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2020/9/10 10:00

玉袋筋太郎が「平成流し組合」代表・パリなかやまさんに、絶滅危惧職「流し」の今について聞いてみた

〜玉袋筋太郎の万事往来
第4回 「平成流し組合」パリなかやま〜

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第4回目のゲストは、恵比寿横丁を拠点に流し歌手として活躍する傍ら、約50名からなる流しグループ「平成流し組合」を運営するパリなかやまさん。絶滅危惧種と言われていた流しを復活させて、今の時流に合わせてアップデート、さらに後進の育成にも力を入れるパリなかやまさんの軌跡に迫ります!(企画撮影:丸山剛史/ライター:猪口貴裕)

 

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メジャーデビューから流しへ転身

 

玉袋 渥美二郎さん、北島三郎さん、五木ひろしさんなど、かつては演歌の第一線で活躍している人は流し出身が多かったですよね。でも時が経って、すっかり絶滅危惧種と言われていた流しですが、パリなかやまさんは新しい薪を焚べている。流しというと「苦しい」「苦節」みたいな言葉が思い浮かぶけど、そのイメージを払拭してやられています。昭和エレジーみたいな昔の流しとは一線を画していますよね。

 

パリ 僕は師匠もいないまま始めたので、流しというスタイルこそ真似っこですけど、中身は全く違いますね。

 

玉袋 新しいものを見つけたというかね。

 

パリ どちらかというと現場のニーズからスタイルを作り上げていきました。

 

玉袋 小さいころ、うちの近所(新宿)にも流しの人がいて、新宿西口の青梅街道をちょっと入ったところに溜まり場があったんだ。あと高校時代、歌舞伎町で出前のアルバイトをやっていたんだけど、ゴールデン街や、今はなき柳街にも流しのおじさんがいたね。

 

――今もその世代の流しはいらっしゃるんですか?

 

パリ ほぼいらっしゃらないと思います。2017年8月19日に荒木町の(平塚)新太郎さんが75歳で亡くなって、その方が現役最高齢でした。横須賀にカズさんという方がいて、あまり今は活動していないと思うんですけどご存命です。

 

玉袋 それまでは流しから始めて、メジャーデビューするというのが従来のサクセスストーリーですけど、それとは真逆なんですよね。

 

パリ 僕は音楽業界から流しの世界に入ってきたので、普通とは逆の順序ですね。僕はコーヒーカラーというバンドをやっていて、2004年に念願のメジャーデビューを果たすんですけど、すでにレコード産業的には斜陽化が始まっていたんです。CDが売れなくなってきて、業界全体の縮小化が進んでいました。それでもデビューシングルの『人生に乾杯を!』は10万枚ぐらい売れたんです。

 

玉袋 すごいじゃないですか!

 

パリ 当時、所属していたクラウンレコードから新人賞ももらったんですよ。

 

玉袋 メジャーリーガーですね。

 

パリ サラリーマンのための歌を歌うユニットだったので、社会派ということで『筑紫哲也 NEWS23』(TBS系)や『ズームイン!!朝』(日本テレビ系)など、たくさんのテレビにも出させていただきました。当時から背広を着たスタイルで、「社会派歌謡ポップ」みたいな感じで受け止められていましたね。音楽的にはクレイジーケンバンドさんを参考にさせていただいていましたけど、それの社会派バージョンです。そこから5年ぐらいはアルバムを出したり、ライブをやったりしていたんですけど、雲行きが怪しくなって。ヒット曲を出し続けていないと契約は更新されないんですよ。

 

玉袋 そういうものなんですか?

 

パリ マネージメント事務所は別なんですけど、やっぱりレコード会社に予算をいただいて、大きく売り出してヒットをさせて、それを回していくってビジネスですから、だんだん肥料が少なくなるといいますか。そんな空気を感じているときに、たまたま知り合いの先輩ミュージシャンから「亀戸で流しの募集があるんだけどやってみない?」という誘いがあったんです。

 

玉袋 亀戸っていい場所じゃないですか。

 

パリ しかも歩合制じゃなくて日当が出たんです。要は流しを探したけど見つからなかったんですよね。それで「日当+チップでやってみない?」ってことで、見よう見まねで20曲ぐらいのレパートリーから始めて。当時はレコード会社と契約中ではあったんですけど、それは隠してました。レコード会社には内緒でやっていましたね。アーティストの名義は使わないので、まぁイイんじゃないかと。

 

玉袋 内職ですね。

 

パリ そうやって流しを始めたのが2008年で、32歳のときです。本当にたまたまなんですよね。

 

玉袋 亀戸っていうと、なんとなく客筋も見えてくるんですけど、その客筋にレパートリーも寄せていったんですか?

