〜玉袋筋太郎の万事往来
第1回 「由の家」女将・のぼるさん〜
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く新連載企画。記念すべき第1回目は、東京を代表する花街の一つとして栄えた大森海岸で、明治時代から営業している老舗芸妓置屋「由の家」の女将・のぼるさんに花柳界の現状を伺います。
(企画撮影:丸山剛史/ライター:猪口貴裕)
昔は東京のどこの区(世田谷・杉並以外)にも花柳界はあった
玉袋 大森海岸はその名の通り、ここら辺一帯が海だったんだよね。
のぼる 私が子どものころは、第一京浜の国道沿いにあるマンションの一帯が海岸で、たくさんの料亭があったんです。
玉袋 俺は新宿育ちだから、なかなか大森に来る機会がなかったんだよね。名画座を観に行ったぐらいかな。それでもスナックの取材で何度か来させてもらったんですけど、いい感じがするんですよね。
のぼる 今は当時の料亭も2軒ぐらいしか残っていなくて、横丁や小路も小さなマンションになってしまいました。昔は芸者衆が250人ぐらいいたんですけどね。
玉袋 全盛期はお姉さん方がたくさんいたけど、時代の波があって少なくなってしまったんだね。大森海岸はランク的にどの程度だったんですか?
のぼる Bの中ぐらいですかね(笑)。
玉袋 ちょうど中堅クラスだ。Aはどこら辺なんですか?
のぼる 新橋とか赤坂です。新橋からお忍びで来るお客様も多かったですね。
玉袋 そう遠くないもんね。
のぼる 車で15分ぐらいです。
玉袋 昔は粋な遊び場が、たくさん東京にあったんだ。
のぼる 東京は杉並区と世田谷区以外、どこの区にも花柳界があったんです。今はほとんど残ってないですけどね。
玉袋 新宿だと十二社だとか荒木町だとかね。
のぼる 荒木町にも、まだ2,3人芸者がいるそうです。あそこら辺はいい小料理屋がいっぱいありますから。
玉袋 荒木町が落ち着くのは、道幅の狭さとか、角を曲がると誰かに会えるとか、あの街並みなんだよね。
のぼる 神楽坂もそうですけど、ちょっと粋でいいですよね。あんまりガヤガヤしてないところが、花柳界に来るお客さんに好まれるのかもしれません。
玉袋 ちょっと陰に隠れながら、ススーッと入っていくような隠密的なところがいいんだね。由の家さんのホームページを見させていただいたら、かつての花街は「大森海岸三業地(さんぎょうち)」と呼ばれていたそうですね。三業地ってのはどういう意味なの?
のぼる 置屋と料亭と待合のあるのが三業地です。待合は昔で言う出会い茶屋みたいなものなんですけど、仕出しでお料理を取って、お客様と芸者衆がお話をする場所です。
玉袋 置屋さんには、ずっと芸者さんがいたんですか?
のぼる 置屋は芸能事務所みたいなものなんです。所属タレントのように芸者さんがいて、依頼を受けて派遣するんです。
玉袋 一つのお座敷で時間はどれぐらいなんですか?
のぼる だいたい2時間からで、あとは30分刻みになります。1時間でお客様が帰ってしまっても、2時間の玉代(ぎょくだい)をいただきます。いわば最低保証ですね。
玉袋 そういう日本風の古いシステムが今も大森には残っているんだな。前に山梨の石和温泉に遊びに行ってさ、あそこも大人の遊び場なんだけど、今はコンパニオンが主流になっちゃっているわけ。
のぼる 芸者はいないんですか?
玉袋 ほとんどいないね。派遣でコンパニオンが来て、ホテルでどんちゃん騒ぎをする。その後に、お姉ちゃんたちと飲みに行く。で、連れていかれるお店は、そのお姉ちゃんたちの知っている店でスナックみたいになっているの。そこのスナックにも女の子が何人かいて、実はその子たちもコンパニオンなんだけど、指名が入らないから、そこで働いているんだ。コンパニオンは芸も何もないし、ろくに新聞も読んでないしさ。ただワーッと騒いでいるだけじゃない。若いころは、それでもいいかななんて思っていたんだけど、どうも物足りないというか。そこに芸がついていてほしいんだよね。由の家さんのお座敷はどんな感じなんですか?
