高嶋ちさ子さんによる自身初の自伝『ダーリンの進化論』(小学館)が発売された。日本を代表するヴァイオリニストでもあり、日本を代表する毒舌家でもある彼女の半生が描かれている。
自伝は5章に分かれており、1章で「生まれ育った高嶋家」について、2章で自身の子どもの頃から結婚までを語る「ヴァイオリンの道」、3章で伴侶である夫とのエピソードを語る「進化する夫」、第4章は「妊娠そして出産」、第5章は「手探りからの子育て」、第6章は「現在の高嶋家」だ。
一瞬も気を抜けない高嶋家の日常
全体として文章は簡潔で読みやすく、オチもしっかりついていてテンポがいい。高嶋家ではオチのない話には容赦なく突っ込みが入るというから、培われた能力は文章力として存分に発揮されていそうだ。爆笑しながら次の話題が気になり、スラスラと読み進められる。
印象的なのは、やはりかなり個性的な高嶋家のエピソードだ。
「みっちゃんが困らないようにあなたたちを産んだのよ」
と母から言われて育ってきたことをある心療内科の先生に話したら、
「それはさすがにひどいですね、つらかったでしょう」
と言われました。そう思う人が多いのかもしれません。けれど私はこう返しました。
「先生、私がそれをひどいと思うような子だったと思うんですか? 私は自分が使命を持って生まれてきてそれでよかったと思っているし、そんな見方しかできない先生に私のことはとても任せられないな」
母は私の性格を見抜いて言ったと思うのです。「この子は強い子だ」とわかっていたから私をこのように育てたし、もし私が弱い子だったら受け止められなかったでしょう。
『ダーリンの進化論』より引用
社会の多様性や障がい者の自立などまったく意識になかった一昔前は親にこう言われて育った子どもは多かったと聞く。しかし高嶋さんは傷つくどころか肯定的。親子の信頼関係の太さを感じるではないか。
そして彼女は「お金持ちになりたい」という。「お金持ちになりたい」という次男にはこんな話をするそうだ。
「ママにはダウン症の姉・みっちゃんがいて施設に通ったり東京都にも区にもお世話になっているから、その分ママが税金もいっぱい払わなきゃいけないと思ってる。そういう意味で、ママは稼いで『お金持ちになりたい』んだよ」
『ダーリンの進化論』より引用
こういう、欲望と真摯さが両立しているところが、彼女の人気の理由なのではないか。
歯にもの着せぬ語り口は高嶋家の伝統のようで「嘘をついてはいけない」「人に媚びてはいけない」と教わってきたのだとか。確かに、人の顔色をうかがって過ごすよりも、正直に生きたほうが楽だ。かといって「気を使わない」とも違う。文中でも、彼女が夫や家族や周囲を気遣う様子がいくつも語られている。後ろめたいことがなければ嘘をつく必要もなければ、人に媚びる必要もないのだから、案外正しい方針なのではないか。
それでいて高嶋家はケンカやいたずらが耐えなかったらしく、一瞬も気を抜けないのだとか。
兄だけでなく高嶋家は皆でイタズラを仕掛けてくるので負けていられません。父がゴリラのかぶりものをかぶって「ただいま」と家に帰ってきたり、私たちが学校から帰る頃を見計らって母が玄関に「引っ越しました」の貼り紙を貼っておく、なんてこともありました。いい大人があの手この手でイタズラを考えている、そんな環境でした。
『ダーリンの進化論』より引用
穏やかな夫と結婚したら穏やかで静かすぎて精神不安定になったというのだから、どれだけ高嶋家は絶叫マシンなのだろう。
夫を進化させる
驚くほどのんびり屋で人がいい夫と結婚し、2人の息子に恵まれた現在の様子は、ひたすら微笑ましい。夫に似て穏やかな長男と、ちさ子さんに似て繊細で口が悪い次男。この家族のやり取りもシーソーのようで笑いを誘う。
夫に対して怒りをぶつけるエピソードの数々は、読み手によって受け取りかたが変わりそうだ。多くの女性は高嶋さんの怒りに同調しそうだし、男性には「単なるきつい女」と見えるかもしれない。そういうやり取りを繰り返すうちに、夫が進化してきたというのも、2人の歴史を感じられる話だ。
ネットで「高嶋ちさ子」を検索すると、「あんな口の悪い女」とか「あいつにだけは 音楽をやってほしくない」など、ひどい書き込みがたくさんあってちょっと落ち込んだことがありました。すると「えっ? ちいちゃんは人に好かれたかったの?」と夫にサラっと言われました。
確かに私は人に好かれようとは生きていないし、普段の言動も人に好かれたいタイプの人間のものではありません。「あ、そっか」と気持ちがラクになりました。
『ダーリンの進化論』より引用
人の顔色をうかがい相手に合わせることと、嘘をつかないことは両立が難しい。目の前の人に同調して本音を言わないと、相手が変わるごとに意見を変えざるを得ない。そういうコウモリのような姿勢は「こいつは信用できないな」「優柔不断だ」という印象を与えることもある。つまり人に嫌われないようにして嫌われることがあり得るのだ。
特に日本は、人に気を使い、自分を押し殺して周囲に同調することが求められる、生きづらい社会だ。そういう中で彼女の裏表のない姿勢は、非常にすがすがしい。
コロナ鬱を吹き飛ばすにうってつけの1冊だ。
【書籍紹介】
ダーリンの進化論
著者:高嶋ちさ子
発行:小学館
ヴァイオリニスト・高嶋ちさ子が生まれ育った高嶋家の「弱肉強食ルール」。育児も手伝い「妻に逆らえるまで」成長した夫。ぶつかりながらも本音で生きる家族はやっぱり楽しい!
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