新潟県の「麒麟山」(きりんざん)という銘柄をご存じでしょうか。実は今回、蔵元を取材する機会を得るまで、筆者もよく知りませんでした。また、いま新潟の日本酒を紹介して読者に受けるのか、と危惧を感じていたのも事実です。というのは、かつて1980~90年代、新潟の淡麗辛口(※)は一世を風靡したものの、現在はフルーティで華やかなお酒が人気を集めており、流行から外れているイメージがあったためです。ところが取材を終えたいま、そのイメージはガラリと変わりました。この蔵の取り組みは、全国的に見ても貴重な例であり、日本酒界全体を変える可能性がある。これは、ぜひともみなさまに伝えなければならない…そう強く思うまでに至りました。
※淡麗辛口…甘味と酸味が少なく、さっぱりしている日本酒の味を表す言葉
この規模で造りに使う9割以上の米を「町」でまかなう点が驚異的
まず、同社で驚いたのが、酒造りに使用する9割以上の米を地元・阿賀町産の米で占めていることです。「なんだ、米どころの新潟ならできそうじゃないか」と思われる方もいるでしょうが、実際はこれが極めて難しい。酒造りには通常、食用米と違って酒造好適米(以降は酒米と記述)と呼ばれる特別なお米を使います。酒米は、稲の背が高いものが多く、粒が大きく重いため倒れやすいなど、栽培が難しいのが難点。ゆえにコシヒカリの名産地・新潟といえども栽培する農家は少なく、生産量は限られてくるわけです。
さらに、新潟がコシヒカリの産地として著名だったゆえ、かつてはコシヒカリが酒米より価格が高かった時代がありました。そんな折に、地元農家はわざわざ栽培が難しい酒米を作ろうとは思いません。そこで同社は、酒米をコシヒカリと同額で購入することを条件に、地元農家を説得して回ったのです。そして1995年、15軒の地元農家を口説き落として「奥阿賀酒米研究会」を結成。酒米を栽培・供給してもらうことに成功したのです。2011年には同社に米作り専門の部署「アグリ事業部」を設立し、専任のスタッフを置いて地元米の増産に注力しています。
さらに、麒麟山酒造の規模を見てください。同社の製造量は約5500石(約990kℓ)。これは、一升瓶でいうと55万本の生産量です。国税庁の「清酒製造業の概況(平成27年度調査分)」によれば、全国の1165蔵(※)のうち、約65.6%にあたる764蔵が約555石(100kℓ)以下。つまり、麒麟山酒造の生産量約5500石は、通常の蔵元の10倍以上の生産量であり、全国の上位100蔵に入る規模となっています。そして、規模が大きいとそれだけ多くの米が必要ですが、これを「町単位」の米でまかなっている点が驚異的。「ウチは県内の米だけで造ってます」という小さな蔵は数あれど、この規模で「町の米だけで造ってます」という蔵はそうそうありません。これは、他に類を見ない快挙といえます。
※データを取った専業割合50%以上の蔵元
地元の原料を使って地元の人に愛される「本物の地酒」を目指す
さて、麒麟山酒造は20年以上の歳月をかけてここまで到達したわけですが、なぜそこまで地元の米にこだわるのでしょうか? 麒麟山酒造の7代目、齋藤俊太郎社長に聞いてみました。
「私たちが目指しているのは、地元の原料を使って、地元の人に愛される『本物の地酒』。地元のみなさんに恩返しがしたい、地元の人たちの豊かな生活に貢献したい、という思いで酒造りをしています。地元の米を使おうと考えたのは、『地域の人に安心して飲んでもらえる原料がいいじゃないか』と考えたから。また、ここは魚沼と気候が非常に似ていて、いい米ができるんです。ならば、なおさら使うお米は自分たちで栽培したいという気持ちが強くなってきて。今後は、あと3年で地元米の割合を100%を目指したい。我々の規模で栽培から酒造りまでが完結している蔵はないわけですから、その意味でも、テロワールを実現する第一号の蔵にしていきたいです」(齋藤社長)
ここで齋藤社長が言う「テロワール」とはフランスにおけるワインの概念で、気候、水、土などの様々な栽培条件によって、ぶどうに現れる個性のこと。広義には、一切の原料を地元でまかない、個性を表現することを指しています。つまり、齋藤社長は阿賀町の米と、地元の清流・常浪川(とこなみがわ)の伏流水を使い、存分に「町」の個性を表現したいと望んでいるわけですね。
地域との関係を活かし、淡麗辛口を極めていきたい
では、麒麟山が地元の原料を使って表現したい個性=味とは、一体どんなものでしょうか?
