ある大学の学園祭ライブで、ヘヴィメタルバンド以外を募集するとの告知がなされ、メタルファンから非難が殺到した。その理由は前年の学園祭でメタル系のバンドが演奏したところ、「子どもやお年寄りが怖がってしまったため」だという。「メタル→うるさい→怖い」というスムーズなイメージで本当に演奏機会が奪われてしまったわけだ。
闇雲に夢を追っている場合か
その一方で、スムーズなイメージだけで重宝されていると思われる音楽もある。「自意識の不良債権を背負ったすべての男女に贈るサブカルクソ野郎狂想曲!!」(オビ文より)との宣言のもと描かれたマンガ・渋谷直角『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』が浮き彫りにさせてくれるのはそのイメージだ。タイトルが突き刺してくれるように、雰囲気作りに流されるボサノヴァや、ムーディーなジャズは、誰も怖がらないし、オシャレなライフスタイルにすっかり馴染んでいく。
作品が何編か収録されているが、この「カフェでよくかかっている〜」のインパクトは突出している。闇雲に時代を象徴するミュージシャンになろうと夢を追いかける女は、今さら渋谷系のカヴァーを繰り返し、スポットライトを浴びる日を待つ。「テン年代のピチカート…みたいな?」と目を輝かせ、それに呼応しながら共に夢を追うライターや脚本家の姿も見える。ラーメン屋で働く同級生は、その仲間内では「夢がない」とバカにされる。安っぽいプロデューサーに弄ばれながらも、ようやく出会ったインディーレーベルの社長にしてカフェ経営もしているイケメンから、ボサノヴァのカヴァーCDで一曲歌わせてあげるよ、とのオファー。色めき立つが、その結果はとってもグロテスクだ。「オレらは男だし…」と夢を諦めていく男たちに絶望しながらも、それでも彼女は「有名になりたい」と繰り返す。
質問に答えないアイドルのインタビューを記事化してるほうが異常
その他の収録作品である「空の写真とバンプオブチキンの歌詞ばかりアップするブロガーの恋」「口の上手い売れっ子ライター/編集者に仕事も女もぜんぶ持ってかれる漫画」も、タイトルだけでズバリ主張が伝わるが、人を小間使いする業界人や夢が醒めるのを怖がるサブカル方面がなんとか気付かないようにしている艱難辛苦を、全て開けっ広げにしてしまう。
でも、泣ける曲を量産させられたり、流行っている小説を模倣したものを書かされたり、ほとんど質問に答えないアイドルのインタビューを無理やり記事化したりしているルーティンのほうが奇天烈なわけで、ここで描かれている容赦ないリアリティには顔を強ばらせるべきなのだ。
借り物のオシャレや本物志向や等身大を全て放り捨ててくれる
サブカルという「言葉」はすっかり嘲笑されがちな言葉に成り下がってしまったけれど、サブカルという「状態」はまだまだ憧れられているし、曖昧であればあるほど、目指す人を次々と引き連れていく。こういうものがナイスであり、こんなものはナンセンスである、という方程式を作る働きかけから逃れるために、つまり「サブカルクソ野郎」を自覚しつつも打破するために、本書はとっても役に立つ。
メタルバンドが学園祭のライブに参加するのを禁止されるのは、「メタルはうるさい」の他に、「○○はイイ」という判断があるからに他ならない。でも、その価値観って、どうせ誰かに植え付けられたものに違いない。そんな借り物のオシャレや本物志向や等身大を全て放り捨ててくれる、とっても誠実な一冊である。
(文:武田砂鉄)
【文献紹介】
カフェでよくかかっているJーPOPのボサノヴァカバーを歌う女の一生
著者:渋谷直角
出版社:扶桑社
ミュージシャンを目指して活動するも芽が出ないまま35歳になった女が、枕営業の末、インディーレーベルプロデュースのJーPOPのボサノヴァカバーCDのなかの一曲を歌えることになったが……。いい年して夢を捨てきれず、サブカルにまみれて自意識ばかりが肥大した、残念な20代、30代男女の肖像をシニカルな筆致で描く連作短編集。