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タレント
2020/11/19 10:00

オンバト世代。お笑いコンビ「号泣」が復活!——12年ぶりのM‐1挑戦と再結成の内幕

手相占いや怖い話で知られるお笑い芸人・島田秀平と、劇団『軍団うれるーぞ』を主宰する脚本家・赤岡典明が、2008年に解散したコンビ「号泣」を12年ぶり再結成し、M‐1グランプリ出場を遂げた。長い間、音信不通であった二人が、コンビ復活を決めた理由とは一体何なのか? そして、前代未聞のM-1再出場の裏側とは?そして、コンビのさらなる展望を聞いた!

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:kitsune)

 

↑号泣。赤岡典明(左)、島田秀平(右)

 

コンビ解散から12年間、一度も会っていなかった!

――今回は、「号泣」がコンビ再結成となった経緯から、M-1の舞台、今後の活動までいろいろとお伺いできればと思います。まず、2008年にコンビが解散となってから12年間、一度も会っていなかったとお聞きしたのですが、本当なんですか?

 

島田 本当に一切会ってなかったですね(笑)

 

赤岡 ニアミスはあったんですけどね。僕がいま『軍団うれるーぞ』という劇団を主宰していまして。その公演に呼んだことはあるんですけど、マネージャー伝いに連絡したので、直接話していないんです。しかも、会場でも会っていなくて。

 

島田 僕はこっそり行くつもりだったんですけど、行ったら良い席を用意してくれていて。壇上と客席で目が合ったかな、くらいでした。

 

赤岡 招待されたら、普通は終わったあとに挨拶に来ますよね~。こっちから行くのっておかしいじゃないですか(笑)

 

島田 でも僕は会場に花を出しましたから。そしたら、ありがとうってそっちから来てもいいですよね? こっちは足を運んでいますし。

 

赤岡 逆にそれは報告しに来てくれてもいいじゃない。

 

島田 まあ~これに関してはイーブンかな(笑)。でも、電話で話したことはありますよ。

 

赤岡 2016年に、島田が結婚するって言ってね。急に電話がかかってきて、知らない番号だったんで恐る恐る出て。結婚の報告を聞いている間も、誰だよってずっと思っていたんですけど。

 

島田 僕の電話番号を消してたんですよ! 本当にひどい話ですよね。

 

――お互いの活動は気にしていたんですか?

 

島田 赤岡のTwitterやYouTubeは見ていましたね。『軍団うれるーぞ』を立ち上げて、活動しているのを確認しつつ。親心ではないですが、一緒にやっていた身として、もっとこうすればいいんじゃないかなぁーとか勝手に考えたりして。

 

――赤岡さんはいかがですか? 島田さんが、手相や怪談などでテレビに出ていることもあったかと思いますが。

 

赤岡 いや~本当かなぁ? と思っていましたね。あまり信じていなくて。怖い話をしていても本当かなって……。

 

島田 ほんとだよ、それは!……まさかこの機会に、僕の仕事の二本柱をディスられると思ってなかったですね(笑)。

 

――会って占ってもらおうとかは、思わなかったんですか?

 

赤岡 いやいや、そんな女子みたいな気持ちないですよ。「島田さんに占ってほしい~♪」みたいなね。でも、解散する前から島田は手相をやっていましたから。いろんな人を占っているのを見ていました。

 

島田 それこそ当時は、三谷幸喜さん脚本の『HR』ってドラマで、僕たちが前説をやっていて、香取慎吾さんはじめキャストの方の手相を見たりしていましたね。

 

――そうだったんですね。赤岡さんは手相を見てもらったことはないんですか?

 

赤岡 今まで一回もないんですよ。ただ、一度だけお金を払ってコンピューターの鑑定で見てもらったことはあって。そこで「今年は結婚運がかなり高いです」といわれたんです。でも、僕はその年に離婚したばっかりで。いや~その時の1500円返してほしいですね。

 

島田 ずっと言ってくるんですよ! 根に持たれてますね。

 

解散の真相は?——島田は「アッコさんの言葉」で芸能界を続投

――そもそも、どうしてコンビ解散となってしまったんでしょうか? 話し合いなどはあったんですか?

