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2018/7/19 21:00

アナウンサーから女優へ。母・野際陽子が娘へ遺した言葉とは

あの野際陽子さんを母に、千葉真一さんを父にもち、自身も役者として活躍する真瀬樹里さんにインタビュー。

 

“役者一家”と聞けば、とても華やかなイメージがあるものの、実際の家族関係はどうだったのか? 母親からどんな影響を受け、どんな言葉をかけられて育ったのか? 母・野際陽子さんの生涯と素顔を綴った著書を出版したいま、あらためて振り返って語ってもらいました。

女優 真瀬樹里さん

1994年に映画「シュート!」でデビュー。2004年にはクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビルVOL.1」に出演し、殺陣指導も行うなど映画界のアクションシーンに貢献。その後もテレビドラマ・映画・演劇などで活躍し、2017年10月にスタートしたテレビ朝日帯ドラマ劇場「トットちゃん!」では、母である野際陽子さん役として出演。野際陽子さんの生涯と素顔を綴った著書『母、野際陽子 81年のシナリオ』(朝日新聞出版)を出版。
https://twitter.com/jurimanase

 

役者一家に育ち、自然と役者を志した幼少期

「真瀬さんが書いた『母、野際陽子 81年のシナリオ』、読ませてもらいました。野際陽子さんって、クールで聡明な女性というイメージだったから、あまりの天然ぶりにビックリです!」

 

「私の母はとにかく、人を楽しませたい、笑わせたいという人。クールとはかけ離れた、ひょうきんな女性でした。トーク番組ではそういったひょうきんな一面も見せていましたが、視聴者の方からするとドラマで演じた母親のイメージが強いのでしょうか。役柄と実際の母を重ねると、コメディを演じているときのほうがずっと、素に近いくらいでした(笑)」

 

「本当にいろいろな役を演じていらっしゃいましたよね。 そんな名女優を母に持ち、父は名俳優の千葉真一さん。役者一家に育ったわけですから、真瀬さんが役者を目指したのも自然な流れだったんでしょうか?」

 

 

「物心がついたときから、将来の夢はずっと役者でした。幼いころから父や母に連れられて撮影現場にお邪魔して、芝居をいろいろ目にしていました。だから芸能界という華やかな世界への憧れというより、もっと素直に『役者って楽しそう! 私もやりたい!』という思いでしたね」

 

「親の背を見て子は育つ”なんて言葉があるけれど、真瀬さんが役者を目指したきっかけも、まさにその通りだったんですね」

 

「ところが、当時の母はそれに猛反対。私がどんなに強く『子役をやりたい!』と訴えても、『ダメ! 芝居を仕事にするのは高校を卒業してから』の一点張りでした。普段はひょうきんな母ですが、意志の強い女性でもあります。だから反発するなんて、もってのほか。5歳のときから、役者の道しか考えられないと思っていた私からすれば、抑圧されている感覚です。『どうして許してくれないの?』と思い悩み、その気持ちすら満足に伝えられない。泣いてばかりの思春期でしたね」

 

「ひとりの母として、学業を優先させたかったのかもしれませんね。私にも娘がいるから、野際さんの気持ちが分かる気がします。もちろん自分も子どものころは、お母さんに反発していたけれど(笑)」

 

「私が子どもだった当時は、子役がなかなか大成しない時代。今でこそ、子役からこの世界に入って成長し、大人の俳優になる方が多くいますが、当時は違いました。そこで母は、私の将来を思って『役者の仕事は高校卒業後から!』と言って、学業を優先するようにしてくれたのかもしれません。おっしゃる通り、親心からだったんですよね」

 

「そして真瀬さんは、大学在学中に役者デビュー。高校卒業後、すぐに夢を叶えたわけですね! デビューが決まったとき、野際さんはどんな言葉を掛けてくださったんですか?」

 

「特にお祝いの言葉はなく、『まずは現場を見てきなさい、経験を積んできなさい』とだけ(笑)。若いうちから仕事を始めることに反対していた母ですが、役者になりたいという夢そのものは応援してくれていました。私が中学・高校と所属していた演劇部の舞台についても、『台詞はこう発声しなさい』と実践的なアドバイスをくれましたし。そして、何より感謝しているのが、たくさんの習い事をさせてくれたことです」

 

 

「そうでしたね! バレエをはじめ、水泳にスキー、ピアノやエレクトーンにヴァイオリン、さらに書道も習っていたとか」

 

「実はそれも一部で、もっと多くの習い事をしていたんです。役者の仕事を禁じられていた幼い私にとって、習い事が心の拠り所でした。役者の養成所に入ると、歌や踊りのレッスンがありますが、『私は同じことを、もっと専門的に学べているんだ』『この頑張りが、いつか役者の仕事につながるに違いない』と、自分に言い聞かせていました。その結果、特技が多いということが私の特技と言えるようになりました(笑)。殺陣をやっていたことが『キル・ビル VOL.1』での殺陣指導や出演につながりましたし、もしピアニストの役が舞い込んだとしても、リアルに演じられる自信があります」

 

「小さいころの努力が、いつか仕事につながる。この言葉は、将来の夢が役者でなくとも言えることですね!」

 

ここまでのまとめ

役者をするお母さんの生き生きとした姿を見て育った真瀬さん。ところが、幼いころは子役活動を許されず、抑圧された子ども時代を過ごしたというのは意外でした。けれど、その子ども時代に頑張り続けた習い事が、真瀬さんの役者人生を今支えているとは、やはり何事も無駄にはなりませんね。

 

親が生き生きとした姿を見せること、そして習い事を続けることの大事さを学んだところで、ひとまずブレイクタイム。野際さんと真瀬さんの“母娘の恋バナ”から、野際さんの逝去から少し経った今だからこそ話せる秘話まで、つづきはGetNavi web本サイトで。

 

【書籍紹介】

『母、野際陽子 81年のシナリオ』真瀬樹里(朝日新聞出版)

 

参ったなぁ……と、いつも困っている「参田家(まいたけ)」の面々。今回はお母さんが「母として子どもにどう接するか」のヒントをもらうべく、野際陽子さんを母にもつ女優・真瀬樹里さんのもとを訪ねたようです。

参田家の人々とは……
maitake_family
ちょっと気弱なお父さん、元気でしっかり者のお母さん、もうすぐ小学生の娘、甘えん坊の赤ちゃん、家族を見守るオスの柴犬の4人と1匹家族。年中困ったことが発生しては、宅配便で届いた便利グッズや、ご近所の専門家からの回覧板に書かれたハウツー、知り合いの著名なお客さんに頼って解決策を伝授してもらい、日々を乗り切っている。