そもそも、ハウス・ミュージックって何?
前回、「ユーロビート歌謡」というテーマで、ユーロビートの解説とプレイリストを作成したので、その流れを受けて(?)、同じく温故知新的な視点で今回は「ハウス・ミュージック」にスポットを当ててみたいと思います。ハウスって言葉は聞いたことがあるけど、そもそも「ハウス・ミュージック」とはなんぞや? という人も多いかと思われます。
ハウス・ミュージックの明確な定義はリスナーそれぞれによって曖昧で、コレ! というのはあるようでなかったりします。私が勝手に解釈する大雑把な定義とは、BPMは120~125前後、四つ打ちのリズム、ミニマルな音楽構成が延々とリフレイン、過去のディスコやダンスミュージックの印象的なフレーズをサンプリング、みたいな感じでしょうか。もっと簡単に言ってしまうと、ハウスはあくまでもディスコの延長であり、愛と喜びに満ちた音楽だと認識しています。
いまでこそ、通称「ハウス」とも呼ばれるほど、ポピュラーなダンスミュージックにまで浸透しましたが、もともとはアンダーグラウンドな存在でもありました。まずは、ハウスの起源を振り返る際に、避けては通れない2人の最重要人物について簡単に触れてみたいと思います。
ハウス・ミュージックの礎を築いた伝説の2人
一人目はNYの伝説のディスコ「パラダイス・ガラージ」でレジデンツDJを務めていたラリー・レヴァンです。彼がプレイしていたソウルフルなディスコ・ミュージックは、後に「NYガラージ」とも呼ばれる音楽ジャンルへと発展し、ハウスの原型ともいえるフォーマットを生み出します。
ここで注目したいのは彼のDJスタイルです。「パラダイス・ガラージ」は1977年のオープンで、世界的にもディスコ・ミュージックがチャートを席巻していた時代。彼がプレイしていたのはR&Bやサルサをベースにした少々マイナーなディスコ・ミュージックをメインに、ロック、ラテンなどジャンルは多岐にわたっていました。ここで彼はプレイ中にEQを大胆に駆使したり、イントロやブレイク部分に独自のアレンジを加えた「エディット」という手法で、ひとつの楽曲をロングで延々とスピンする革新的なDJプレイで人気を誇りました。
ちなみに1979年以降、商業的に失速していったディスコサウンドは、ニュー・ウェーブ、エレクトロ・ブギー、イタロ・ディスコ、シンセ・ポップと、多種多様な新しいジャンルへと繋がりを持ち、「ポスト・ディスコ」として新しい形で再生していきます。この時期にラリー・レヴァンがリミックスやプロデュースでこれらのジャンルと繋がったことで、後のハウスの土台を作っていったことは間違いありません。
そしてもうひとり。その人物はラリーとは十代前半からの友人で、1977年にオープンしたシカゴのゲイ・クラブ「ウェアハウス」でレギュラーDJを務めていた、「ハウスのゴッドファーザー」とも呼ばれるフランキー・ナックルズです。彼もまたディスコ・ミュージック以外に、ソウルやヨーロッパ発のエレクトロサウンドなどを織り交ぜた卓越したミックスプレイで人気を博していきます。
フランキーはドラムマシーンで製作した自作のビートをプレイ中に繋げたり、自身でも音源制作に取り組むなど、数々の現場で培った経験値と音楽的素養を生かして、新しいダンスミュージックをクリエイトします。これがハウス・ミュージックの原型ともいわれており、「ウェアハウス」から生まれたことで、79年後半にはすでに「ハウス」と呼ばれていたという逸話があります。
ちなみに、ラリー・レヴァンが当時プレイしていたレコード(ジャンル)が後に「ガラージ」と呼ばれたように、フランキー・ナックルズがウェアハウスでプレイしたレコード(ジャンル)を、シカゴのレコードショップが「ハウス・ミュージック」というカテゴリーで販売していたという証言があります。これが後にハウス・ミュージックと呼ばれるようになったという説もあります。
2人のディスコ~クラブにおける試行錯誤を繰り返したチャレンジは、以降、NYハウスやディープハウス、そしてテクノ・ミュージックまでをも含めた、ダンスミュージック全般に多大なる影響を与えることになります。
ハウス・ミュージックが誕生した必然的な時代背景
そしてもうひとつ、注目したいポイントがあります。この2つの箱は、黒人やヒスパニック系の客層がメインで、かつ有色人種のゲイが圧倒的に多かったことでも知られています。1970年代といえば、アメリカにおいても人種差別は根深い存在で、同性愛に関してはまだまだ不寛容な時代。
「パラダイス・ガラージ」と「ウェアハウス」のダンスフロアのもとでは、一般社会の偏見を気にすることなく、人種や性別を超えて、皆が魂を浄化できる大切な場所でもあったのです。そして、かかっている音楽こそが、声高らかに愛を叫ぶ自分たちを代弁するアンセムとなっていったのです。これこそがハウス・ミュージックがゲイ・カルチャーから生まれたとされる一番大きな要因でもあります。
さらにはシンセサイザーとドラムマシーンの発達で、誰しもが家にいながらにして、ダンスミュージックを簡単にクリエイトできるようになった時代背景も、ハウスの誕生と興隆に大きく関与していきました。それこそ、日本のRoland社のリズムマシーンの名機「TR-707」「TR-808」「TR-909」は値段も安価だったため、ヒップホップやハウス黎明期の創作活動に大きく貢献していきました。
「最先端のオシャレな音楽」として日本にも上陸!