 

島田 んん~話し合いとかはなかったよね。

 

赤岡 しなかったね。お互いにやめようっていう感じになったんですよね。

 

島田 1つの要因としてはM-1グランプリに出られなくなったことがありますね。1996年にデビューして、2008年に解散したんですが、当時は結成10年までしか出場できない縛りがあったので。それでこのままやってても……ってなったんですね。2007年くらいに渋谷の喫茶店で、赤岡に「もうやめる」って言われて。

 

赤岡 そのときは、島田も芸能界をやめるって言ってたんですよ。

 

島田 僕はネタを作っている方ではなかったので、同じくやめて長野の実家に帰ろうかなと思っていました。でも、そのとき僕らの冠番組のラジオの放送が、残っていたんです。なので、やめると決めてから結果的に1年の猶予があった。その間に手相と怖い話の仕事がけっこう入ってきて……。

 

赤岡 そしたら、いつの間にかやめないことになってたんです。あれ? って思って。

 

島田 そうなんです。それこそ当時、和田アキ子さんにお世話になっていて、やめると報告しに行ったんですね。そしたらアッコさんに「どうせだったら、もうちょっと頑張ってみろよ」と言われて。それで「芸能界は1個じゃ切られちゃうから、2つのことを頑張ってみなさいな」とアドバイスを受けて、そこで手相と怪談に力を入れ始めたんですよ。そして、明くる年の新年会で報告しに行ったら「見とったぞ。2つ頑張ったやんか」と言われて、続けることにしたんです。

 

――なるほど、そんなアドバイスを受けていたんですね。そのとき、赤岡さんは芸能の仕事は完全にやめるつもりだったんですか?

 

赤岡 そうですね。やめるつもりで、どうしようかなぁと考えていたときに、試しに脚本を書き出したんです。各テレビ局の脚本大賞に応募し始めて、これは面白いなと。楽しくなってきたんですよね。でも、そういった賞レースには、何千と応募が来るので早々には受からない。それでまずは、舞台の脚本ならできるんじゃないかと思い立って書き始めたんです。いろんな劇団に「脚本家いりませんか」と営業に行って回りましたね。

 

まさかのドッキリ企画で再会へ……

――お二人とも解散から全く別の道を歩んで、そして今年の夏にYouTubeのドッキリ企画(※)で再会されたわけですね。

 

※島田秀平のYouTubeチャンネル『お怪談巡り』の特別企画として、12年ぶりに島田と赤岡が再会したドッキリ企画。2人の幼馴染の制作会社プロデューサーの深谷氏、マネージャーの高田氏、そして赤岡が仕掛け人となって実現した。


島田 そうなんですよ! ほんとにびっくりして! 12年間も会ってないと距離感が全然わからなくて、会話もかなりぎこちなくなっていたかと思います。

 

――リアルな距離感が面白かったです。でも再会する前に電話では会話されていたとか?

 

島田 そうです。放送作家の倉本美津留さんの『YouTube大喜利』という番組のオファーがあって、その時に倉本さんがポッと「元相方も連れてきちゃいなよ」と言ったんです。僕は「ちょっと待ってください! 12年会ってないんで……相方の気持ちを確認させてもらってもいいですか」と話して、一度電話したんですね。だけど、その時も赤岡は僕の番号を登録してなかったんですよ!

 

赤岡 どっかで見たことある番号だな~とは思ってたんですけどね。

 

島田 こんな話があるんだけど、どう? って聞いたら、即答でいいよと。すげえな、いいんだ! って思いましたね。そんな感じで、とんとん拍子で進んでいって。

 

――赤岡さんはその時どう思われていたんですか?

 

赤岡 実はその前にドッキリの方はすでに決まっていたんですよ。今年の1月くらいには話が出ていて、コロナで頓挫していたんです。そんな時に倉本さんからのオファーがあって、その前に再会ドッキリをやろうってことになって。

 

――じゃあ、本当に何も知らなかったのは島田さんだけだったってことですか?

 

島田 でしょうね! 本当に知らなかったんです。でも、我々を昔から知っている深谷という男、号泣時代からのマネージャーの高田さん、そして倉本さん。いろんな方々の思いが結集して、そのおかげで実現したというのは、本当に凄いことだと思いましたね。

 

「号泣」復活!そしてM‐1グランプリ出場決定

――この短期間でガラッと状況が変わりましたね……そしてついに時を超えて、久々に2人で漫才をやることになったという。

 

島田 そうです。いざ倉本さんの番組(※)に行ったら「漫才やって」って言われて。ネタ合わせも当日30分くらいでやったんですよ! それで、ぎこちない漫才が終わったら、倉本さんに「号泣って12年やって解散してるよな? いまM‐1は結成から15年まで出場OKに伸びてんねん。M-1出てや!」って言われたんですよ!

