国民的アイドルグループに属していた、とても可愛い女の子。正直、私の中でそのくらいの印象しかなかった。それがまさかこの一冊に出会ったことで、大げさではなく、彼女の才能にひれ伏すことになろうとは。松井玲奈。末恐ろしい人だ。
独特な表現が、胸に響く
実家の母と私は共に読書好き、しかも好む作品の傾向が似ているので、読了した本を定期的に送り合っている。先日届いた荷物の中に、その一冊は入っていた。
松井玲奈のデビュー短編集『カモフラージュ』(集英社・刊)。2019年4月に単行本が出され、今年5月には文庫化された作品だ。
松井玲奈って、SKE48にいた子よね。アイドルが書いた小説か……と手にとったときのテンションは低空飛行気味だったが、短編集で読みやすそうだし、ちょっと読んでみようかな。そうおもむろにページを開いて読み進めてみた。すると、どうしたことだろうか、鳥肌がゾワゾワと立ち始めた。
その理由は、ふたつ。
ひとつは、彼女が紡ぎ出す文体に、良い意味で期待を見事に裏切られたから。一文一文がすっと入ってくる。小難しい言葉は使われていない。むしろ、ありふれた言葉をチョイスしている。にもかかわらず、描写が独特なのだ。だから、新鮮で既視感がない。おそらく、擬音語や擬態語の表現がうまいのだと思う。なかでも、ひらがなの描写と用いるタイミングが秀逸だ。
「からからから、ことん」と、ビー玉が落ちる音。
ふわふわ、ぐしゃぐしゃ、ゆらり、じんじん、ぎゅうううっ、ぺしゃん。
彼女が描く情景が、柔らかく脳裏に広がる。
愛しさ、切なさ、恐ろしさ、そしてエロティシズム。万華鏡のような作品の数々
もうひとつの、鳥肌がゾワゾワと立った要因。それは、ストーリー自体にある。
文庫版『カモフラージュ』に収録されているのは、単行本集録作品6編に描き下ろしの1作を加えた、全7編。そのすべてが、「食」にまつわるストーリーだ。
たとえば、決まった夜にしか会えない彼のために、心を込めてお弁当を作るOL。たとえば、明太子スパゲッティをこのうえなく美味しそうに頬張るメイド喫茶の店員。たとえば、食べたら本音を話さずにはいられなくなる闇鍋に興じるYouTuberたち……。
そのほか、小学生の男の子から出会って8年目の夫婦、アラフォー独身女性まで、性別も年齢も環境もまったく違った人々が代わる代わる登場する。どのストーリーも一見すると読みやすく、共感しやすい。
だがしかし、すでに読んだ方ならお気づきだろう。どこかおどろおどろしい気味の悪さをも感じるのだ。まるで、ホラー小説を読んでいるかのような。同時に、エロティシズムも漂う。そして、心の奥底に小さく傷を負ったような、少しの切なさまであわせ持つ。
隠していた本音が暴かれたとき、あなたは……
タイトルである「カモフラージュ」とは、様子を変えて、本当の姿や心情を悟られないようにすること。他人の目をごまかすこと。誰だって、誰かを欺いて生きている。時には自分自身をも。そんな、登場人物たちが普段は隠している内側の姿を、私たち読者は、松井玲奈という作家を通じて垣間見ることができる。
そしてきっと、7つの物語のうちのどれかは、自分に似ている主人公を見つけるだろう。そして、隠している本音を暴かれて、ドキリとするだろう。
個人的に気に入っているのは、「拭っても、拭っても」。文庫書き下ろしの「オレンジの片割れ」も良い。絶望、驚き、怒り、諦め、さまざまな人間の内側の感情を描きつつも、決して希望を失わせない。松井玲奈という新鋭作家から、今後目が離せない。
【書籍紹介】
カモフラージュ
著者:松井玲奈
発行:集英社
心を込めて作った、二人分のお弁当。食べる場所は、いつも夜のホテルで…(「ハンドメイド」)。小学生の僕が暮らす世界では、強いストレスを感じると、口からもう一人の自分が吐き出されて…(「ジャム」)。恋愛からホラーまで、「食」にまつわる多彩な物語をおさめた鮮裂なデビュー作が待望の文庫化!単行本収録作品6編に文庫書下ろしの「オレンジの片割れ」を加えた全7編を収録。