった原因はお酒の飲み過ぎによる脳出血と言われている。昔も今も、お酒の飲み過ぎは体に毒なのだ。
龍造寺隆信
最後に紹介する人物は、1578年ごろの九州三強のひとりである龍造寺隆信という武将。「肥前の熊」というあだ名にふさわしい、大きな体だったという隆信。体格だけでなく、智力にも恵まれ策略と侵攻を繰り返して領地を増やし、九州三強に成り上がった。しかし、家督を譲ったのをきっかけに肥満が加速。元々の巨体がさらに大きくなったという。
そんな中、同じ九州三強のひとつである島津家と有馬家の連合軍と争う沖田畷の戦いが勃発した。隆信は輿(こし)に乗って移動していたのだが、それを持っていた家臣が隆信の重さに耐えられなくなり、なんと途中で逃亡。投げだされてしまった隆信はそのまま敵に討ち取られるという、無残な最後を迎えてしまったのだ。
一説によると、体重が重すぎて馬にも乗れなかったという隆信。せめて乗馬ができる程度に体重を落としていたら違う最期になっていただろう。
この他にも、織田信長や伊達政宗といった有名武将や、今年の大河ドラマの主人公である直虎が育てた井伊直政など様々な武将たちのエピソードが本著には満載。武将たちがイケメンに、しかもフルカラーで描かれているイラストも見所のひとつなので歴史が苦手な人にこそ手にとってほしい一冊だ。
(文:凧家キクエ)
【参考書籍】
戦国武将イラスト名鑑
著者:かみゆ歴史編集部
出版社:学研プラス
日本全国で活躍していた戦国武将たちの生き様!地図や写真など豊富なビジュアルで歴史が学べる!戦国武将50人のゆかりの地を紹介!欄外のコラムで戦国武将のこぼれ話を学べる!戦国武将たちのうまれた場所をしめした全国マップ!鉄砲伝来や忍者の秘密を解説したコラムつき!