のぼる 大森は昔からの伝統で、たとえば2時間の宴会でしたら、お座敷に入って、お食事を始めて40分ぐらい経ったら、お客様が見ていても見ていなくても、踊りを付けるんです。ですので以前は毎月、検番で一週間のお稽古がありました。
玉袋 今の人は検番って言葉も分からないよね。
のぼる 検番というのは芸者衆にとっての連絡事務所ですね。料亭から「芸者は何人空いてますか?」という連絡があって、検番の事務員さんが派遣の手配をするんです。仲買みたいなものですね。
玉袋 なるほどー。
のぼる 玉代の集金もして、置屋に届けてくれるんです。以前は大森にも事務員さんが4、5人いたんですよ。ところが景気が悪くなってしまって、20年ぐらい前に検番がなくなっちゃったんです。
玉袋 そうしたら大変じゃないですか。
のぼる だから今は直受けです。
玉袋 中抜きされないから、そっちのほうが良かったりして。
のぼる その代わり領収書をこしらえて、自分で集金に行かなきゃいけないんです。今も新橋や赤坂などには検番がありますけどね。大森の検番が解散になって、そのときに辞めた芸者もたくさんいました。その中でも頑張ろうって何人かの人だけが直受けで生き残って、その一人が私なんです。
玉袋 景気の影響をもろに受ける業界ですからね。
のぼる バブル崩壊以降、芸者1本では食べられなくなりました。いいスポンサーを持っているとか、マンションや駐車場を持っているとか、リッチな芸者は別として、90%以上はサイドビジネスを持っているんです。じゃないとやっていけないですね。
玉袋 普段は昼の仕事をやってるってことですか?
のぼる そうです。お座敷のない日は、スナックなんかで働いている子もいます。
玉袋 それを聞いて思い出した。前に木更津の芸者さんと芸者遊びをするロケがあったんです。その後、別のロケで木更津のスナックに行ったら、アルバイトレディーのお姉さんから「久しぶり」と言われて。顔に覚えはなかったんだけど、話を聞いたら、そのときの芸者さんだったんだ。普段はスナックで働いていて、お座敷のあるときは芸者をやると言ってました。そういう人と話していると、ガールズバーなんかと違って楽しいよね。言葉が通じ合えるというか、気の使い方もいいんだよ。
海外からの芸妓志望者
――芸妓希望の方の面接では、どんなことを聞くんですか?
のぼる まずは(水商売の)経験があるか、お酒は飲めるのか、どの程度の頻度で出られるのか、家からの距離はどれぐらいなのか、あとは家族構成ですね。
玉袋 ご両親の許可を取ったかは聞くんですか?
のぼる その辺は聞きませんが、男性がいるかどうかは聞きます。内緒にされて、後で揉めるのも嫌ですからね。
玉袋 分かるなー、それ。いろいろトラブルもあったんでしょう。
のぼる そうですね(笑)。
玉袋 管理ってのも大変だよな。
のぼる 初対面なので、どこまで本当のことを話してくれているのかは分からないですけどね。もしかしてヒモみたいなのがいるかもしれないし、シングルマザーの人もいるし。あと、お稽古に来られる時間があるのかも聞きます。お稽古をしないとお運び(仲居)になっちゃうから、ギャランティも違ってくるんです。どっちを希望するのかは自由ですけど、お稽古したほうが見返りはいいよと伝えます。
玉袋 俺もスナックをやっていてさ、アルバイトレディーには売れない女芸人とかがいるんだけど、そこで俺もオーナーだからさ、やっぱ仕事に対する姿勢を見るわけよ。腰掛けでやっているのがほとんどなんだけど、中にはお客さんと話すことによって自分の引き出しを増やすみたいな子もいるんだ。割合で言うと、後者は2割ぐらいだな。あとは時給のために働いて、すっと帰っちゃう、みたいな。彼女たちは若いから気付いてないと思うけど、ああいう席での会話は大事なんだよね。ましてや置屋で働くということは、すごくステージが上がると思うんだ。
――求人で集まるのは、どのぐらいの年齢層なんですか?