「元々、ウチの酒は早くから淡麗辛口。山手のほうの水はミネラル分が非常に少なく、すっきりとした辛口の酒に仕上がります。また、この辺りは山の中で、娯楽もないようなところでしたから、お酒を飲むことが娯楽の中心。飽きずに長く飲み続けられる、すっきりとした辛口タイプが好まれてきました。いま、生(き)もと、山廃(やまはい)といったフルボディのお酒からフルーティなお酒まで、様々なタイプがありますが、ウチは淡麗辛口を極めていこうと。いまの流行からは外れているかもしれませんが、地域との関係を活かし、ずっとやってきたことを最大限に発揮できる方法として、淡麗辛口を続けている次第です」(齋藤社長)
淡麗辛口は「いまの流行から外れている」と社長の言う通り、現在はその対極にある「芳醇旨口」(ほうじゅんうまくち)と呼ばれるお酒が人気。こちらはフルーティな香りがあって甘みのあるお酒で、山形県の十四代(じゅうよんだい)、福島県の飛露喜(ひろき)、山口県の獺祭(だっさい)などが絶大な人気を集めています。こうした流れを受け、「このままの味でいいのか」と葛藤することはなかったのでしょうか?
「もちろん、ありました。ですが、実際にそちらに切り替えようと思ったことはありません。造ったらいまの時点で市場はあるでしょうが、それをやってしまうと麒麟山の個性がなくなってしまう。いままで淡麗辛口を飲んでくれた方に失礼ですし、何より、私もこの味が大好きなんです。我々の味を理解してくれる方がいる限り、『淡麗辛口といえば麒麟山』と言ってもらえるような酒造りをしたいですね。ただ、実はウチでも淡麗辛口だけではなく、『芳醇旨口』のお酒も何種類か造っています。そこから麒麟山を知っていただいたうえで、麒麟山の真骨頂を見せられるようなプレゼンをしたい。ですから、大きく方向性を変えることはありません」(齋藤社長)
なるほど、すべては淡麗辛口を理解してもらうため。流行を無視するのではなく、これを活用して伝統に目を向けてもらおうというしたたかな戦略があったのです。その柔軟な姿勢に、学ぶべき点は多いですね。
巨大貯蔵棟「鳳凰蔵」で「淡麗」を損なう要素を徹底排除
「淡麗辛口といえば麒麟山」を実現するために、具体的に何をしているのでしょうか? 実は米作りのほかにも、大きなトピックがありました。それが延床面積2000㎡、2階建ての巨大貯蔵棟「鳳凰蔵」です。
「実は日本酒は搾ってすぐに出荷するわけではなくて、少なくとも半年間は熟成させます。熟成させることで、造ったばかりの荒々しい味わいが抑えられ、スッと飲める味になるんです。いままで大きなタンクで熟成していたんですが、やはりそれだとタンク内に隙間ができ、お酒が空気に触れて酸化してしまう。すると、出荷してから老ね香(ひねか)と呼ばれる独特の臭みが出てしまい、すっきりした飲み口に影響を与えてしまうんです。本当は、造ったお酒の量にぴったりのタンクで空気に触れさせずに熟成させるのが理想なのですが……。しかし、この『鳳凰蔵』が完成し、貯蔵環境が整ったおかげで、私の理想に近づいたと思っています」(齋藤社長)
実際に「鳳凰蔵」の内部を見学させてもらうと、とにかくその広さに圧倒されます。高い天井の建物のなかには、5~6人が輪になっても抱えきれないほどの大きさのタンクがズラリ。最小3Kℓから最大20Kℓまでの6種類のタンクが配置され、酒の量に応じた貯蔵が可能となっています。また、それぞれのタンクは周囲に冷水が巡るようになっており、温度コントロールも可能。たしかに、これだけの貯蔵環境を持つ蔵は全国でも少ないでしょう。
それにしても、これだけの設備を導入するのに、いったいどれだけの投資をしたのか……。その投資は、コストを下げるためではなく、純粋に味を良くするためのもの。しかも、その効果は吟醸クラスの特別な酒のみならず、普通酒を含むすべての酒に及んでいる点が素晴らしいです。齋藤社長の「淡麗辛口を極めたい」という言葉はダテではありません。
