ヨシムラヒロムの一階通信 第二階 株式会社文藝春秋
企業のエントランスは、その企業を表す顔だ。
連載「一階通信」ではエントランス部分から見える企業の顔を取り上げる。1階にエントランスがない企業も多々あるが、それはご愛嬌。受付や入口があるフロアを総じて「1階」と呼び、エントランスから企業を紐解く。今回は、ベッキー、SMAP、ショーンKとスクープ連発の「週刊文春』」を発行する株式会社文藝春秋社を一階通信!
一階通信002 株式会社文藝春秋 サロン
持ち込みは、自由業を生業とするの人間にとって大切な行為だ。出版社に連絡をし、アポとる。編集者と面接をし、自分のいままでの成果物を見てもらう。その際に大事なのは、ツテの有無である。先方に何か縁があったり、知り合いの紹介だったりすると、信用という部分の担保はあるので物事がスムーズに運ぶことが多い。もちろん能力が第一だが、コネも重要なワケだ。だから、常になにかしらのコネを求めている。書くのもお恥ずかしい話ではあるが。
文藝春秋に最初に足を運んだのも、中学時代の同級生T氏が働いているというコネを頼ってだ。15年ぶりの再会であったが、T氏は快く招き入れてくれた。通常、出版社との持ち込みは編集部の担当者デスクか打ち合わせ用のスペースで行われる。
文藝春秋の場合は違った。「ヨシムラ、サロンで話し聞くよ〜」とT氏。
サロン・・・?
はて、サロンである。サロンだ。正直、サロンが何か判らない。しかし、言葉の響きだけでステキな場所と想像できた。
サロンは、文藝春秋のエントランスの横にある観音開きのガラス戸を開けた先にある。一足踏み入れた瞬間、重厚な雰囲気に緊張が走った。一見、歴史ある老舗純喫茶みたい。
広いスペースに机がポツン、ポツンと並ぶ。案内された席に座ると「好きなもの頼んでいいよ」とT氏。なんとサロンでは、コーヒー、紅茶、緑茶(アイスも可)の好きなもの注文していい模様。僕はT氏にオススメされた、アイスティーを注文した。出版社、編プロ、広告代理店、デザイン事務所、今まで色々な場所に持ち込みをしたが、ここまで手厚い歓迎を受けたのは初めてで、文藝春秋の異常なおもてなし力に驚きを隠せなかった。僕はT氏に今までやった仕事の説明をしながらも、脳内では「サロンすげぇ、サロンすげぇ、サロンすげぇ」と反芻していた。
持ち込みから数日後。知人から誘われた飲み会で、偶然にも文藝春秋で編集をしているO氏と出会う。僕が「サロン、サロン、サロンの取材がしたい」と言っていると「聞いてみます」と返事。O氏の尽力で取材許可がおり今回の運びとなった。
1966年、文藝春秋は銀座から現在の麹町に移転した。そこがいまもなお本社。銀座の時代は、文士が文藝春秋に集った際に近隣の酒場に行けたが、麹町となると酒場がない。「ないなら作ればいいじゃない」(創業者、菊池 寛が言ったかどうかは分からないが・・・)と作られたのがサロンの始まり。なのでサロンの奥には、バーカウンターも併設されている。
サロンは、小さな体育館ほどの広さ。入り口側が25席の禁煙席、奥が38席の喫煙席だ(喫煙席のほうが多い)。後者には昔懐かしいガラスの灰皿が置かれる。上記したが、客人は3種類のドリンクから注文可能。一番人気は、文藝春秋のためだけにブレンドした豆を使ったコーヒー。並の喫茶店なんかでは、比べものにならいほどに美味い。
著名な大作家から、広告マン、新米のイラストレーター、誰もがサロンで打ち合わせをする。僕のような新米でも、親切に出迎えてくれるのは文藝春秋の粋だろう。また、開かれたサロンには「一人の作家に対して、様々な部署の人間も行き来きできるメリットがある」とO氏は話す。
右奥の一番大きな机は、芥川賞と直木賞をとった作家が受賞後、関係者にあいさつをする文学界のサンクチュアリ。安部公房氏、村上 龍氏から又吉直樹氏と歴代の受賞者が座った席だ(イラストで予約プレートがある席)。
サロンを見回し一番目立つのは創業者、菊池 寛の銅像だろう。彼は、相当な愛煙家だったようで銅像もタバコを吸っている。ココで気づいたのは文藝春秋の喫煙者への配慮だ。O氏曰く「昔は編集部での喫煙もOKだった」とのこと。タバコを肯定するわけではないが、喫煙に関する文化は肯定したいという気概を感じた。
そう、文藝春秋とは古き良き文化を愛でる社風。”キープオン活字文化”の意気がサロンから垣間見えた。
【株式会社文藝春秋の一階通信見どころまとめ】
①サロンそのもの
②オリジナルブレンドコーヒー
③菊池 寛像
【URL】