のぼる 三十代が多いですね。以前スナックにいた方だったり、素人のOLさんだったり。「会社が不景気で週3回の出勤と言われているので、出勤日以外に私を使ってくれませんか?」というケースもあります。そういえば先日、ロシアから芸妓になりたいって連絡があったんです。
玉袋 ロシアですか!
のぼる まだ15歳の子なんですけど、ロシアの若い子ってキレイなのね。以前、うちに外人の芸者がいたんですよ。2年ぐらい働いて、今は国に帰っているんですけど、その子のことをネットか何かで見たんだと思います。それで興味を持って、18歳になったら入れてくれますかって。
玉袋 へー。じゃあ日本語の勉強もしっかりしているんだ?
のぼる 「してます」と言ってました。
玉袋 すごいなぁ。すごく度胸があるよ。日本の文化を知るってことで考えりゃ、『Youは何しに日本へ?』(テレビ東京系)みたいな番組が成立するぐらいだから、そういうのもあるわけだよね。芸事は厳しいだろうけど、そうやって異国の地に飛び込んでみる人生は羨ましいね。
——ここで働いていたのは、どこの国の子だったんですか?
のぼる アメリカです。日本語はペラペラでした。小さいころから芸者になりたくて、どこをどう間違えたのか分からないんですけど長崎大学に入ったんです。長崎の市内にも花柳界があるじゃないですか。そこに入ろうとしたら、まだ検番があって、「外人はウケない」と言われたらしいんですって。お稽古には入れてあげるけど、芸者としては出せないというので、お稽古だけさせてもらっていたらしいんです。
だから、踊りもけっこう踊れたんですよ。それでも芸者になりたいから、祇園や金沢、浅草など、あちこちに電話をかけたんですけど全部断られちゃったらしくて。それで私のところに連絡をしてきて、会うだけ会ってみたんです。私も外人を置くのは勇気がいったんですけど、面接をしてみたら、すごくキレイで、着物を着てきたんですよ。
玉袋 あららら! もうやる気満々だ。
のぼる 薄化粧に、頭にリボンもして。日本の女性よりも日本人らしかったんです。「売れっ子になっても、このお仕事1本じゃ食べられないから、バイトしながらでもいいなら受け入れるよ」と伝えたら、それでもやりますって。
玉袋 いい話だ。ロシアの子も、そういう風に頑張ってもらいたいね。芸者になりたくて、アメリカとロシアから乗り込んでくるのもすごいよね。石和温泉にはフィリピン芸者がいたけどね(笑)。今のご時世、フィリピン人は日本に入国できないから、石和温泉なんて大変だよ。
のぼる このコロナ禍で、温泉場は気の毒ですね。
玉袋 そもそも多くの温泉街はさ、ホテルにコンパニオンを派遣しちゃうから、飲み屋街が廃れていってるんだよね。昔の温泉の楽しみ方って言ったらさ、旅館でメシ食って、浴衣に丹前羽織って下駄でフラフラ外に出てさ、ストリップ見て、締めのラーメンを食うのが醍醐味だったんだ。それを全部ホテルの中で完結させちゃって、お客さんを一歩も表に出さない。だから温泉街全体が沈んじゃってるんだよね。そういう場所をいっぱい見てきたよ。そうなると風情も何もないんだよね。伊東温泉に泊まったときにスナック街に繰り出したんだけど、ホテルの浴衣を着て行ったら、「久々だ」って喜んでくれちゃってさ。面白いのは、ああいうところって着てる浴衣の旅館名で、お客さんを値踏みするんだよね。
のぼる ああ、旅館のクラスでね(笑)。
玉袋 そうそう(笑)。まあ経営上、ホテル内で完結させるってのも分かるけどさ、古き良き街並みがなくなっていくという点では、芸者の世界も一緒だと思う。俺は今スナックを応援しているんだけど、昔はスナックって水商売のど真ん中にあったのに、キャバクラやガールズバーが出てきて端っこに寄っちゃった。でも、そこで細々と生きている人たちもいるっていう世界に通じるものがあるね。
そこに、このコロナ禍だからね。この業種って、理解してもらうのが難しいっていうかさ。ブルーインパルスが医療従事者に感謝の意を込めてバーッと飛んだけどさ、そりゃあ医療従事者は大変だよ。大変だけど、こういう街の中で、お客さんを喜ばせる仕事の人たちも頑張っているわけだ。でも、コロナ禍で冷や飯を食っている。医療従事者は多忙。こっちは暇。でも苦しいのは同じ。こっちのほうも何かね、スポットを当てるようなことをやってくれないとひねくれちゃうよ。まあ我慢強くて、言うだけ野暮って気持ちを持っている人が多いからさ。だけど、このままだと生きる希望もなくすよ。
のぼる 料亭さんも、ほとんどクローズです。こんなときに芸者を上げて、ちゃんちゃかちゃんちゃかしたら石を投げつけられかねないですからね(笑)。
玉袋 何言われるか分からないからね。ここはじっと我慢。
――以前は外人客も多かったんですか?
