覗けば深い女のトンネルとは? 第40回「変わらないのは“現状維持”ではなく“マイナス”」
恋愛って、最初ぎゅーんと盛り上がりますよね。
そのころって、相手のことを加点方式で評価する気がします。「ここも好き」「あそこもいいな」なんて。何もかもがキラキラして、「やばい、この人非の打ち所がないのかしら?」みたいな。
でも数か月経って心のお祭り騒ぎが落ち着いてくると、だんだんアラが見えてきます。「なんで連絡くれないのかしら」「こういうところ、気が利かないわよね」なんて。このころになると、相手を減点方式で評価しはじめます。
大人になれば、完璧な人なんていないって(頭では)わかるようになってきます。相手の評価に加点したり減点したりして、それがゼロ以下にならないうちは「付き合いを続ける」って判断になるのでしょう。
和久井の知り合いで、超一流国立大出身のニートと付き合ってる女子がいました。会社員をやってる彼女から小遣いをもらう、というプライドのないことやってる割にはプライドが高く、仕事をしないらしかったです。誰もが「なんでこんなのと付き合ってるんだ……」と思いましたが、彼女曰く「将来化けるかもしれないから」だそうな。現実を期待値が上回ってたんですね。結局、化けないだろうと見切りをつけて別れてましたが、こういうのって、株の損切りがなかなかできないのと同じですかね。
でも、めっちゃわかります。収入なしとかDVというわかりやすいことじゃなくても、男でも女でも、誰にでも起こることだと思うんです。
男性になにか不満があったとしましょう。最初は注意しますよね。「大きな声でくしゃみしないで」とか(男性ってなんであんな爆音出すんですかね)、洗面所びしょびしょにしないでとか。何度も言っているうちに、「ああ、この人には言っても無駄なんだ」と思うようになり、うるさく言わなくなります。そうなると、くしゃみのたびに、洗面所を見るたびにただ減点するだけ。
少しずつ努力をしてくれればいいんです。完璧にできなくっていいんです。元がマイナス10点なら、マイナス9点になっただけでも加点です。「さっき洗面所使ったのに、汚れてない!」なんてだけで天にも昇るうれしさでしょう。
能力についても同じです。いま稼いでなくても、去年よりいい仕事をしてるなら、きっと待てます。例えば彼が無職でも、公務員試験の勉強を頑張っていたら、ちょっと様子を見ようかなって思うじゃないですか。
いま家事がまったくできなくても、「今日はサラダ作ったよ!」なんてトライされたら「共働きでも大丈夫だな」とか「病気になっても看病してくれそう」とか、未来に期待できます。「できない」「やらない」とシャットアウトされてしまったら、描ける未来はゼロです。
仕事でも人間関係でも、人は、未来に希望が持てるうちは努力や我慢ができます。愛情を注ぐこともできる。だけど「永遠にいまと同じだな」と思ったら、それは縁の切りどき。評価って、いま現在で100%ではなく、伸びしろっていうか期待値がかなり加味されるんですよ。じゃなきゃ新入社員なんか採用できないですもんね。
メキシコの歌手Belindaの「Ni Freud Ni Tu Mama」という歌があります。「あたしゃあんたの母親でもフロイトでもねえんだよ」という意味です。「もう我慢できんわ、あんたホンッとガキのまんまだよね。いやいやもーダメ、終わりにするわ」と3分も文句垂れてます。PVは雨に打たれながらどぎついメイクしたBelindaがガミガミ歌っててマジ恐いです。
男性歌手が別れた女性に「お前もっと大人になれよ」なんて歌ったら総スカンを食らいそうだけど、「Ni Freud Ni Tu Mama」はBelindaの代表作です。つまりこれに共感する女性が世界中に(少なくともスペイン語圏に)わんさかいるってことですよね。
この歌のなかで「私はあなたを変えられなかった」と言ってます。男が「こんな俺でいいだろ?」とかそのままの自分を認めるよう甘えはじめたら、女は「あたしはあんたの母親じゃないんです」(よく聞くセリフだ!)って思うでしょう。
誰かと一緒にいるには、人として前進する努力ってぜったいに欠かせないんだと思います。もちろん、男でも女でも。