 

※放送作家・倉本美津留氏の生配信番組『YouTube大喜利』の2020年7月23日の放送回で、号泣が解散以来初の漫才を披露し、M‐1出場を決めた

 

――まったくもって予想外の展開ですよね。

 

島田 えー! って驚愕しましたよ。それで、じゃんけんして勝った方が決めることになって、僕が勝ったので、やりましょう! となりました。すでに帰りの車の中では「ネタどうする?」って言って話し合いをしましたね。

 

――さっそくやる気になられていたんですね。

 

赤岡 やるって言っちゃいましたからね。でもYouTubeの生配信中に決めるのは、汚いですよ〜。カメラが回ってるとこで!

 

島田 逆にあそこで言われてなかったら、断ってるよね?

 

赤岡 うん、僕はやらなかったですね(笑)

 

島田 そこが倉本さんの策士な部分なんですよね。

 

――普通だったら、しばらく悩むような決断かと思います。

 

島田 そうですよ! 2、3か月悩んでもおかしくない話だと思いますね。それを再会します、漫才します、M-1出ますって流れるように決まって。これが一個でも欠けていたら、こうはならなかったですから。

 

バナナマンやスピードワゴン…芸人からの応援も続々!
——「オンバト世代」の証明をしたい

――芸人仲間や有名人の方からの反応も凄かったんじゃないでしょうか?

 

島田 撮影現場で「出るんだってね、頑張ってね!」って、めちゃくちゃ声かけてもらえるんですよ。うれしいですね。事務所の先輩芸人の方々にも報告したら、喜んでくれて。

 

赤岡 スピードワゴンのお二人はネタ合わせしていた時に来てくれて、いろいろアドバイスをしてくれましたね。

 

島田 M-1決勝に行っているコンビに、アドバイスをもらえるなんて贅沢ですよね。ほかにもバナナマンさんに報告したら、設楽さんは忙しいのに「おー! すごいじゃん! 頑張れよー!」とすぐ返信くださって。日村さんは「決勝まで行くことを願うよ。頑張って!」と応援メッセージをくれました。

 

――みなさん注目しているんですね

 

島田 やっぱりM‐1は特別だからか、情報はすぐ回っていて多方面から連絡が来ました。みんなすごい応援してくれるんです。

 

赤岡 とくに同期芸人は、自分たちがもう出なくなったから期待をかけてくれているんじゃないかなと思いますね。

 

島田 そうですね。僕たちはNHKのネタ見せ番組『爆笑オンエアバトル』の初期から出場している、いわゆるオンバト世代なんですよ。その時のライバルたちが、一番喜んでくれていますね。「ダイノジ」さんとか「江戸むらさき」とか。第7世代をはじめとして勢いがあるなか、「号泣」がいまのお笑いの中で結果を出せれば、当時も面白い芸人たちが、しのぎを削っていたスゴイ時代だったんだぞ、という証明になるかなと思っています。思い出って、美化しがちかとは思うんですが、俺らがやっていた『オンバト』っていう番組も、めちゃくちゃ面白かったんだとアピールしたいと思いましたね。

 

復帰の舞台がM-1……前例なしの荒療治!

―― 一度解散しているコンビが10年以上経過して再出場するというのは、M-1史上でも前代未聞のことだったと思います。

 

島田 正直ありえないですよね。今回5000組以上出場していて、お笑い第7世代という新しい波も来ているのに、僕らM-1の第1回から出てるコンビが出場しているんですよ。しかも、予選に行ったら僕らの前が「納言」で、後ろが「尼神インター」と大人気コンビに挟まれて、おじさんたちが漫才をやっている状況に。正直なんでここでと戦わなければいけないんだろうと思いましたね(笑)

 

――予選でネタを披露して、どうでしたか?

 

島田 昔、最後の駄目だったときの予選会場がルミネだったんですけど、今回の予選の舞台もルミネだったんです。あのときと同じ景色!同じお客さんの並び!

 

赤岡 緊張しましたね。少しはネタ合わせしましたけど、ほとんどぶっつけ本番でしたから。

 

島田 そうですね。なんせ12年ぶりともなると、同じネタでもテンポとかツッコミのフレーズがちょっとずつ変わっていまして。これが面白いなと思いましたね。

 

赤岡 でも島田は「歳だからツッコミで叩くのとかやめよう」って自分で言ってたのに、本番めっちゃ叩いてきたんですよ。

 

島田 いや、それには自分自身が1番驚いてて! そんなおじさんがね、叩くとか……いまのご時世違いますし、2人の空気感で楽しい漫才をお届けしようと思っていたのに、昔のことを思い出そうとしたら焦ってテンポが速くなっちゃって、いつのまにかバーンって叩いてて。一発叩いちゃったなぁ……って反省して動画見返したら、2回叩いてました! ほんとに本番の記憶がなかったんですよね。