のぼる コロナ禍になる前は月に何組かいましたよ。
玉袋 日本文化に触れたいんだな。こんなのは海外にないんだから。テキサスにあるかって話だよ。
のぼる 日本式の文化ですもんね。
玉袋 置屋には古くから遊ぶ文化があって、それが進化してスナックなんかになって、遊び方の源流だからさ。それが今も残っていることが大切なんだ。こういう文化ってなくなってから、「昔はよかった」って話になっちゃうじゃない。ここは我慢のしどころで、今後も続けてほしいですね。
のぼる みんな忍耐で我慢に我慢を重ねているから、なるべく早く解いていただけるとありがたいです。
玉袋 縛られっぱなしで固結びになってるから大変だよ。もう解けなくなるよ。俺も全日本スナック協会の会長でさ、矢面に立ってしまうかもしれないけど、完全な防護対策をして、フライング気味にオープンしちゃおうかなと思ってるんだ。バッシングを浴びるかもしれないけど、完璧な防護対策をしてますよって提示をしてオープンしたら、我慢していた業界の人たちも「よくやった」って言うと思うんだ。そうじゃないと、座して死を待つのみだからさ。ヒールになるかもしれないけど、ちょっとやってみようかって気持ちもある。
のぼる 誰かが立たないといけないですからね。みんな飲みたいし、歌いたいけど我慢しているんですから。私だって飲みたいし歌いたいし、近所のスナックにも行くんですよ(笑)。
玉袋 お祭りまで規制されちゃっているわけじゃない。年に一度のお祭りは、日々耐えていたものを一気に爆発させて発散する場じゃない。それさえもないんだぜ。その仮想空間がスナックなどの遊びの場であったのにかかわらず、それさえもダメってなったらヤバイことになるよ。サービスを提供する側としてそう思うね。
置屋文化を残すために
――かつては大物政財界なんかも遊びに来ていたんですか?
のぼる 私が若いころに、時の総理大臣が来たことがあります。料亭を貸し切りにするんですけど、玄関から帰ると新聞記者がいっぱいいるので、勝手口から出た総理がいました。ところが勝手口に洗濯機があって、太っている総理だったからおなかがつかえて出られなくなったんです(笑)。
玉袋 はははははは。
のぼる 洗濯機を外して出たときは、おかしくておかしくて。
玉袋 ちょっと聞きにくい話なんですけど、大森のほうでは、こっち関係(やくざ)はどういう風に仕切っていたんですか?