 

パリ 最初は井上陽水さんとかかぐや姫さんとかの定番を始め、自分が知っている有名な曲を入れていくしかなかったです。実際にやっていくと「マヒナスターズはどうだ?」とか、もっと古い曲のリクエストもあるので、少しずつ曲を増やしていきました。

 

玉袋 そこは企業努力ですね。実際、当時の実入りはどうだったんですか?

 

パリ 日当が8千円ぐらいで、あとはチップですね。

 

玉袋 亀戸のお客さんはしぶちんじゃなかったんですか?

 

パリ 亀戸の限られたエリアだったので、1日5000円ぐらいがチップの最高額だったんじゃないですかね。

 

玉袋 それで1万3000円なら、そこまで悪くないですね。

 

パリ もちろんガラガラでチップがないこともありました。日当の8000円ももらえたのは最初の2か月ぐらいで、「できれば続けてほしいけど日当は出せない。自力でやってほしいけど強制はしない」と言われたんです。そもそもエリアの統括をしている人が、会社の経費で流しの日当を捻出していたので、売上が目当てというより、その地域を盛り上げてほしいみたいな意図があったと思うんです。

 

コネなし、ツテなしで恵比寿横丁へ

 

玉袋 それまでアーティストとしての実績を積み重ねてきたパリなかやまさんが、地べたからやることに関して、どんなお気持ちでしたか。

 

パリ 始める前はどうなるかわからなかったんですけど、やってみると意外に喜んでくれるお客さんが多かったんですよ。それがうれしかったですね。

 

玉袋 直に反応が伝わってくるから、やりがいも感じますよね。

 

パリ お客さんはお酒も飲んでいるから、いちゃもん的なことを言ってくる人もいましたけど、めちゃめちゃ喜んでくれる人のほうが多かったんです。

 

玉袋 以前はホテルマンをやっていたそうですが、酔客のかわし方も前職の経験が活きましたか?

 

パリ どちらもサービス業なので通じるものはあったのかもしれません。

 

玉袋 サービス業の経験がないミュージシャンだったら、お客と殴り合いになってもおかしくないですよ。

 

パリ 確かにホテルマン以外にも飲食経験があったので、そこは良かったと思います。

 

玉袋 そこの捌きというのも上手くやらないと、向こうは「顔を覚えとくからな!」ってなっちゃうからね。

 

パリ 揉めたら遺恨を残しますからね。

 

玉袋 それがパリさんの場合、全くなさそうだから、流しに向いていたんでしょうね。

 

パリ 考えてみたら12年間やってきて、そういうトラブルは1回もないですね。

 

玉袋 それは持って生まれた才能だ。

 

パリ 結局、流しって移動ができるじゃないですか。よくない雰囲気になったら離れちゃえばいいし、そこが強みなんですよね。どうしてもってときはお金を返せばいいし、そもそもお金をもらってない人は相手をする必要もないんです。そういう意味では、コンビニの店員さんなんかよりも気は楽ですよ。

 

――亀戸から恵比寿横丁に進出したのは、どういうきっかけだったんですか?

 

パリ 亀戸のお店の方には良くしていただいたんですけど、どんどん不景気になって、閉店する店が次々と出てきて、半分ぐらいになっちゃったんです。これでは流しも成立しないなと。もう引っ越すっきゃないと思って、いろいろ探して、恵比寿と自由が丘で迷ったんです。

 

玉袋 自由が丘というと、自由が丘デパート?

 

パリ そうです。あそこも屋根があるんですよ。自由が丘は客層も良さそうじゃないですか。

 

玉袋 あそこはいいよ。俺が行ってる、自由が丘デパートのスナックも小林亜星さんが飲みに来るからね(笑)。

 

パリ 自宅から亀戸までは遠かったんですけど、自由が丘は近かったのもあります。チャリンコで行ける範囲で探したんですよ。

 

――どうやって恵比寿横丁と交渉したんですか?

