はじめて見たゾンビは、ドラクエの「くさったしたい」だ。ゾンビに対する印象といえば「襲いかかってくる死人」にすぎなかった。興味がなかったはずなのに、いまごろになってゾンビ映画やゾンビ漫画にハマりだした。
わたしが「ロメロ」にたどりつくまで
ゾンビを語るときには、映画監督ジョージ・A・ロメロの「ゾンビ三部作」が欠かせない。ロメロが1968年に制作した映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』は、映画史においてもゾンビフィクション史においても記念碑的な作品だと言われている。だが、わたしが「ロメロのゾンビ映画」をはじめて観たのは、つい最近のことであり、ようやく35歳になってからだった。
それまでゾンビに縁が無かったわけではない。初代プレイステーション(PS)の『バイオハザード』が発売されたのは1996年。当時のわたしは人並みにゲームをたしなむ高校生だったが、生粋のセガサターン(SS)信者であり、たとえ友人宅であってもPSソフトをプレイすることを自分に禁じていた。翌年に発売された『SS版バイオハザード』は、信仰上の理由により購入を断念している。(本心では遊びたかった)
やせ我慢をしているうちに成人になり、テレビゲーム全般への興味が薄れていった。そんな心境のままむかえた2002年。映画『バイオハザード』が公開される。先に述べたとおり、わたしは原作ゲームの内容を知らない。だが、ミラ・ジョヴォヴィッチの美しさにひかれて映画を観た。面白かった。「くさったしたい」以来のゾンビ体験である。
まだロメロには遠い。なぜなら、わたしにとっての映画版『バイオハザード』は、美しきアリスの華麗なるアクションを楽しむものであったからだ。ゾンビは特別な存在ではなく「くさったしたい」同様に「モンスターの一種」にすぎなかった。
わたしの次なるゾンビ体験は、2010年に放映されたテレビアニメ『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』だった。ゾンビ映画へのオマージュが多く含まれている。ここでようやくロメロに近づいたわけだが、わたし本人には自覚がなかった。
それから5年後の2015年。福満しげゆきの漫画にハマったことによって、わたしはロメロ作品と遭遇する。
福満しげゆきのゾンビ語りに触発されて
福満しげゆきは『就職難!!ゾンビ取りガール』という作品を描いている。代表作である自伝的エッセイコミック『うちの妻ってどうでしょう?』や『僕の小規模な失敗』においても、ゾンビ映画への愛情を表明していた。福満さんがそんなに熱中するならば……と思い、35歳にしてようやくわたしはロメロ作品に手を伸ばす心境になったわけだ。
三部作のうち第2作目である『ゾンビ(原題:Dawn of the Dead)』が、わたしにとっての初ロメロ体験だった。これは1978年に制作されたアメリカ映画だ。原因不明のゾンビ化によって世界が終末に近づいていくなか、生き残った男女3人がショッピングセンターに籠城してゾンビの群れのなかでサバイバルする話だ。ロメロの出世作とも言われている。詳しい解説は、のちほど。
たしかに『Dawn of the Dead』は面白かった。ゾンビフィクションの源流であり、当時の大量消費社会への警鐘を感じさせながらも、退屈しない娯楽映画として成立していたからだ。ゾンビ映画における数々の「お約束」を確認することもできる。まさに元祖だ。
それからというもの、福満さんが挙げていたゾンビ作品に手を伸ばしはじめる。近所のTSUTAYAに行って、めぼしいゾンビ映画をレンタルした。『28日後…』『バタリアン』『ドーン・オブ・ザ・デッド(Dawnのリメイク)』『ショーン・オブ・ザ・デッド』『ゾンビランド』『ワールド・ウォー・Z』など。
映画鑑賞にすこし疲れたら、箸休めに「ゾンビ漫画」を読むことにしていた。花くまゆうさくの作品集『東京ゾンビ』は、福満しげゆき『就職難!!ゾンビ取りガール』に少なくない影響を与えている。古泉智浩の作品集『ライフ・イズ・デッド』『青春と憂鬱とゾンビ』は、花くま・福満の両氏に触発されて描いたゾンビ漫画だ。いずれも映像化やスマッシュヒットを達成しているため、わたしは彼らのことを「ガロ出身のゾンビ御三家」とひそかに呼んでいる。
オススメのゾンビ3作品と3つの主題
わたしがオススメする入門者向けゾンビ作品は『ゾンビ(原題:Dawn of the Dead)』『ショーン・オブ・ザ・デッド』『青春と憂鬱とゾンビ』の3作品だ。映画2本と漫画1冊。ロメロ作品でゾンビの基本を学び、『ショーン』でゾンビパロディを楽しみ、日本を舞台にしたゾンビ漫画を読むことによってゾンビという題材がそなえている批評性を確認できる。
【ゾンビ(原題:Dawn of the Dead)】
この映画でもっとも注目すべきなのは、登場人物たちがゾンビに対して罪悪感をあらわにしていることだ。考えてもみれば当然で、初期のゾンビ映画の主人公たちは、ゾンビを「モンスター」ではなく「生者にかぎりなく近い存在」と認識しているからだ。序盤から中盤のあいだは「ゾンビを撃退(射殺)する行為は後味の悪いもの」として描かれている。
もうひとつ。ロメロのゾンビは、動きがのろい。ゆっくりと前に進むことしかできない。ヒトの肉や内臓を好むので襲いかかっては来るものの、動きがおそい。かれらは危険だが、1対1であったり、足にケガをしていなければ、たとえ女性であってもロメロゾンビに食われてしまうことはない。