良質な普通酒で淡麗辛口の良さを広く伝える
次に、麒麟山のラインナップのほうに目を向けてみましょう。麒麟山の看板商品は、普通酒の「伝統辛口」。このほか、「辛口シリーズ」5種と、梅酒を含む「季節限定シリーズ」4種、「カラーボトルシリーズ」6種を用意しています。
齋藤社長は「高額な酒を多く造る蔵もありますが、ウチでは7割がレギュラー酒。我々は、値段が安くとも定番のクオリティを高めていって、地元の人が毎日飲みやすいという点に力を入れていきたい」と語ります。実際、レギュラー酒に対する思い入れは強いようで、世界的なワインコンペ「インターナショナルワインチャレンジ2017」には、大吟醸などではなく、あえて「伝統辛口」を出品。見事、シルバーメダルを受賞しています。
なお、先述の齋藤社長の「高額な酒を多く造る蔵もある」との言葉の通り、昨今は高級酒にシフトし、付加価値を高めて利益を出す蔵元も増えてきています。例えば、いまもっとも有名な銘柄として知られる山口県の「獺祭(だっさい)」は、その生産量のすべてがフルーティな純米大吟醸。しかも、獺祭は杜氏(酒造りのリーダー)を置かず、山田錦という高級酒米を全国から集め、徹底したデータ管理と工程管理で純米大吟醸の安定生産を実現しています。
一方、麒麟山は地元の米を使って伝統の淡麗辛口を醸し、底辺である普通酒の質を高めていくという、まさに真逆のアプローチ。獺祭が頂点の拡大に注力するのに対し、麒麟山は底辺を底上げすることで、日本酒全体のレベルアップに貢献しているわけです。必然的に薄利多売にはなるでしょうが、齋藤社長が目指す「地元への貢献」「淡麗辛口の復権」を目指すなら、この方法がベストなのでしょう。
地元の人にとって麒麟山はただスイスイ飲める酒ではない
さて、肝心の味はどうでしょうか? 筆者が「伝統辛口」を頂いた第一感は「水の良さがわかる酒」。口当たりが柔らかく、カスタードクリームを思わせるほのかな甘みが訪れ、やや長い余韻を残して消えていきます。燗にしても抜群の旨さ。水のような柔らかさのなかに米の味が現れて、ちょうどいい飲み口になります。
総じて「スッキリ飲みやすい酒」という印象を持ったのですが、地元の方が抱く印象はちょっと違うようです。今回、プレスツアーのバスの運転手を務めてくれた酒井幸男さん(69)が、偶然にも20年来の「麒麟山 伝統辛口」愛飲者と聞き、スッキリしていてスイスイ飲めますよね、と水を向けてみました。すると、「いや、私にとって、麒麟山はスイスイ飲むものじゃない。2合を2時間かけてちびちびと味わって飲みます」との答えが。そこには、麒麟山に対するある種の尊敬が見てとれました。地元の方にとって、麒麟山はただ酔うためのものではなく、じっくりと向き合うべき美酒だったのですね。そして、蔵元はこうした人たちの期待に応えるべく、今日も努力を続けているというわけなのです。
冒頭に述べたとおり、今回の取材を通して、新潟のお酒に対するイメージは大きく変わりました。淡麗辛口は地域を反映した貴重な個性であり、流行ではないからと、手にとらないのは実にもったいない。むしろ、日本酒を辛口、旨口で分けるより、どれでも気取らず楽しめる人間でありたい。そう強く思った次第です。
ちなみに、「麒麟山」は新潟県内で8割が消費されるとのことですが、近年は吟醸などの高級酒を中心に、東京など都市部の飲食店でも見られるようになってきました。みなさんも、もしお店で見かけたら、ぜひ味わってみてください。願わくば、本稿で紹介した蔵元の思いとともに。きっと、淡麗辛口の良さがわかるはずですよ。
撮影/石上 彰(gami写真事務所)