新しいダンスミュージックの波は、当然のように流行りもの好きな日本にも上陸し、メジャーの音楽シーンにも影響を与えるようになります。ほんの一例ですが、例えば、1989年に小泉今日子が近田春夫のプロデュースでリリースしたシングル「Fade Out」では、いち早くシカゴ・ハウスの意匠を取り入れたサウンドメイクが話題を呼びました。当時はあまり売れなかったそうですが、時代を経るたびに再評価高まるハウス歌謡の名曲です。
そして、早い段階からハウスをDJプレイしていた友人の藤原ヒロシをプロデューサーに迎えて、1990年にはアルバム「No.17」を発表。ハウシーな「ドライブ」は夜の帳に映えるバレアリックなナンバーで、いま聴いてもフレッシュに響いてきます。ともにSpotifyで公開されていないのが残念なのですが、振り返ると小泉今日子はハウス・ミュージックを取り巻く90s初頭のクラブカルチャーのアイコンであったことをあらためて痛感してしまいます。
また、レベッカのNOKKOが1993年にリリースしたアルバム「I Will Catch U」では、ハウス愛にあふれた「7 Ways to Love」(最高!)を筆頭に、前述の「パラダイス・ガラージ」でもプレイした経歴を持つDJのフランソワ・ケヴォーキンがダブ・ミックスを施した「Cosmic Sunshine Baby(French Dub)」、元ディー・ライトのテイ・トウワがプロデュースした「I Will Catch U」など、今聴いてもなかなかに攻めていて格好いい仕上がりです。元は全米デビューを前提に製作されたアルバムであり、全曲英語詞で「CALL ME NIGHT LIFE」として全米でリリースされています。こちらも残念ながら、Spotifyでは非公開です。
さらには、日本人で初めて世界で成功したハウスDJ・プロデューサーの存在も忘れてはなりません。その人物の名は富家 哲(サトシ・トミイエ)。大学在学中に製作したデモテープを耳にしたフランキー・ナックルズに認められ、フランキーが所属していたレーベル「デフ・ミックス・プロダクション」から名作「Tears」で1989年に全米デビューを果たします。現在でも現役でダンスミュージックを紡ぎ続けるレジェンドで、前述したNOKKOとは所縁があり、「I Will Catch U」にキーボードで参加していたり、シングル「Vivace」ではリミックスを担当していたりします。
いまでこそ、ハウス・ミュージック的なアレンジを取り入れたJ-POPは普通に耳にしますが、ここまでたどり着くのには先人たちによるいくつもの果敢なチャレンジがあったからこそ、ともいえましょう。
進化し続けるハウス・ミュージック
アラフォー世代やオーバーフォーティにとっての一般的なハウスのイメージは、ポップでメロディアスで温かみのあるダンスミュージックなる認識かもしれません。80年代にラリー・ハードやリル・ルイスらが紡いだ、初期ハウスともいえる「シカゴ・ハウス」は、無機質で機械的なサウンドが特徴的でした。時代とともにハウスのフォーマットも様々な形で枝分かれしていき、例えば、アグレッシブな展開を見せる「アシッド・ハウス」、よりメロディアスさを重視したスムーズな「ディープ・ハウス」、ピアノの連打を多用した「ピアノ・ハウス」、マッチョなヴォーカルをフィーチャーしたラリー・レヴァン直系の「ガラージ・ハウス」、そしてテクノ寄りの硬質な「テック・ハウス」など、きりがないほど細分化していきました。
現在ではEDM以降の新しいダンスミュージックの波に押されて、かつての勢いは見られないのが正直なところです。すでに懐メロ的なジャンルになりつつあるような気もしますが(失礼!)、新世代の新しい解釈でハウス・ミュージックのエッセンスを取り入れたEDMや、BPMが遅めのスローなビートを刻む「トロピカル・ハウス」なる新ジャンルも生まれていたりするのです。
と、非常に長くなりましたが、今回はハウス・ミュージックが一般層に浸透しつつあった80年代後半から90年代前半の「ハウス・ミュージック」にスポットを当てて、テクノ・ミュージックも少々含んだ、広義にセレクトしたプレイリストをお届けします。ユーロビートと同じく、時代が1周も2周もしたからこそ響く、温故知新的な面白さがあるのではないでしょうか。
「Spotify」アプリをダウンロードすれば、有料会員でなくても試聴ができますので、ハウス・ミュージックが持つリズムの魅力を感じてみてください。
