SNSなどで、自分と同姓同名の人を見かけることがあります。漢字まで全く同じ名前の人を見ると、つい恥ずかしくなるような、あるいは親近感を抱くような複雑な気持ちになりますよね。そんな同姓同名の人を27年間、集め続けた活動「田中宏和運動」をご存知でしょうか。
その名の通り日本全国の「田中宏和さん」と交流をしていくことを目的とした活動です。現在、参加を表明している「田中宏和さん」は全155名。「ギネス登録まであと10名」に迫る状態だそう。年齢や性別、職業はもちろんバラバラでも同姓同名であるというだけで生まれる絆。今回はそんな同姓同名集めの実態について、「田中宏和運動」を開始させた田中宏和さんに話を聞きました。
最初のきっかけはドラフトで見た田中宏和選手と年賀状
--田中宏和さんが同姓同名を意識し始めた経緯をお聞かせください。
田中宏和さん(以下、田中):一番初めに意識したのが1994年のことです。当時、秋のプロ野球ドラフト会議で、近鉄バファローズの第一位指名選手となったのが、奈良県桜井商業(当時)の投手・田中宏和選手でした。僕も子どもの頃は昭和の野球少年だったので「ドラフト会議で自分の名前を呼ばれるのが夢だ」なんて思っていたため、この田中宏和選手の第一指名は自分のことのようにうれしく思いました。
その翌年の年賀状からは、田中宏和選手の記事を貼り付けて送ったりして面白がっていました。それが続くうちに毎年の年賀状の恒例みたいになってきて、自然と知人から色んな「田中宏和さん」の情報が入ってくるようになりました。
――SNSもネットもない時代ですから、まさに口コミによって広がったんですね。
田中:そうです。ただ「田中宏和の情報がない」年もあったりしたので、一時は「もうヤメてもいいかな」と思っていたんですよ。ところが、2003年の年末年始に、仕事上面識があった糸井重里さんからお声をいただくことがありました。糸井さんは当時、「ほぼ日刊イトイ新聞」でコラムを毎日更新していたのですが、「年末年始、休暇を取って海外に行く。この間、一介のサラリーマンとして、田中くんが日替わり編集長の一人として、1日担当してくれないか」とお声を掛けてくださいました。
もちろんお引き受けしましたが、ちょうど年末年始ということもあったので、僕がこれまで続けてきた「田中宏和」年賀状を全部公開したんです。すると、「私も田中宏和という名前です」ですとか「中学の同級生に田中宏和がいた」ですとか、それまでにはなかった情報をいただきまして。そこから「せっかくなので、田中宏和さんに実際に会ってみよう」と、次々と様々な「田中宏和さん」に会うようになって「田中宏和運動」がどんどん広がっていった流れです。
荒俣宏さんが「朝日新聞」にこだわりを持つ人ばかりを紹介する連載をされていて記事にしていただいたり、テレビ番組にも複数回取り上げていただきました。メディアでの力も大きかったですね。テレビに出たときはGoogle急上昇ランキングに「田中宏和」が入ったのは驚きましたね(笑)。
複数の田中宏和による主題歌や書籍出版も
――「田中宏和運動」が広まっていくにつれ、本の出版や、音源のリリースをしました。
田中:色々な「田中宏和さん」と出会い、メディアでも取り上げていただくようになった頃、「そろそろ主題歌みたいなものがあっても良いな」と思い、僕が歌詞を書いて、2番めに会った作曲家の田中宏和さんに作曲と編曲をお願いして、歌を作りました。田中宏和さんは、小さなお子さんからお年寄りの方までいるので、学校の校歌のようなものにしたい、あと「We Are The World」のような感じで、田中宏和さんが全員で歌えるものが良いなと思って作りました。
また、本の出版は「田中宏和運動」のそれまでの活動や、同姓同名についての研究成果をまとめたものでしたが、即重版がかかりました。
「田中宏和」運動全国大会とは!?
――しかし、最初は冗談のように始めたものが、複数の「田中宏和さん」が関わると、「自分の名前」の話なだけに、冗談では済まないことになりそうです。
田中:そうですね。そんな風に参加される「田中宏和さん」が増えていくなかで定款を作ったり、また2010年、2011年には全国大会を開催しました。
――全国大会って、何をされるのですか?
