覗けば深い女のトンネルとは? 第24回「自分が生き残れるかどうかは、ただひたすら、本人の努力次第」
「女は強くなった」なんて言われてもう20年くらい経ちますでしょうか。反比例して男子は草食化してるようです。うん、いい時代になったもんだ。
ほんの3、40年前までは、女がひとり旅をして旅館に泊まると、女将が自殺を心配して部屋から出て行ってくれなかったそうです。女が車の運転をしていると、子どもたちが指を差して「女だ! 女が運転しているっ!」とか叫んだそうです。まるで猿が運転しているかのような驚きっぷり。
20年前までは、地方では「女は男よりも頭が悪い」とか真面目に語る男性がいたそうです。「女の価値はおっぱいだ」とか断言する人もいたらしいし(これは今でも賛成する人がいそうですが)。男女で思考の仕組みや得意分野が違うことは今や周知の事実なので、そんなこと言う男がいたら「そんなおまえはそこらの女より頭の悪い男だ」くらいの話ですね。
「女が強くなった」のは、女性が当然の権利を主張することに対して、男性たちが反論できるだけの理論を持たなかったからです。女だからといってしたいことができず、我慢をしなければいけない理由はないはずです。女をはじめ、社会的弱者の本来守られるべき人権がどんどんと確保されてきているこの流れは、決して止められないはず。それでも、女性の昇進に積極的だと語る会社でさえ女性の管理職は全体の10%程度だったりします。女は社会に出れば、男社会を実感せずにはいられません。
先日、こんなことを言っている男性がいました。
「女が強くなって、本来男の仕事だったポジションが女にどんどん奪われている。今の男は大変だ」
和久井の返事は「フーン」でした。
こんな話を読んだことがあります。
ある白人男性が「本来俺のものだったはずのポジションが、黒人に奪われている」と不平を述べていたといいます。しかしなぜ彼は、そのポジションが自分のものだと考えていたのでしょうか。差別という鎖が外されたとき、そのポジションへのアクセスがみな平等に与えられただけの話です。
今の男が大変なら、男性優位の社会で働く昔の女はもっと大変だったはず。ポジションを奪われたくないのなら、男性が相応の努力をすればいいだけのことです。
先日、「週刊少年ジャンプ」が発行部数200万部を割ったというニュースがありました。ちょっと感慨深いです。ジャンプといえば、男性たちの夢の宝庫だったのではないでしょうか。『SLUM DUNK』『ドラゴンボール』など、「男子たるもの読まなきゃならぬ」みたいなヒット作がゴロゴロありました。
だからこそ、「私は少女漫画よりもジャンプのほうが性に合ってるのよね」なんていうボーイッシュ自慢の女子が一定数いたんです。彼女たちのプライドはジャンプを読むことで、ほかの女たちと一線を画すことにありました。
それが『テニスの王子様』の登場により様相が変わってきます。男子の集団と、クールな主人公。女萌えを意識したのかなと感じます。『黒子のバスケ』もしかり。案の定『テニミュ』は熱狂的な女性ファンを生み、「イケメンミュージカル」というジャンルに発展しました。
男子の特別な世界だったジャンプを、女たちが浸食しつつあります。発行部数の減少は、雑誌文化の衰退だけではなく、男子と女子でくっきり対象を分けることがもはや時代に合わないことも理由かもしれません。
最近は、LGBTという言葉も周知されてきて、人の性別は単純に男女に分けられないことが当たり前になってきました。性別、人種、身体的特徴を排除してすべての人にチャンスが与えられるようになったとき、自分が生き残れるかどうかは、ただひたすら、本人の努力次第なのでしょう。それは、与えられざる者が当たり前にしてきたことです。
「社会で生きるのが大変になった」ということは、昔は努力もせずにいい思いができたってことですよね。それはずるい、羨ましい話です。