最後に。個人的に90年代初頭の最も象徴的なハウス・ナンバーは、マドンナの「ヴォーグ」(1990年)だと思っています。マドンナのような世界のポップアイコンがハウス・ミュージックに向き合ったからこそ、いまに続く音楽ジャンルにまでなったと解釈しています。いま聴くとハウスというよりもハウシーな感じですが。デビュー前のマドンナが「パラダイス・ガラージ」に頻繁に出入りしていたのは有名な話で、彼女のデビュー・シングル「エヴリバディ」はパラダイス・ガラージで撮影されていたりします。機会があれば。こちらもチェックしてみてください。
【Spotifyで聴ける】ハウス・ミュージック、オールドスクール編(1988年~1992年)
1.Can You Feel It?/Mr.Fingers(1988年)
2.Tears – Crassic Vocal/Frankie Knuckles Presents Satoshi Tomiie(1989年)
3.French Kiss/Lil’ Louis(1989年)
4.Can U Dance/Kenny Jammin Jason(1989年)
5.Get Up(Before The Night Is Over)-Edit/Technotronic(1989年)
6.People Hold On – Radio Edit/Coldcut Feat. Lisa Stansfield(1989年)
7.It’s Alright – Original/Sterling Void(1989年)
8.Promised Land – Longer Extended Version/The Style Council(1989年)
9.Fruits Of The Earth/The Blow Monkeys(1990年)
10.Good Beat/Deee-Lite(1990年)
11.Anthem/N-JOI(1990年)
12.Tom’s Diner – 7’’ Version/DNA Feat. Suzanne Vega(1990年)
13.Found Love – Full Version/Double Dee(1990年)
14.Last Rhythm – Original Remastered Mix/Last Rhythm(1990年)
15.Kiss My Piano – Original 1990 Mix/Emily Heyl(1990年)
16.Don’T You Love Me – 90’S Mix –/Candy Boyz(1990年)
17.Vogue/Madonna(1990年)
18.Gypsy Woman(She’s Homeless)-Basement Boy Strip To The Bone Mix/Crystal Waters(1991年)
19.Sound Of Eden/Shades of Rhythm(1991年)
20.40 miles – Club Mix/Congress(1991年)
21.(I Wanna Give You) Devotion – Original Radio Version/Nomad(1991年)
22.Rhythm Is A Mystery/K-Klass(1991年)
23.Chime – Edit/Orbital(1991年)
24.Just Get Up and Dance/Afrika Bambaataa & Family(1991年)
25.Insomnia Again – Panic Ep/Kerry Chandler(1992年)
26.Make It On My Own – 12’’ Club Mix/Alison Limerick(1992年)
27.My Peace Of Heaven/Ten City(1992年)
28.Lift Every Voice(Take Me Away)- Classic Boot Mix/Mass Order(1992年)
29.Don’t Lose The Magic – original mix/Shawn Christopher(1992年)
30.Little Bit of Heaven – Bad Yard Club Mix 12’’ Mix/Lisa Stansfield(1992年)