 

――気づかないうちに緊張していたんですね。

 

島田 舞台に出て行ったら、コロナの影響でお客さんは8割くらいの人数で、みんなマスクをしている状態。それで当時と同じネタをやると、記憶していた笑いの反応よりも半減していたので、すごく焦っちゃって。前半は緊張しちゃって、後半やっと楽しめたっていう感じでしたね。

 

――でも動画を拝見しましたが、ブランクを感じさせない舞台だったと思いました。

 

赤岡 そうですね~。例えば、自転車は何年経ったあとでも乗れるじゃないですか。一回乗れるようになっていれば、ブランクがあっても、すぐに感覚が戻ってくるというか。それと同じかと思いますね。

 

島田 僕は怪談ライブとかで舞台には出ていましたが、赤岡は本当に12年ぶりの漫才で、その復活の舞台が急にM-1だなんて、一番厳しい状況ですよね。しかし、淡々とこなしていました。普通は声が震えたりとかしそうなのに、そんなこともなく。ちょっとすごいなぁと思いましたね。もう逆に頭おかしいんじゃないかと(笑)

 

赤岡 そんなことないって。まず昔だって毎年M-1の舞台は緊張してたから。今年だって、12年前だって同じ緊張なわけだ。

 

――そんなことあるんですか!?……でも短期間でどうやって気持ちを作って行ったんだろうと、疑問に思っていました。

 

島田 超荒療治ですよね〜。M-1の舞台が復帰って普通ありえないですから。

 

赤岡 でも何とかなるもんなんですよ、表に出されてしまえば。

 

島田 いや無理、無理! 恥ずかしいことに僕の方があたふたしていたんですよね。

 

12年前からネタの変更はナシ!

――準備期間は短かったかと思うのですが、ネタは作り変えたりしたんですか?

 

島田 予選の持ち時間は3分間しかないんです。しかも、12年ぶりに出るので後のことを考えて、余力を残している場合じゃない。ですから1番良いネタで勝負しようと。それを短くまとめて仕上げていった感じですね。

 

赤岡 でも意外と12年前のネタでも、使えるものはあるなと思いましたね。わりと僕たちのネタが普遍的なものなので。当時の流行りをやっていたわけでもないですし。

 

――ではネタ自体は、そこまで大きな変更はなかったんですね。

 

赤岡 そこまで変わってないですね。あとは年相応な雰囲気でやりたいとは思っていました。昔みたいにガーガーと、がなっても見苦しいだろうなと思って(笑)

 

島田 そうですね。僕も一つ一つのボケを受け止めて、今の自分なりのフレーズや間合いを意識した漫才をしようと思っていました。でも焦っちゃって、結局昔のまんまでやっちゃうという(笑)

 

――M-1の2回戦の動画を拝見しましたが、昔とはまた違った雰囲気の漫才になっていたんじゃないかと思いました。

 

島田 そうであったならうれしいですね。でも、僕の中でちょっとした裏テーマもあったんです。さっきもお話したんですけど、1回目から出場しているおじさんコンビなんて他にいないので、そんな帰ってきたジジイたちが一番元気だったら、それはそれで面白いなと思ったんですよね(笑)。若い現役世代よりも楽しそうにやってるな、と思ってもらえたら、ちょっとかっこいいかなって。

 

――実際に楽しそうにネタを進められていた印象でしたよ。

 

島田 終わったあとに周囲やお客さんから「楽しそうでよかった」という声も多かったので、そう見えたならよかったですね。

 

赤岡 そうですね。僕としてはそこで「懐かしいな」と思ってもらえるのが一番うれしいかな、と思いましたね。例えば再結成したバンドがいたとしたら、まずは新曲よりも往年の名曲を聞かせてくれ! と思うんです。なので、今回の僕たちの漫才を見て、懐かしいと思ってくれた人がいたら安心ですね。

 

ファンにも青春時代を思い出させたい

――それでいいますと、昔からのファンの方などの反応はいかがでしたか?

 

島田 YouTubeのコメント覧を見ると「オンバト世代でした。また号泣が見れて嬉しい!」とかポジティブな声が多くて。こんなに応援してくれるんだ、と驚きました。

 

赤岡 そこですよね。それが今回の僕たちの強みでもあると思っていて。久々に再結成してM-1に出場するというバックボーンを知っている方には、やっぱり応援してもらえるので。1番の武器ではあるかと思いますね。

 

島田 たしかに、そうですね~。

 

赤岡 だからネタはぶっちゃけどうでもいいんですよ!

