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2021/11/6 11:00

少女ギャング団から東海林さだおの軽妙エッセイ、そして地図帳まで—— 歴史小説家が選ぶ「東京」を深掘りする5冊

毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「東京」。400年近く日本の首都であり続けた世界有数の都市——しかし、私たちは「東京」について 実はなにも分かっていないのかもしれません……。谷津さんが多角的に選んだ5冊を参考にして、あなたも東京を再発見してみませんか?

 

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わたしは生まれも育ちも東京、なんなら現在も東京に住んでいる。

 

とはいえ、わたしの生まれ育った地は東京西部。東京都ではあるけれど、文化としては〝東京〟の周辺部であったりする(どういうことかというと、東京西部は水源確保の名目で東京に編入された地域で元々は今の神奈川県に属しており、東京二十三区とはちょっと文化圏が異なるのである。そのため、わたしの生まれた地域では新宿より東に行くことを指して「東京に行く」と言い表していた。閑話休題)。

 

さらに私事を申し上げるなら、ごくごく最近まで東京二十三区で暮らしていた。とにかく便利な場所で、打ち合わせに出かけるにも、催し物に参加するのも、美術館や劇を観に行くのも散歩に行くようなノリだった。同じ東京でも、やっぱり二十三区は違うなあと住み始めのころは興奮したものである。もっとも、人が多く、空気が悪く、物価が高いのには辟易したのだが。

 

わたしにとって東京は、近くて遠い場所だ。そしてきっと永遠の憧れであると当時に、なんだか怖いところ、という印象も持ち続けることだろう。

 

今回の選書テーマは「東京」である。しばしお付き合い願いたい。

 

江戸から東京への変転に必要だった「大火」の物語

まずご紹介するのは明暦の大火 「都市改造」という神話(岩本 馨・著/吉川弘文館・刊)である。

 

皆さんも、「明暦の大火」を一度は耳にしたことがあるだろう。

 

江戸時代初期に発生した江戸の火災である。歴史に詳しくない方でも、「振袖火事」と聞けば、もしかしたらピンとくるものがあるかもしれない。

 

さて、この明暦の大火について、こんな言説がある。「明暦の大火の後、徳川幕府は江戸の都市改造を行なった」。歴史好きの方なら一度は聞いたことがあろうし、お詳しい方ほど自明のものとして受け入れている言説だろう。だが、本書は一次史料の検討と整理によって、従来言われていた明暦の大火の虚像を廃し、その実像に迫っていくのである。

 

なぜ、選書テーマが東京なのに江戸の話を? 本書は明暦の大火を巡るフォークロアが発生した理由にまで筆を伸ばしているのだが、その結果見えてきたものは、江戸時代が終わり、近代に入った東京が、「明暦の大火を受けて都市改造を行なった」江戸のイメージを欲したのではないかという指摘だった。本書は「禍転じて福をなす」明暦の大火以後の江戸の町のイメージが、近代都市東京の必要とした〝物語〟でもあったことを指摘しているのである。

 

江戸〜東京の狭間で生きる者たちを描く伝奇時代漫画

次にご紹介するのは勇気あるものより散れ(相田 裕・著/白泉社・刊)である。時は明治初期、戊辰戦争で死ぬに死ねず、死に場所を探していた春安の前に、不死者の少女シノが現われたことに端を発する伝奇時代漫画である。

 

東京は近世、近代、そして現代に至るまで、事実上の首都として君臨してきた町である。江戸時代から徳川の影としてその身を挺して戦ってきたシノの一族が、時代が変わって明治政府の盾となることも、ある意味でその象徴と言える。江戸、東京という同じ街の上で、変わるもの、変わらぬもの、変わってゆきたい者、変わりたくない者の思惑が絡み合う様は、十年前まで江戸であった東京という舞台によく映える。

 

そういったことを抜きにしても、史実の隙間をぐいと広げてそこに奇想を盛り込む伝奇時代物としての魅力を堪能できると共に、漫画だからこそできるアクションや外連を楽しむことも出来る、優れたエンタメ作品でもある。わたしとしても続きを楽しみにしているところである。

 

「大正の闇」を映し出す『少女ギャング団』たちの物語

お次にご紹介するのは、くれなゐの紐 (須賀しのぶ・著/光文社・刊) である。

 

時は大正、帝都東京に消えた姉を追い上京してきた仙太郎が、色々あって女装の上、少女ギャング団に入団する処から始まる大正ロマン×ピカレスク小説である。

 