 

パリ ツテもコネもなかったので、連絡先を見つけて、メールでお願いをしてみて。そしたら「そういう人を探していました」という返信があったんです。

 

玉袋 それは良かった! でも度胸は入りますよ。そういうときって、けんもほろろってことが多いんだから。営業マンの苦しみと同じで飛び込みだからね。

 

――恵比寿横丁以外には当たらなかったんですか。

 

パリ 調査はしましたけど、実際にアプローチしたのは恵比寿横丁だけでした。

 

玉袋 恵比寿横丁は駅から近くて、横丁のテーマパークみたいな感じで、そういう雰囲気に上手く合ったんだね。

 

――亀戸とはガラリと客層も変わりますよね。

 

玉袋 恵比寿は若いもん。平均年齢で言うと相当違うでしょう。

 

パリ 亀戸はお年寄りとヤンキーと、錦糸町流れの水商売の方が多かったです(笑)。

 

玉袋 肉食系が多かったんだね(笑)。

 

パリ ただ恵比寿横丁も当時は40~60代が中心でしたね。今とちょっと違うんですよ。マスコミ関係のお客さんも多かったです。

 

玉袋 業界関係者は多かったでしょうね。亀戸は違う業界が多いから(笑)。

 

――ライブハウスのリキッドルームも近いですし、音楽関係者も多かったのではないでしょうか。

 

パリ そうですね。芸能事務所も多いですし、いっぱい来てましたよ。ここ5、6年は若年化が進んで、女の子のお客さんも増えました。だから僕よりも若年の流しがやったほうがいいかなという気持ちもありますね。

 

流しは原始的で間違いない商売

 

玉袋 どうして内職だった流しに軸足を置こうと思ったんですか?

 

パリ 案の定、レコード会社の契約は切れたんですよ。終了しちゃったんですよ。

 

玉袋 シビアな世界だからね。

 

パリ マネージメントはあるんですけど、給料がなくなるわけですよ。収入は印税だけになっちゃう。ただ流しは他に同業者がいないのもあって、恵比寿横丁に来てからはなんとかなるんじゃないかって手ごたえがありました。そこからですね。

 

玉袋 俺もスナックに手を付けたころはさ、誰もスナックなんかに注目してないから、「手付かずの自然がこんなに残ってるんだ」って思ったんだけど、それと同じようなものだね。

 

パリ 玉袋さんがスナック活動を始めたのは何年ぐらい前ですか?

 

玉袋 15年前ぐらいですかね。「誰も手を付けないならスナックいただいちゃいますよ」と。それが上手く転がった。2014年に設立した一般社団法人「全日本スナック連盟」の言い出しっぺだし。そこはパリなかやまさんと同じで気付きだよなー。

 

――スナックは当たるという確信はあったんですか?

 

玉袋 ありましたよ。こんなに面白い世界はないんだもん。知らない層のほうが多くて、どういう風に説明して面白がらせるかは俺の腕だから。だからと言って俺自身、儲かっているわけではないんだけどね(笑)。でも注目は浴びるからさ。

 

――パリなかやまさんも恵比寿横丁に来て、亀戸のときよりも注目度は上がったんですか?

 

パリ そうですね。マスコミの取材が来るようになったのは恵比寿横丁に来てからです。ここで流しをやっていただけで、いろんな縁が増えて、NHKに取り上げていただいたり、本を出したり、どれもたまたまあった流れです。

 

玉袋 たまたまが多いんだね。言ってみれば俺もたまたま人が集まったんだ。

 

パリ 珍しいと人が集まってくるんですよね。

 

玉袋 「面白い奴がいるぞ」ってね。

 

――軸足を流しに移すときに葛藤はなかったんですか?

 

パリ 歌手を持続させるためには当然の選択でした。自分の作っている作品が売れないという現実があったわけじゃないですか。でも自分は作品に満足している。なのに結果が出なくて継続できないってなったら、どうしたらいいの? って話じゃないですか。そのころ、音楽業界も全体的に20分の1ぐらい縮小して、レコード会社の人もどんどんいなくなっていました。その中には自分らの面倒を見てくれた人もいました。しまいには会社ごとなくなって統合するところもあって。だから今すぐ売れないアーティストに構っている余裕がないのも空気でわかっていたんです。衰退して市場がゆらゆらしているなか、再び安定するのに、どれだけ時間がかかるかわからない。だったら誘われて始めたとはいえ、流しは原始的で間違いない商売だなと思ったんです。

 

玉袋 俺は流しの世界って間口が狭いのかなと思っていたんですよ。こういう酒場横丁も少なくなっているしね。そんななか、ちゃんと歌手であるという気持ちがあれば、この仕事は成り立ちますよってことをパリなかやまさんは活動を通して言ってるわけですからね。夢と希望に満ち溢れていますよ。

 

――ライブハウスでの活動を中心にやるという選択肢は考えなかったんですか?

