生き方にこだわる人、こだわりのある暮らしをしている人。そんな人にスポットをあて、こだわりを貫くために住まう家とはどのような場所なのか、それぞれにとっての「家」の存在を紐解いていきます。
友達の家へ遊びに来た翌日に、「ここに住む」と決めてしまった
雨にしっとりと濡れて、艶めく緑。足元からふわりと漂ってくる、湿った土のにおい。鬱蒼と茂る、森の中に立ち並ぶログハウスで暮らすその女性は、目の覚めるような真っ赤なリネンのワンピースで、取材班を温かく出迎えてくれました。
ここは千葉県のいすみ市。都心から車で約1時間半の近距離でありながら、豊富な海の幸・山の幸に恵まれ、首都圏における“住んでみたい田舎”として高い人気を誇り、近年都心からの移住者が増えているエリアです。今回訪ねた相手は、岡本きよみさん、51歳。いくつかの外資系企業を経て広報・PRとして独立し、現在も仕事で世界中を飛び回っている彼女は、約5年前からここで生活を始めました。
かつては東京・六本木にオフィスを構え、世界の名立たるラグジュアリー・ブランドをPRする多忙な日々を送っていた岡本さん。多くの女性が憧れるであろう一流のキャリアを築いてきた彼女は、一体どんな経緯でこの地にやってきたのでしょうか。
「最初のきっかけは、いすみ市に暮らす友達の家へ遊びに行ったことでした。アメリカ人男性と日本人女性のカップルなのですが、旦那さんがコピーライターで田舎でも仕事ができるからと、いすみに移住した人たちだったんです。当初は日帰りで行くつもりが、何だか居心地が良くて1泊してしまい、その次の日に、近所にあったとある森の中の果樹園のことを教えてもらいました」
それは約30年前、オーストラリア人と日本人のカップルが週末を過ごす別荘として開拓したという、広大な果樹園付きの家だったそう。
「オーナーはすでに年老いていて、10年くらい放置してあるから買い手を探している、と。友人に『きよみさん、きっと好きだと思うよ』と言われたので、実際に見に行ってみました。長年手つかずだから、当然家の中はぐちゃぐちゃ。でもその日のうちになぜか、『ここに住もう』って決めちゃったんです(笑)」
それが、岡本さんといすみ市との最初の出会い。友人宅に遊びに行った時点では、移住のことなど「頭の隅にもなかった」というのだから、ずいぶん衝動的な行動に思えます。しかも賃貸とはいえ、手入れの必要な広い果樹園付きの家という特殊な物件。一体何が彼女を決断させたのか? よくよく話を聞いてみると、岡本さんにとってごく自然な理由と流れがありました。
「私は神戸の生まれで、父親が自然を大好きな人。小さな頃から父の趣味の園芸や農園を手伝ったり、家で犬や猫、ニワトリにアヒル、あとはミニ豚まで(笑)、たくさんの動物を飼っているような環境で育ちました。大人になってからは得意だった英語を活かせる旅行会社やホテル関係に勤めたのですが、20代後半のころ、P&Gという会社で広報部に配属になったんです。当時の私は芦屋で暮らしていて、数年前に結婚もして子供がいましたが、乳幼児がふたりいても関係なく採用してくれた先進的な会社でした。そのころ大阪で長年自然農法をやっている方に出会い、子供を連れて合鴨農法でお米を作るのをお手伝いしに行ったり、そこでお米や野菜を分けてもらったりするようになったんです。やっぱり自然に触れていたいという思いが強かったんでしょうね。自分も自然農法の野菜を食べて育ったように、子供にも同じ経験をさせてあげたいと思っていました」
チャンスは今しかないかもしれない。舵を大きく切ったニュージーランド移住
子育てをしながらP&Gで会社勤めを続けていた岡本さん。アメリカ本社からきた広報ディレクターのもとで働きつつ、プライベートでは自然農法や食についての造詣を深めていった彼女は、入社から10年後にある大胆な決断をします。
「しばらく海外で子どもたちと暮らそう、と思ったんです。中でもニュージーランドは、旅行会社時代に滞在したことがきっかけで惚れ込んだ国のひとつでした。今でこそニュージーランドのオーガニック製品はたくさん日本に入っていますが、当時は日本の薬事法に引っかかるようなものが大半で、その良さがほとんど知られていなかったんです。でも今後は、日本でもオーガニックのコスメやアロマテラピーなどがきっと注目されると考えていました。年齢はすでに30代後半。個人的にも趣味として昔からハーブの栽培をしていたこともあり、子供たちを連れて行けるとしたら今がタイミングだと思ったんです。現地で具体的にどんな仕事をするかはあまり考えていなかったのですが、移住先で偶然現地のラベンダー農家の方に出会いました。この出会いをきっかけに、日本向けの製品を作るためのコンサルティングのような仕事を始めるようになったんです」
その後ニュージーランドで1年間暮らし、現地でしか手に入らない商品を日本に紹介するなどしていた岡本さんは、再び転機を迎えました。父親ががんに倒れ、急遽日本に帰らねばならなくなったのです。