のぼる その筋は少なかったですね。蒲田のほうには、けっこういましたけど。
玉袋 蒲田は今でも多そうだもんね。
のぼる 一見さんは入れないようにしていましたからね。ちょっと見の感じで分かるじゃないですか。ただ2、3年前かな。若い子を全員行かせたんですけど、それでも人手が足りなくて、枯れ木も山の賑わいで私も駆り出されて、向島に行ったんです。そこに行ったらやくざの団体が入っちゃって、大森にはいないからビックリしちゃいました。でも顔に出しちゃいけないじゃないですか。その2時間が長いこと長いこと。私でも知っている大きな団体名が書いてあるのよ。そこに向き合いで座っちゃって。
玉袋 あららららら。
のぼる そしたら「今はコンパニオンなんて芸のない勢力がどんどん増えているけど、お前みたいな年寄りが若い子を育てないといけないぞ。そのためには体を大事にしなきゃダメだ」なんて言われたりして(笑)
玉袋 そういうことを言ってくれる人は、暴力団(コンパニオン)、任侠(芸者)という考え方なのかもしれないね。
――お客様と恋仲になることは御法度ではないんですか?
のぼる 無きにしも非ずでしょうね。一夜限りの人を見つけるんじゃなくて、いいスポンサーを見つけてマンションの一つぐらい買ってもらおうという野心を持っている子もいることはいますよ。
玉袋 マンションの一つも買ってもらったら、双六で言ったらあがりだ。
のぼる 野心のある子は、面接の時点で向こうから「どんなお客さんが来ますか?」「2次会はありますか?」って聞いてきます(笑)。良い悪いは別にして、それぐらいの気持ちでやってもらったほうが、いいお席に出たいと思うから、お稽古もしっかりやってくれるし、着物にもお金をかけます。いい人を捕まえようって子は自分に投資しますよ。
――芸者遊びで粋な飲み方はどういうものですか?
のぼる 芸者遊びに限らずですけど、お酒の飲み方や人との付き合い方がキレイな人ですよね。
玉袋 俺も威張り散らしている人は、あんまり好きじゃないんだよな。ずっと朗らかに笑っているほうがいいよ。威張っている人がお金を払うのかなと思ったら、ニコニコしている人がすーっと払ってね。そういうほうがカッコいいよね。
のぼる お金を使っているのに、使っているそぶりを見せない人はいいですよね。成金は表に出しますから。
玉袋 それは面白くない。座がしらけると言うか、気分が悪いよ。いいお客さんは踊りの発表会なんかも応援してくれるし、ちゃんと支えてくれるからね。芸者衆とは長い付き合いになってくるから、そこを大切にするんだよ。チェーン店じゃない遊び方というか、そういうのが俺は好きだな。お互いに齢(よわい)を重ねていくというかさ。
のぼる 実際、新規のお客様より、古くからのお客様が多いですね。若い方でもお父さんの時代から来てくださったりだとか。
玉袋 良いつながりだよね。
――今後、置屋文化を残すために考えていることはありますか?
のぼる もらうことばかり考えないで、身銭を切ってでも街のイベントに参加させてもらって、大森では芸者さんが健在なんだなというのを知ってもらいたいですね。そこで面白いと思ってもらえれば、何かの機会に使ってみようかなとなるかもしれないですし。このコロナ禍がひと段落したら、ちょっとしたお祭りでも顔を出そうと考えています。実際、大森の盆踊りに出させてもらったこともあるんです。
玉袋 盆踊りに出てくれるのはうれしいね。まさに花だよ。
のぼる うちも今は15人ぐらいしか芸者衆がいなくて、よく「大森のほうは芸者衆が廃れてしまったんじゃないの?」って言われるんですよ。
玉袋 そこを逆手にとってね、貴重な絶滅危惧種だから保護しようぜ、増やしていこうぜってなればいいんだよ。
のぼる イリオモテヤマネコと一緒ですね(笑)。
玉袋 お祭りなんかで芸者衆の踊りを見た若い子が、自分もやりたいって志願してくる可能性もあるしね。伝統工芸なんかも後継ぎ問題が深刻だけど、ジャパニーズ・ドリームが花柳界にあるってことを、どこかの敏腕プロデューサーが上手く伝えてくれたら火が付くと思うよ。
大森海岸 芸妓置屋「由の家」
東京都品川区南大井3-29-3-202
03-3761-0946(受付:10:00-22:00)
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1 階 )
<出演・連載>
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