 

パリ 僕もインディーズのころにライブハウスでやってましたけど、結局あれって構図としてはアーティストがお客さんじゃないですか。アーティストがノルマを背負うんですから。

 

玉袋 そう。悪循環。あれは無間地獄だよ。だけどアーティストは夢があるから、続けられる。でも気付いたら年を取っちゃっているんだから。そんなの死屍累々ですよ。そこはお笑いの世界も一緒だからね。

 

組織にしてピンハネしたほうがいいんじゃないか!?

 

――平成流し組合を設立したのはいつごろですか?

 

パリ 2015年の頭です。

 

玉袋 組合を作るのはスケールアップでもあり、世間に認めてもらうことでもあり、それで流しとは違う名刺も作れるしね。

 

パリ あんまり難しくは考えてなかったんですけど、流し全体が仕事として認められれば、自分も楽だし、やりたい人もやりやすくなるということで設立しました。きっかけは、これもたまたまなんですけど、僕の本を作りたいって言ってくれる人がいたんです。『流しの仕事術』(代官山ブックス)という、なんの役に立つかわからない流しのマニュアル本なんですけど(笑)。それを出版したからには、やりたい人の受け皿を作らなきゃいけないなと思ったんです。

 

玉袋 全く一緒だよ。俺も2012年に『浅草キッド玉ちゃんのスナック案内』(エンターブレイン)って本を作ってから、「一般社団法人にしなきゃダメだ」って言う人がいたんだ。背中を押してくれる人がいるんだよなぁ。それだけじゃペーパーだから店を作ろうってことで「スナック玉ちゃん」を始めたんだ。本体がないと、ただ口で言ってるだけになっちゃうからね。

 

――本を出す前から流し志望の方はいたんですか?

 

パリ 自分から志望してくる人はいなかったです。こっちでやってあっちでやってと言われても僕の身体は一つなので、じゃあ誰かやってみないかってことでミュージシャン仲間を誘って、何人かに仕事を割り振ってはいました。そのときはいい加減な形で割り振っていたんですけど、そうすると途中で揉め事なんかもあって、これは組織にしてピンハネをしたほうがいいんじゃないかと(笑)。

 

玉袋 チャリンチャリン入れたほうがいいだろうと。

 

パリ それで、ホームページも作って、だんだん形になっていきました。本を出してからは、ちょこちょこ希望者も来ましたし、徐々にメンバーも増えて、ちょっとずつ街の開拓も始めて。今でも下見と交渉は僕自身がやっています。

 

玉袋 交渉もやらなきゃいけないし、体一つじゃ足りないよね。

 

パリ 現役で歌うために始めたので、オペレーションばかりというのは本意じゃないんですよ。本音を言うと、そこは誰かにやってほしいです。

 

玉袋 人を雇うのも大変だからね。本来ミュージシャンやお笑い芸人は人を雇ったことなんてないんだから。どこかの相撲部屋みたいに暴君になったら問題になるしね。昔の流しの世界はそっちじゃない。バリバリの徒弟制度があって、ヤクザな世界だったと思うんだ。それをクリーンにしたのもすごいなと思う。古い勢力も弱っているから、文句をつけてくるところがないのもありますよね。

 

パリ そうなんですよ。僕が始めたころは、まだちょこちょこ、そういう人もいたんです。「流しやるならうちに入ってやらないとダメだろう」みたいに言ってくる人もいました。

 

玉袋 そういう過去を全く感じさせないもんね。パリなかやまさんをきっかけに初めて流しを知った若い層はさ、藤 圭子みたいな悲しいイメージもないだろうし。トップにいるパリなかやまさんのアイコンがいいんだよ。俺だったら逆に売っちゃうもんね。もしも俺が流しの組合をやるなら、昔っぽく全員パンチパーマをあてて、そっち側のギミックをつけちゃうもん。

 

パリ それはそれで面白いですけどね(笑)。その路線でやってる流しもいて、わざとボロ着を着てますよ。

 

玉袋 絶対いるよね。玉虫色のジャケット着て出てきたりとかさ。いろんな人がいていいし、そこはバラエティだ。でも、そこにパリなかやまさんという一座の座長がいるのが大きいんだ。これから音楽で食っていきたいって若い子にとっては、紅白に出るのが夢じゃないだろうし、いろんな成功が溢れかえっているからさ。そいつらがYouTuberになってたりするんだろうけど、流しも可能性があると思うな。昔ながらの後ろめたいイメージが全くないんだもん。それが地域振興にもつながっていくしね。

 

平成流し組合はAmazonプライム的?

