大学医学部の女性受験生に一律の減点が行われ合格者を制限していたことが発覚し、世間を騒がせている。しかも、現職の医師たちの中には、大学の対応をある程度は理解できると言う声も少なくないそうだから驚きだ。
女性の場合、独身のうちは男性と同じようにバリバリ働けても、やがて結婚、妊娠と出産、そして育児が待ち受けている。そこで一旦、職場を離れるケースも多く、その後、復帰しても男性としても同じようには働くのは難しいというのが理由だそうだ。これは病院だけではなくその他の企業でもあることだろう。
また、一方では日本女性の専業主婦希望率が依然として高いこともあり、“女性が輝く社会の実現”にはさらに時間がかかるのかもしれない。
レジェンドはたった6歳で海を渡った
さて、さまざまな女性差別が叫ばれている今だからこそ読みたい一冊が『時代を切り開いた世界の10人 津田梅子』(高木まさき・監修、茅野政徳・指導、もかん・イラスト、中川千英子・文/学研プラス・刊)だ。
津田梅子はご存じ津田塾大学の創立者。日本の女子教育に取り組んだ第一人者で、日本女性の地位向上のためにその一生をささげた。江戸末期の生まれだから150年近く前の女性だが、本を読み進めながら彼女のチャレンジ精神とバイタリティに圧倒されるばかりだった。
梅子が日本女性初の留学生としてアメリカに渡ったのは6歳のとき。船旅の間に7歳の誕生日を迎えたそうだが、今で言うと小学校1年でのアメリカ留学、しかも期間はなんと10年! 旅立つ子どもの勇気もすごいが、送り出す両親の並々ならぬ決意にも胸を打たれる。
梅子の父親は独学で英語を学び、西洋野菜や果物を日本で育てさまざまな功績を残していた。留学は父の勧めだった。
「だれもしたことがないからこわいと、おまえは思うかもしれない。だが、別の考え方もあるとわしは思う。」
「別の、考え方?」
「だれもしたことがないから、おもしろい。今までわしは、そう思っていろんなことを試してきた。」
たしかにそのとおりだと、梅子は思った。(中略)アメリカに行けば、私もそんな人になれるかもしれない。(中略)
「私……アメリカに、行きます」
(『時代を切り開いた世界の10人 津田梅子』から引用)
ワシントンのホームステイ先に着いたとき、梅子が話せた英語はたったひとつ「サンキュー」だけだったそうだ。
10代の少女の決意
愛情深いホストファミリーのサポートもあり、梅子はすぐに現地に馴染み、英語もどんどん上達していき、小学校の人気者になっていったという。
その後、13歳で小学校を卒業し、中等教育を受けるために女学校に進学した。当時のアメリカも日本と比べて女子教育が進んでいたとはいえ理数系の科目を教える女学校はまだ少なかった。が、梅子が入った女学校は生徒数が100人ほどの小さな学校だったが、そこでは数学、物理学、天文学なども学べ、梅子はそれらの科目でも良い成績を収めたそうだ。
梅子には日本人の年上の女友だちが2人いた。共にアメリカに渡った留学生仲間だ。捨松は大学で自然科学を学び、繁子はやはり大学で音楽の勉強をしていた。3人は会うたびに将来について語り合っていたという。
ある日、梅子は友にこう打ち明けた。
「私、いつか日本で学校を作りたい。小さな学校がいいの。そのほうが、一人一人をていねいに教えることができるから。そこでは、みんなが自由に意見を言って、おたがいの知識や考えを深め合うの。日本の女性のためにそんな学校を作って、勉強は本当に楽しいものだと知ってもらいたい。」(中略)
「きっと、とても難しいことだと思うわ。女性が、女性のために学校を作なんて、まだ誰もしたことがないんですもの。でもね、アメリカに来る前にお父様が教えてくれたの。だれもしたことがないからおもしろい、そう考えることもできるって。」
(『時代を切り開いた世界の10人 津田梅子』から引用)
10代の日本少女3人は手を取り合って約束したという、いつかきっとその夢を叶えようと。
日本女性の地位向上のために
17歳で帰国した梅子は、その後、英語教師となったものの、教えるのは裕福な家庭の娘たちばかりで、彼女たちにとって勉強は花嫁修業でしかなったことに不満を感じる日々だったようだ。
「男性と同じ立場で協力することができる女性」を育てたいと願う梅子は24歳で再びアメリカへ向かい、ブリンマー大学で学ぶことになった。優秀な梅子は卒業後も大学で研究を続けることを提案されたが、これを断り帰国する。そう、夢を実現するために。
「女性の自立によって、きっと日本も変わる」そう信じた梅子は、紆余曲折を経て、ついに念願の学校を開校にこぎつけた。それが明治33年開校の女子英学塾、現在の津田塾大学の前身だ。
明治時代から社会と戦い続けた津田梅子の物語は、今なお、私たち女性に多くの勇気をくれる。
【書籍紹介】
時代を切り開いた世界の10人 津田梅子
著者:高木まさき(監修)
発行:学研プラス
女子英学塾(現・津田塾大)の創始者で、日本の女子教育の先駆者の物語。合計15年に及ぶアメリカ留学から、女性の自立の重要性を痛感、その人づくりに生涯をささげる。ヘレン・ケラーやナイチンゲールなどとも親交のあったグローバルな生涯をえがく。
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