昭和天皇は、シチズンの懐中時計を愛用されていたと言われています。ではなぜ、シチズンの時計だったのでしょうか? その知られざるエピソードをご紹介します。
昭和天皇がポケットから取り出したのは、尚工舎(現シチズン)」が発売したばかりの第1号モデルだった
現在のシチズンは、1918年に尚工舎時計研究所という社名で誕生しました。
同社の最初の製品は、1924年に完成した「16型」。携帯時計の主流が輸入品の懐中時計だった時代に、独自の設計で作り上げた国産時計でした。
のちに社名ともなったCITIZEN(=市民)という製品名が与えられた懐中時計で、この製品が昭和天皇の手にもわたったとされています。
その経緯について、いまも残る逸話があります。
昭和2年(1927年)に名古屋での旧陸軍晩餐会で、コーヒーを楽しみながらの歓談中、一人の紳士が手持ちの時計を見せ「陛下、これは外国製でございますが、まことに良く(正確に)合います。日本製のものはどうも不正確でまだまだ到底、外国製には及びません」と申し上げたところ、陛下は無造作にズボンの右ポケットから懐中時計を取り出し「私のこの時計は12円50銭の国産品だけれども、とても良く合うよ」と嬉しそうに示したのが、「尚工舎(現シチズン)」が発売したばかりの同社第1号モデル「CITIZEN(16型)」だった。
ちなみに、「CITIZEN」の名称は、当時東京市長だった後藤新平氏が「市民に親しまれる」という意味で命名したものでした。
時計は官費購入品ではなく、名侍従と謳われた木下道雄氏が東宮侍従の頃、京橋の「山崎商店」で2個購入したもの。
1個を私用に、1個を陛下に謹呈されたものと伝えられています。
【URL】
CITIZENのキセキ http://citizen.jp/locus/