「芦屋に戻って3ヶ月後に、父は亡くなりました。そのころからPRの仕事を日本でも手がけるようになっていたのですが、どうせ広報をやるなら東京の方が面白いだろうと思って、ここで人生で初めて上京したんです。ちょうど38歳のころでしたね。最初は広報代理店に勤め、ラグジュアリーブランドや日本に進出してくる外国企業などのPRをしていました。そのうちに独立して、化粧品や外国車を含むいろいろなラグジュアリー系ブランドなどの仕事を手がけるようになり、法人化もしています。思えば、日常で植物や自然に触れ合わない生活をしたのは、人生であのときが初めてだったかもしれません。毎日がプレゼンやレセプションの繰り返しで、その度に上から下までキレイに着飾って出かけるっていう。それはそれで勉強にもなったし、たくさんの良き友人にも出会えましたよ。だから面白い毎日ではあったんだけど、数年したらちょっと疲れてきてしまったんですよね。だんだんモノに興味がなくなってきて、食文化や旅とか、そういう分野のことをやりたいと思うようになって。それが40代半ばのころです。更年期だったのか体調にも不安を抱えていました。そんなときに、いすみの友達の家に招かれたんです。海も山も近いし、食べ物もおいしい。私がいま求めていたのは『ああ、ここだな』ってすぐに思いました」
いすみとの出会いによって仕事の内容も暮らしも一変
紹介された果樹園付きの家をふたりの息子たちと片付け、物件に出会って2ヶ月後には世田谷のマンションを解約して引っ越し。それからは、暮らしも仕事も目まぐるしいほどの勢いでどんどん変わっていったといいます。
「まず、暮らし始めて1年間で、いすみにたくさんの友達ができたんです。計2年間ほど果樹園とゲストハウスを営みながら、移住者や地元の方たちと交流を深めていきました。そのうち東京の友人たちも果樹園に集まるようになり、地元の食文化に関わるような仕事も始めて。そんな中で新たに出会ったのが今暮らしているログハウスでした。ここは元々イベント会社の社長さんが住んでいたのですが、その方が転居することになり、私が森のオフィスとして借りることにしたんです」
それから3年余りが経過し、相変わらずPRの仕事を続けながらも、この地に惹かれて訪れるさまざまな人を対象とした食のワークショップを行うなど、アクティブに動き続けている岡本さん。
「収入は東京にいたころに比べるとかなり減ったけれど、子供たちももう独立しているので自分が食べていくには充分。そもそも高い家賃や、レセプションに行くための高価な靴や洋服が必要なくなりましたからね(笑)」
大好きな猫はいつの間にか増えて6匹、愛犬は2頭。たまの休日には、息子たちがそれぞれのパートナーを連れて、あるいは日本中、世界中の友人たちが遊びにやってくるとか。
「近くの森で友人の結婚式をしたこともありますよ。うちから軽トラで料理を運んでね」
仕事で海外出張に出ることも多い岡本さんですが、そんなときは近所の友人たちや息子たちがペットの面倒を見てくれるのだそう。帰国したらお土産話とともに得意の料理をふるまうそうです。そんなギブ・アンド・テイクが自然と日常の中に生まれていく暮らしは、東京にいたころに比べるとストレスがほとんどないようです。
これからも仕事を楽しんで生きたい。だから場所にはこだわりたくない
「辛かった体調は、ここに来たらいつの間にか治っていました。ただ私の場合、いすみにずっと居続けるかどうかはまだ分かりませんし、東京に会社がありますから、田舎に引きこもるという感覚で暮らしているわけでもないんです。芦屋だって東京だってやっぱり好きですし、それぞれに大切な友人たちもいますからね。たったひとつの好きな場所を見つけて、そこで自給自足で暮らすという人生ももちろん素敵なもの。ただ私は、どこに暮らしていたときもその場所を気に入って自分なりに楽しんできたけれど、しばらくすると次のところへ行きたくなっちゃう。きっとそういう性分なのでしょうね(笑)」
世界中のあちこちへ飛び立つチャンスがあるPRという職業。そして、幼い頃から鍛えてきた、自然の中で暮らしていくためのスキルと食に対する感性。この確固たる根っこがあるからこそ、今後の人生にも特に不安は感じていないといいます。
「例えば東京からの仕事がなくなったとしても、今の自分ならどこでも暮らして行けるんじゃないかと思っています。だったら、その時々で興味が湧いたりご縁が繋がった場所で、好きなように暮らしていけるのが、私にとっていちばんの幸せなのかなって。むしろ今は、20代くらいの若い人の方が、田舎での自給自足、隠居生活みたいなものに憧れてたりしますよね(笑)。その人の価値観だからそれはそれでいいと思うんだけど、私はやっぱり東京や海外で仕事をすることの面白さを知ってしまってるから、それだけじゃつまらなくなっちゃう。むしろこれからは、子育ても終えてますます仕事中心で生きていくことになると思うんです。少なくともオリンピックまではこの家にいるつもりだけど、きっと数年後には、また違う場所で暮らしているんじゃないかな。東京に戻るかもしれないし、海外のどこかで気に入った街を見つけるのかもしれない」
心からやりたいと思う仕事との出会い、その働き方を叶えるための家との出会い。それは人生のなかで決してひとつとは限らなくて、いくつ正解があったっていい———
目の前にひらけた可能性に屈託なく飛び込んでいく岡本さんのスタンスに、どこか肩の力が抜けるような解放感を感じた取材班一同。しなやかに生きる岡本さんをどっしりと抱くこのログハウスには、そんな彼女の生き方に惹かれ、共感する仲間たちが今日もにぎやかに集っています。
取材・文=小堀真子 撮影=真名子