わたしたち人間は、野生の動物です。そして、生きています。でも、よく考えてみてください。あなたが「ゾンビ」ではないと断言できますか?
『禅の名言100』(綾瀬凜太郎・著/学研プラス・刊)という本があります。禅語を学ぶことで「生きるとは何か」について考え直してみませんか?
飢来喫飯困来即眠
普通の人間が食ったり寝たりするのと覚者の食う寝るは、表面は同じでも同じではない。普通の人間は、飯を食うといってもほんとうに食っているわけではない。あれこれ考えながら片手間に食うのだ。
(『禅の名言100』から引用)
禅の名言・飢来喫飯困来即眠(きらいきっぱんこんらいそくみん)は、「腹が減ったら食べる、疲れたら眠る」という意味です。
なぜ、昼休みの決まった時間内に「食べる」のでしょうか? 勤め先の都合によって食べていませんか? ニンニクたっぷりのギョーザを、なぜ平日の夜に食べないのですか? 食べたいものを食べたいときに食べなければ、空腹は満たされません。
眠りたいときに、眠っていますか? 目覚ましのアラームで眠りを妨げているのではありませんか? 眠りたいときに眠りたいだけ眠らなければ、心身の疲れはとれません。
莫妄想
何かに迷っていて、何もできず、だれの役にも立たない。そういうほんとうに無駄な思考、つまり妄想を、禅は極端に嫌う。
(『禅の名言100』から引用)
禅の名言・莫妄想(まくもうぞう)は、「妄想してはならない」という意味です。
エッチなことを考えるな、犯罪計画を立てるな、という意味ではありません。正しく考えることができない者がどれだけ考えてもムダである、という意味です。
いちど考え始めると、わたしたちの脳みそは自動運転です。皮算用、逆恨み、嫉妬など、つまらない考えほど止めるのが難しくなります。その状態を「妄想」というわけです。
他事莫知
他人の弓は引くな、他人の馬には乗るな、他人の非は言うな、他人の事は知るな
(『禅の名言100』から引用)
禅の名言・他事莫知(たじしるなかれ)は、「他人のことは知なくてもいい」という意味です。
わたしたちは、他人のことを知りたがります。FacebookやInstagramなどのSNSが流行しているのは、まさに「人間の本性」を証明するものです。他人のことを気にしないほうが、たぶん心を穏やかに生きられます。
どうしても他人のことが気になる人には、自他不二(じたふに)という禅語があります。「自分と他人はつながっている」という意味です。
誰かに対する毀誉褒貶を声に出せば、いつか自分のところに返ってきます。わたしたち人間社会の「つながり」は、我が身を救うときもあれば、破滅させることもあるからです。SNSの投稿には気をつけましょう。
騎牛求牛
慧超が和尚に問う、「いかなるかこれ仏」
法眼いわく、「なんじはこれ慧超」
(中略)
みずから牛の背に乗っていながら、その牛に気づかず牛を追い求めているように、慧超は仏がどこか別の場所にあると思っている。だが、仏とはどこにもあって、もちろん自分自身でもある。それが仏のありようである。(『禅の名言100』から引用)
禅の名言・騎牛求牛(きぎゅうぐぎゅう)は、「牛に乗って牛を求める」という意味です。
牛に乗っているのに、牛を探し求める。この禅語は、ふたつの意味を含んでいます。ひとつは、自由にできる牛を所有しているのに、欲張って、もっと良い牛を求めること。無いものねだりを戒めています。もうひとつは、牛に乗ることが当たりまえすぎて、その価値を認識できない。固定観念、先入観、視野狭窄などを戒めています。
後悔や不満は、「足りない」と感じることから生まれます。しかし、それは「足りない」と思い込んでいるだけかもしれません。
ひとつのものに多くを求めすぎるのをやめましょう。学校や勤め先にまつわる「不足」、家族や友人や配偶者にまつわる「不足」など。足りないと決めつけないほうが、人生を楽しめるのではないでしょうか。
【著書紹介】
禅の名言100
著者:綾瀬凜太郎
出版社:学研プラス
「日日是好日」「一期一会」「喫茶去」「本来無一物」……仏教のみならず茶道、武道、華道、書道、詩歌にまで大きな影響を与えた、これだけは知っておきたい禅の言葉を厳選紹介。常識と固定観念を破壊し、人生に驚きの発想をもたらす、禅の知恵を学ぶ本!