「ケンタッキーフライドチキン」と聞けば、ほとんどの人が思い浮かべる顔があるだろう。白いスーツに白髪にメガネ、そして立派なヒゲをたくわえた男性。ケッタッキーフライドチキンの創業者カーネル・サンダースだ。多くの店舗では、店員より先にカーネルの立像が微笑みかけてくれる。そんなカーネルの生涯が、立像の笑顔からは想像できないほど波乱に満ちていたのはご存じだろうか?
今回は『時代を切り開いた世界の10人 第8巻カーネル・サンダース』(高木まさき・監修/学研プラス・刊)から、知られざるカーネルのがけっぷちエピソードをご紹介していきたい。
突然の事故
カーネルは18歳という若さで結婚。その頃から飲食業に携わっているのかと思いきや、弁護士の見習いや保険のセールスマンなどバラバラな職を経て、道路会社などを立ち上げる。しかし経営に行き詰まり、起業した会社は全て倒産。心機一転、タイヤの販売会社に33歳の時に就職したカーネルは、メキメキと売上を伸ばしトップセールスマンになった。そんなノリにノッていた矢先に災難が降りかかる。
家の前のつり橋を車で渡っていたら、カーネルの車が橋の上で止まってしまった。そしてツイていないことに、つり橋のロープが切れて橋がひっくり返り、カーネルは10メートル以上も深い谷底に投げ出されてしまうという、まるでアクション映画のような事故に見舞われたのだ。
カーネルは命こそ助かったものの、車と仕事を同時に失いゼロからのスタートを強いられたのだった。
まさかの火事…
事故のケガが治った後、カーネルは石油会社の支配人と知り合いガソリンスタンドを始めることに。他の店との差別化に力を入れていたカーネルは、スタンド内に小さなレストランを作って、自慢の料理を振る舞っていた。その、ケンタッキーフライドチキンの原型ともいえる料理が評判になり、レストランを次々とオープン。さらに、フライドチキンを楽しめる食堂が売りの宿泊施設も開いたら、これが大当たり!
4年半先まで満室という大人気の施設となった。「これから!」と思っていた矢先に、またもやカーネルに災難が降りかかる。
なんと、この宿泊施設の食堂から出火し、建物全体に燃え広がる火事が起きたのだ。カーネルが連絡を受けて到着した時には、すべてが灰になっていたという。しかし、カーネルは「ピンチはチャンス」がモットー。この灰になった広大な敷地に、新たにレストランを作るためにすぐに動きだすのだった。
借金、そして離婚…
宿泊施設から大きなレストランへと生まれ変わったお店は大繁盛。カーネルの年齢も60近くなり、落ち着いた生活になるかと思いきや、そうもいかないのがカーネルの人生…。
「飛行場建設」という新たな事業を持ちかけられ、カーネルはお金を出したものの、事業の話を持ちかけてきた人とケンカ別れに…。しまいには、この事業を市が管理することになり、お金が返ってこないどころか莫大な税金を徴収され、多額の借金を負ってしまうのだった。
悪いことはさらに続く。このタイミングで長年連れ添った妻から「別々の人生を歩もう」と思いもよらぬ言葉をつきつけられる。普通のサラリーマンだったら定年間近で、余生をどう過ごすか考えるような時期に、カーネルは熟年離婚をし、お金もゼロという、人生何度目かのどん底を味わっていたのだ。
60歳までジェットコースターのような浮き沈みのある人生を送ったカーネル。
実は「ケンタッキーフライドチキン」はカーネルが60歳を過ぎてから世界に広まっていく。還暦を超えて数々の成功を収めていった人というのは、とても珍しいのではないだろうか。
何度もゼロからのスタートをきり、おもてなしの精神を詰め込んだフライドチキン誕生秘話など、カーネルの60歳以降のサクセスストーリーが気になる方は、ぜひ手に取ってもらいたい一冊だ。
(文:凧家キクエ)
【文献紹介】
第8巻 カーネル・サンダース
著者:高木まさき(監修)
出版社:学研プラス
ケンタッキー・フライドチキンの創業者で、今も店先の像で有名なカーネルおじさんの物語。その波瀾万丈の生涯から、「人生は何度でも挑戦できる」「好きなものにこだわる」「幸せは分かち合うもの」など、多くのメッセージが子どもたちにとどくだろう。