 

――所属している流しの活動は、それぞれ同じ場所に固定しているんですか。

 

パリ 今はシフト制にして、月ごとに担当する場所を決めています。現場にも定員がありますからね。

 

――シフトもパリさんが作っているんですか。

 

パリ そうです。これが大変なんですよ。50人分のシフト表ですから。

 

玉袋 50人もいるんだ!

 

――給料はどうしているんですか?

 

パリ みんな個人事業主なので、面倒だから売り上げにはタッチしてません。

 

――登録料や組合費みたいなのも取らないんですか?

 

パリ 今のところ無料です。登録も研修も無料でやって、なんなら面接のコーヒー代も出しているんです。コロナ禍もありましたし、そろそろ有料に切り替えようかなと思うんですけど(笑)。

 

玉袋 そのほうがいいと思うよ。

 

パリ それでも組合的に多少ビジネスになっているのは、Amazonプライムみたいに基本は無料なんですけど、いっぱい仕事を入れたい人にはプレミアムとして組合費を払ってもらってるんです。「その代わり、組合費の10倍は稼げるようにするよ」というシステムなんですよ。

 

玉袋 すごいシステムだなぁ。

 

パリ だからクレームは生まれにくいです。

 

玉袋 流しで聴いて気に入ってくれたお客さんから、身内のパーティーに呼びたいってオファーもあるんでしょう?

 

パリ ありますね。今はSNSもありますから、むちゃくちゃ仕事の幅は広がってます。

 

玉袋 逆にテレビで出てる奴のほうが闇営業なんてやっちゃってるんだから、あいつらはバカだよ。

 

――組合には流しだけで生活している人もいるんですか?

 

パリ 6人ぐらいいます。でも僕としては副業をお勧めしているんです。それが一番、切羽詰まらないでジョイフルな感じで流しをやれますからね。普段仕事している人が、アフター5で街に出て歌うみたいな。

 

玉袋 それもいいよね。

 

パリ 意外とそういう人のほうが売れちゃったりしますからね。あんまり狙ってやっている感じがすると、お客さんも引いちゃうんですよ。

 

玉袋 ルーティンで音楽活動をするよりは、こういう場所でやるほうが刺激もあるし、自分を磨ける感じがするね。組織化して、若い人も増えて、いい方向に進んでるんじゃないですか?

 

パリ やりたい音楽人はいくらでもいると思うんですよね。あとは街の受け入れが、どれぐらい進められるかですね。やっぱり街があっての流しですから。

 

玉袋 お祭りでいうと、テキ屋が全部出されたお祭りは面白くないわけだ。テキ屋を排除して町内会でお祭りをやってもさ、いつもの顔見知りのオヤジがフランクフルトを焼いてたって、そんなのうまそうに見えないんだよ。どこかから来た人がフランクフルトを焼いて「おい食え」って言ってたほうがワクワクするし、それが祭りなんだよね。夜の街にも流しはいてほしいよね。画一化されたものって面白くないし、流しが来たってだけでワクワク感があってうれしいんだよ。一時期は消えかけた流しを、形を変えてクリーンにやっているパリなかやまさんは素晴らしいよ。いつまでも失われつつある夜の街の文化を残していってほしいね。

 

 

平成流し組合代表
パリなかやま

2004年、『人生に乾杯を!』で日本クラウンよりメジャーデビューした歌謡ユニット「コーヒーカラー」の代表。2008年より新世代の流しとして「パリなかやま」の活動を開始。普段は東京・恵比寿の「恵比寿横丁」で流しとして歌いまわる。レパートリーは演歌、シャンソンから最新のヒット曲まで2000曲以上で、自作曲も多数。2015年、流しの復活と発展を目指すギター流しのグループ「平成流し組合」を設立する。パリなかやま、の名前の由来は「やっぱり」の「パリ」。著書に『流しの仕事術』(代官山ブックス)がある。

平成流し組合公式ホームページ
https://www.nagashi-group.com/

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1 階 )

<出演・連載>

TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
TOKYO MX/テレビ大阪「人生酒場 唄は夜につれママにつれ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」

 

【取材協力】

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