 

島田 なんでだよ(笑)

 

赤岡 それよりも、12年ぶりに出場しているという事実を知ってもらって、面白がってもらえたらいいなと。

 

――今回の再結成については、かなりニュースになっていたので、当時のファンの方々の目にも止まったんじゃないかと思います。

 

赤岡 それでも、M‐1の予選の結果が出てから「あ、あの号泣か!」とあとから気付いてくれた方も多いので、まだまだ伝わっていない人はたくさんいるかと思いますね。

 

――ファンの方でも、まさかいま再結成しているなんて、思わないかもしれないですもんね。

 

島田 そうなんですよね。実際に、僕らと同じようにファンの方たちも年齢を重ねているじゃないですか。当時、10代でオンバトを見ていたような人が、20代、30代になって家庭を持つような世代になっている。そんな時に僕らが出ているのを見て、それぞれの青春時代を思い出してくれたらうれしいですよね。そこでまた「号泣って頑張っているんだな、やっぱり面白いね」って思ってもらいたいです。

 

ネタ番組に呼ばれる可能性も!

――「号泣」としての、今後の活動については話されていますか?

 

島田 特にまだ話していないですね(笑)。何もなければ終わりですが、もしかしたら今回の結果を踏まえて、何かお仕事のお話をいただけたり、ネタ番組に呼んでもらえたりすることはあるかもしれないですけどね。

 

――きっとあるんじゃないでしょうか。もし本当に呼ばれたらどうします?

 

島田・赤岡 んん~!……あははは(笑)

 

――まだわからないという感じですかね……ただ、年末年始にはお笑い番組もいろいろ控えていると思うので、オファーはありそうです!

 

赤岡 いや~それはどうしましょうかね~。

 

島田 じゃあ僕は、その時はもうネタだけじゃなくて、お正月に寒空の中で水をかけられる若手芸人の中に、混ぜてもらってもいいですよ! その方が面白いですし。

 

赤岡 え~、本気? じゃあ僕はやりませんけど(笑)

 

「軍団うれるーぞ」に還元したい

――コンビでの活動以外に、赤岡さんの劇団に島田さんが加入したとお聞きしました。

 

島田 そうなんです。8月から赤岡主宰の「軍団うれるーぞ」に正式加入することになったんですよ。僕ら以外に3人メンバーがいまして、とても人柄が良くて楽しい人たちで、面白く活動させてもらっています。

 

――11月21日に舞台があるそうですが、かなりの過密スケジュールですよね。

 

赤岡 実はM‐1出場が決定するより前に、島田が劇団に加入することは決まっていて。いろいろとトントン拍子で進んで行ったので、このようなスケジュールになってしまったんですよ。今回は、ひとつのカメラを80分ほど回しながら、生配信でお話をやるので、けっこう大変な企画なんですけどね(笑)

 

――おお、そうなんですね。M‐1出場に加えて、劇団も本格的に始動していてすごいタイミングです。

 

島田 実は、僕がいま思っていることがありまして。「軍団うれるーぞ」のメンバーはいままで赤岡のことを支えてくれて、活動をしてきたんですが、まだまだ注目が集まらなくて、みんな食えていないんです。でも、これから号泣が活躍できれば「赤岡さんがやっている劇団なんだ」って認知されて、彼らの方にも還元できるんじゃないか、と思っているんです。そこを頑張りたいです。

 

――相乗効果ですね。

 

島田 自分も一緒に楽しみながら、一役買えるようなことがあればと思っていたんですよね。「号泣」を利用してもらえるような部分もあると思うし、注目してもらえるかもしれないし。「軍団うれるーぞ」を売りたい。その思いが実はいま一番強いですね。

 

――最後にファンの方へのメッセージをお願いします。

 

赤岡 ファンの皆さまがもしいらっしゃるなら、ぜひもっと大きな声をあげていただけたらうれしいですね。「意外と俺好きなんだよ~」って方もね(笑)。励みになりますから。

 

島田 自分も40歳を超えて落ち着いてきて、だんだん無茶もできなくなってきていますが、この活動で同じ世代の人が「もう1回がんばろう」となれるきっかけを作れればいいなと思います。こういうパターンもあるのかと。何かチャレンジしたいことがあるなら、遅いことはないと思うので僕たちが少しでも勇気を与えられたら嬉しいですね。

 

――ありがとうございました!

 

 

 

島田秀平

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・YouTubeチャンネル「島田秀平のお怪談巡り」
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赤岡典明

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「軍団うれるーぞ」

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