田中:新しい田中宏和さんを呼び込んで、その場で私がネーミングを決めます。皆さん同じ「田中宏和さん」ですから、なんらかの名前分けをしないといけません。そこで「エンジニアの田中宏和さん」「リフォームの田中宏和さん」など、主に職業や趣味・プロフィールになぞったものを付けさせていただいたりします。最後にはみんなで「田中宏和の歌」を歌って結ぶというものです。
同じ「田中宏和」同士、互助的な組織にしたい
――単に同姓同名だと言っても、様々な人がいるわけで、中には悪い田中宏和さんもいるのではないですか?
田中:もちろんいます。実際にはお会いしていませんが、新聞の記事データベースで調べると、犯罪歴のある田中宏和さんもいるんですね。でも、この田中宏和運動では、仮にそういった人が来ても定款さえ守っていただければ平等に接したいと思っています。むしろ、何か罪を犯してしまった田中宏和さんは、それこそ弁護士の田中宏和さんが弁護するなど、「同姓同名」ということから互助的な組織になっていったら良いなと思っています。
田中:一方、宮城県に「消防士の田中宏和さん」がいらっしゃるのですが東日本大震災のときは本当に心配でした。震災後、メールをしたら「ありがとうございます。現在災害対応中です。私の身は大丈夫です」と返信が来て、なぜだか泣けてきました。「単に同姓同名だ」というだけでここまで心を動かされるものなのかと不思議にも思うこともありました。
一度は認められなかったギネス登録。あと9名以上で世界記録を狙える!?
――現在、「田中宏和運動」に参加されている田中宏和さんは全国で155名になっているそうですね。ギネス記録に登録できないものなのでしょうか。
田中:2011年に71名の「田中宏和さん」が集まった際に「これはギネスに申請できるはずだ」と思い、挑戦することにしました。当時、スポーツ新聞やテレビでも取り上げていただいたのですが、「残念ながら認められません」という返答でした。
その理由は、2005年にアメリカでマーサ・スチュワートさんという方が164名の同姓同名を集めた記録があったんです。ガッカリしましたが、そこから気を取り直して「164名以上の田中宏和さんに会えたら、もう一度ギネス世界記録に挑戦」ということで、現在に至ります。「人類がコロナに打ち勝った証」として、田中宏和運動全国大会を来年あたりに行えれば良いですね。
――ということはあと9名ですね。
田中:そうです。まだ参加されていない「田中宏和さん」はぜひご連絡をいただきたいですね。
「田中宏和運動」の最終目標は、「田中宏和」の名を後世にも残すこと
――27年もの長きにわたる「田中宏和運動」ですが、この間、インターネットが普及しSNSなども一般的になりました。このことで「田中宏和運動」にはどんな影響がありましたか?
田中:確かにSNSが普及したことで、以前よりは「田中宏和さん」を見つけやすくなりました。ただ、こういったデジタルツールだけでなく、フィジカルなものもミックスしないと良いコミュニケーションは取れないだろうと思っています。
単純にパソコンに向かって「視覚」「聴覚」だけでのコミュニケーションは便利です。今はコロナ禍なのでやむを得ないところもあります。ただ、デジタルだけでなく、やはり人間同士は実際に会って向き合う機会も持っておかないと、絶対にダメだと思っています。「田中宏和運動」は様々な「田中宏和さん」に登録してもらえば良いのではなく交流を図ること、そして「田中宏和」という名前を残していくことを最終的な目的としています。
――最も若い田中宏和さんは何歳ですか?
田中:「2歳の田中宏和さん」です。ちょうど2年前、平成から令和に変わる頃に、田中さんという方から「息子を『宏和』と名づけました」というメールをいただきました。なんでも「田中宏和運動」を知り、あえて「宏和」と名付けられたそうです。これはうれしかったですね。
あるデータによると「宏和」という名前は、平成時代はキラキラネームに押されて減少の一途を辿っていたようです。ただし、今の「令和」の「和」にちなんで再び人気が出るのではないかと期待しています。「人生100年時代」と言われていますが、これからもずっと「田中宏和」という名前が残っていって欲しいと思っています。
最初は冗談のように思っていた「田中宏和運動」ですが、今回ほぼ幹事の田中宏和さんのお話をお聞きし、人間の感情や因果の本質に迫る側面もあるように思いました。あと10名で再申請できるギネス登録を実現させ、さらなる哲学としての「田中宏和運動」の広がりに期待するばかりです。