だが、2004年にリメイクされた『ドーン・オブ・ザ・デッド』では、ゾンビたちは元気いっぱいに走って追いかけてくる。この「歩くゾンビ」「走るゾンビ」という設定のちがいは、ゾンビフィクションを語るときには欠かせない。わたしの印象では「走るゾンビ」が登場する作品はエンタメ性が色濃い傾向にある。娯楽色が強い『ワールド・ウォー・Z』や『バタリアン』にいたっては、かれらは全力疾走してみせる。
その一方で、元祖ロメロを筆頭に「歩くゾンビ」が登場するものは批評性やメッセージ性が強いように感じる。
【ショーン・オブ・ザ・デッド】
ゾンビ映画を語るうえで欠かせないのが、2004年にイギリスで公開されたコメディ映画『ショーン・オブ・ザ・デッド』だ。登場する「やつら」は、ゆっくりと近づいてくる「歩くゾンビ」だ。
イギリスでは市民が銃を所持する習慣をもたない。米国の銃社会への皮肉が見て取れる。イギリス国内でゾンビが大量発生したとき、迫りくるかれらに対抗する手段は「なぐる」「車でひきころす」「逃げる」ことしか出来ない。そんな光景をコメディタッチで描いた笑える作品だ。
ゾンビコメディ映画『Shaun of the Dead』は、その名のとおりロメロの出世作『Dawn of the Dead』をもじっている。ゾンビの金字塔的作品から25年以上を経て登場した『ショーン』は、ゾンビ映画だからこそ可能なテーマを提示している。それは「友人や家族だった者がゾンビになってしまったらどうする?」というものだ。
《すこしだけネタバレ注意》主人公はショーンという青年だ。離れて暮らしている母親のことを大切に思っている孝行息子でもある。実家で暮らす母には同居相手がいた。義父であり母の再婚相手なのだが、ショーンは「父」として認めていなかった。そのように毛嫌いしていた義父が、ゾンビに噛まれてしまう。すぐ殺さなければショーンたちは全滅する。あんなに嫌いだったはずなのに、なぜかショーンは義父の「処分」をためらってしまう。《ネタバレここまで》
仲間だった者がゾンビにかまれてしまう状況は、これまでのゾンビ映画では珍しくない。だが『ショーン・オブ・ザ・デッド』という作品は、自覚的に「親しい人間がゾンビになりかけたときの究極の選択」をクローズアップしている。
【青春と憂鬱とゾンビ】
現代において「身内ゾンビ」問題にもっとも自覚的といえるゾンビフィクションが『青春と憂鬱とゾンビー古泉智浩ゾンビ物語集』(古泉智浩・著/太田出版・刊)だ。理性の喪失や人肉嗜好といった「ゾンビ化」がコモディティ化してしまった現代日本を描いている。
本書は短編マンガ作品集だ。ここでは収録作のひとつ『地下芸人がゾンビに噛まれた結果ww』という全5話の物語を紹介したい。
年間発症者数5千人
感染者は10万人と言われている
アンデッド・ウィルス疾患
皆さんにも身近な存在ではないでしょうか発症者による噛みつきの他
感染者との性交渉などでも感染します情報の周知 新薬開発で
減少傾向にありますが
まだまだ大きな社会問題です(『地下芸人がゾンビに噛まれた結果ww』から引用)
主人公の渡辺学は、売れないお笑い芸人だ。ステージ3と呼ばれる進行状況の「アンデッド・ウィルス患者」であり、みずから「ゾンビ」をネタにして活動している。鉄板ネタは、漫才の最中に「ボケ役の渡辺がついにゾンビ化して相方や観客を襲いはじめる」というものだ。とても笑える。
そんなアンデッド渡辺の闘病生活を題材にして、テレビ局が「余命3か月のゾンビ~ある漫才師の青春」というドキュメンタリーを制作している。いわゆる「HIV陽性や難病を抱えながらも夢に向かってがんばっている人たち」のパロディだ。ブラックユーモアに属するので、読者を選ぶかもしれない。
このドキュメンタリーがヒットしたおかげで、アンデッド渡辺は「売れない地下芸人」から「人気タレント」へとステップアップしていく。渡辺のもとには売名目的の女芸人が近づいてきたり、コンビを組んでいた相方に裏切られたりと、ゾンビを売りにしたことによって、残り少なかった人生が暗いものになっていく。
『青春と憂鬱とゾンビ』の収録作は、古泉智浩のゾンビ長編マンガ『ライフ・イズ・デッド』の世界観を踏まえている。性行為によってゾンビウィルスに感染してしまった青年を軸にして、感染元である尻軽女や、息子がゾンビ化する日にそなえて護身用の拳銃をひそかに用意している家族の苦悩と葛藤を描いたものだ。「ゾンビとの共生は可能か?」という最先端の命題を考えるのに欠かせない一冊といえる。
(文:忌川タツヤ)
【文献紹介】
青春と憂鬱とゾンビー古泉智浩ゾンビ物語集
著者:古泉智浩
出版社:太田出版
ゾンビはもう、そこにいる。
「オレにゾンビを殺させろ」「お前はゾンビをなめすぎだ」
現代日本ゾンビ漫画の第一人者が刻む、
ビターで進行形の終末青春黙示録。
●TVドキュメントに取り上げられ急激に売れっ子になった“ゾンビ芸人"の壮絶な運命を描く
「地下芸人がゾンビに噛まれた結果ww」(※WEB連載版にオリジナル・ラストシーン1P追加!)
●優しかった親戚のおじさんが10年後にゾンビになっていた「ゾンビの森」
●ゾンビ化直前に全身全霊でライブ現場に向かうドルヲタの最期「日本一スカートの短いゾンビ」
他「ファイト・オブ・ザ・リビングデッド」「涙がとまらないゾンビ」等、
傑作中短編全5篇収録!!