少女ギャング団? そんなのあったの? と疑問に思われる向きもあるだろう。しかし、実在の事実なのである。大正期、都市部にあって、女性のつける仕事はそんなに多くなかった。そこからあぶれてしまった女性たちにはアウトロー、あるいは限りなくそれに近いところで口に糊するしかなかった。「暗い昭和」のイメージに引きずられ、殊更に大正モダン、大正デモクラシーが喧伝されるきらいのある大正期は、実はなかなかに闇が深いのである。本書は華やかな表の大正から背を向け、より暗い側、より弱き側の世界を描いた作品なのである。「闇」に身を置くしかない人々、「闇」から逃れんと必死でもがく人々、そして、「闇」であるがゆえに見逃されたある事実……。これら大正の風景がない交ぜとなり、ストーリーがうねりを上げてゆき……。

 

そして本書において見逃せないのは、都市というシステムに呑み込まれていく人々の姿である気がしてならない。都市が活性化するためには競争が欠かせない。現代日本という都市を支えるわたしたちもまた、競争に晒されている。ギャング団の少女たちが対峙していたものは、案外現代のわたしたちにとっっても間近にあるものなのかもしれない。

 

東京の「時層」を感じさせてくれる洒脱なエッセイ

お次はエッセイから。『さらば東京タワー』 (東海林 さだお・著/文藝春秋・刊)である。

 

言わずと知れたユーモア漫画、ユーモアエッセイの雄による著作であるが、身構えていてもついつい笑わされてしまう。東京スカイツリーがお目見えしたタイミングで東京タワー見物に向かう表題作の他、天ぷら屋さんの大将をめぐる謎(『狂宴? 天ぷらフルコース』)や、自由気ままに振る舞い、なんとなく不合理なことをしているように見える掃除機ルンバを会社の部下に見立てて上司への同情心を吐露する(ロボット掃除機ルンバを雇う)などなど、笑い所満載である。個人的には、投げ売りが常態化している缶詰に同情して同志と慰労会を行ない様々な缶詰に舌鼓を打つ話(缶詰フルコースの宴)も好きである。

 

個人的に、東海林さだお作品は異文化コミュニケーションのつもりで読んでいる。

 

それはそうだ。著者さんは1937年生まれ。わたしが1986年生まれだから約半世紀も見ている景色が違う。東海林さだお作品を読んでいると、わたしが肌で味わうことの出来なかった日本社会の姿が見える気がするのである……というのはやや大袈裟だろうか。たぶん、わたしと同世代の方は似たような感想をお持ちになることだろう。

 

本書を読むと、なくしてしまった東京の幻景が見えてくるかもしれない。

 

東京の凸凹を目で見て楽しむ地図帳

最後は、多分この選書では初であろう、地図帳からのご紹介。『東京23区凸凹地図 (高低差散策を楽しむバイブル)(昭文社 地図 編集部 (編集) 昭文社)である。

 

東京にお住まいの方なら首肯していただけるだろうが、東京二十三区はアップダウンの激しい地域である。大小様々な川が流れて数多くの谷が生まれ、その上に町を広げてきた、それが東京という町の姿なのである。

 

本書は地図を眺めていただけではわかりづらい町の高低を描き込み、さらには坂や暗渠、地形に関係するランドマークの豆知識を記載した異色の地図帳となっている。個人的には大田区丸子橋の近くにある浅間神社のキャプションに、『シンゴジラ』のタバ作戦の舞台になった旨の記載があったことに思わず噴き出してしまった。とにかく色々と細かく、ぱらぱら眺めているだけでも発見がある。東京にお住まいの方はもちろん、そうでない方も、坂の町東京の魅力を味わって頂ければ幸甚である。

 

 

東京生まれの東京育ち、つまりわたしにとって東京は故郷といっても過言ではない。いや、正確には東京西部生まれだから「過言だろ」と怒られそうではあるが……。いずれにしても、己の近くにあるものほど、その特質を捉えがたいものだ。

 

日本の全人口の十パーセントが暮らす東京。それだけに無個性に思えるかもしれないが、一皮剥いてみると、町としての個性が見えてくる。この選書を通じて東京の持つ顔にお気づき頂けたなら、選書者としてはこれ以上ない喜びである。

 

 

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【プロフィール】

谷津矢車(やつ・やぐるま)

1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『北斗の邦へ跳べ』(角川春樹事務所)