「足立 紳 後ろ向きで進む」第21回(前編)
結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!
『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。
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12月3日(金)
朝から来春撮る予定の美術の方と打ち合せ。その後、子役のオーディションへ。今日から3日間怒涛のオーディション。良き出会いがありますように。今回の映画は、登場人物がほとんど子どもたちなのでこのオーディションに映画の運命がかかっているといっても過言ではない。同じ年頃の子を持つ親としても、子どもたちのオーディションでは思わずこちらの子育ての悩みを言ってしまったりして会話も面白いし、思いもよらぬ個性との出会いも多いからワクワクする。
12月4日(土)
本日も朝9時半から夕方までぶっ通しで子役のオーディション。どんな俳優さんになりたいですかと聞くと、たいていの子たちが「菅田将暉さんです!」と答える。凄まじい人気。
18時、オーデション終了後、ダッシュで横浜のシネマリンに向かい、今日から公開の「稽古場」の舞台挨拶。このご時世ではあるが総勢15人での舞台挨拶だ。お客さんもほぼ満席まで入ってくださり、久しぶりのその光景がうれしかった。
12月5日(日)
今日も朝からオーディション。面白い子が多くて楽しいがヘトヘトになる。
オーディション後、本日も横浜シネマリンに向かい、今日は中村義洋監督、窪田将治監督と「稽古場」トーク。その後、見に来てくださった方と飲みに行った。こういうのも久しぶりでとても楽しい時間だった。
12月6日(月)
朝から台本を書く。その後、学校を早退する息子を迎えに行く。初めて学校教育支援センターに連れて行くためだ。
現在、息子は「初めてのこと」がとても苦手だ。初めての食べ物、初めての本、初めての映画、初めてのチュー、すべての初めてが大の大の大の苦手で、映画など「新感染 ファイナルエクスプレス」(監督・ヨン・サンホ)しか見ない。もう3か月くらい毎日見ていてセリフも完全に頭に入っている。他の映画も見せたいが今は無理だ。続編の「半島」ですら無理だ。理由? 理由なんかない。
数ある初めての中でもっとも苦手な初めてが「初めて行く場所」だ。だから、今日も連れて行くのにメチャクチャ苦労するだろうと覚悟していたが、学校教育支援センターは息子が週2回通っているキックボクシングジムの隣のビルなので、少しぐずったがどうにか行けた。
だが、我々が心理士とカウンセリングしている間、息子は「絶対にこの場から動かない!」と言ってソファにへばりついてしまった。でも、優しそうな女性の先生がうまく誘導してくれて何とかプレイセラピールームへ行った。その間、我々夫婦はセキを切ったように不登校気味な件や、見通しが立たない事への癇癪などを相談する。いつものことではあるが、話を聞いていただくだけでも少しすっきりした気持ちになる。
結局息子は予定時間を過ぎてまでプレイセラピーを楽しんだ。ギターを弾いたらしい。
トライ&エラーを繰り返すしかないが、息子の場合はトライ&エラー、エラー、エラーなので、何でもいいから小さな成功体験を積んでほしい。初めての場所が苦手でも行けば楽しめることが多いのだが、行く直前に不安が爆発してしまい、どうしても動けなくなる。今日は行けただけでもすごいと思う。それをもちろん褒めるのだが、親が褒めると今度は極度に恥ずかしがって「ウソつくな! ウソつくな! そんなこと思ってないでしょ!」と言う。悲しくなるし、ため息も出てしまう。
12月7日(火)
今日は朝から発達支援センターへ。まったくこうも「なんとかかんとか支援センター」ばかりに通っていると、どこが何の支援センターかよく分からなくなる。今日はWISC検査(言語理解、知覚推理、処理速度、ワーキングメモリ―とIQを数値化して、得意な部分と苦手な部分を把握し、よりよい支援の手がかりを得る目的)を受けに行く予定だ。
初めてWISCを受けたのは最初の緊急事態宣言の時だ。あの時は学校も休校になり、息子の癇癪が絶好調で、これはヤバいなと思い小児心療内科に行き(緊急事態宣言中で検査してくれるところを探すのが本当に大変だった……)、WISCと医者の診断から自閉スペクトラム症と診断されたのだが、何だかそのころより気難しくなっているように感じるし、どうにか公的支援に繋がりたいので今回再び受けることにしたのだ。
見通しが立たないと不安が爆発してしまう特性のため、1週間前から我々夫婦は息子にちょっとした検査を受けること、痛いことも怒られることも悲しいこともない場所だよと伝えてはいた。
朝は普段と変わらない様子だったが、駅に向かう道中から「今すぐ8ミリカメラを買って!」のしつこい執着が始まった。息子の見ている「ちびまる子ちゃん」の中に、レトロな8ミリカメラが出てきたようで、それをやたらとほしがって、毎日メルカリやらAmazonを検索しまくっている。不安なことが起きると物への執着を発動させて身体が動かなくなってしまうのだ。気分を逸らそうとスマホを与え、ゲームでも動画でもなんでもして良いよと渡すもダメ。
今日は「初めてのところへ行く」という緊張感に加えて、電車で行くというのが緊張感にさらに拍車をかけているようだ。いつも以上に執着が執拗で「8ミリ買ってくれなきゃ行かない!」から始まり「分かった、分かった」と流していると、「そう言ってパパはいつも買ってくれない!今すぐ買って!!!!」と叫び始めた。さすがにイラっとして「今すぐは無理だ!」と言うと、走って逃げ出そうとする。時間も迫っていたので、追いかけて抱っこしようとしたが、体重ももう30キロ近くあるし、全力で暴れるのでなかなか抱っこできない。しかも、駅に向かう人たちで周囲はごった返している。皆さん黙々と通勤していく中、妻に荷物を持ってもらって私は老体にムチ打ち、マックスの力を発揮して暴れわめく息子を抱え上げた。息子は「誘拐だー!! 誘拐される!!」と叫ぶ。こうなるともう人の目なんか知ったこっちゃない。心を無にしてどうにかこうにか駅のホームまで行く。
幸いにも向かう電車は都心方面とは逆のため空いている。電車内で暴れる息子を押さえつけるが、時折蹴りが金玉なんかに入ると一瞬殺意すらわく。
降車駅に到着しても、息子は電車の中を逃げまくり、ホームに出てからもダッシュで逃げる。そのたびに私はラグビーのように息子を追いかけて、低く鋭いタックルで捕まえる。
再び息子を抱え上げて、先にタクシーを捕まえている妻のもとに行き、タクシーの中に放り込む。運転手さんもびっくり仰天だ。タクシーの中でも息子は釣り上げたばかりのマグロのようにはねる。どうにか支援センターに到着したときには、もう私は滝のように汗びっしょりになっていた。
息子は支援センター内でも逃げまわったが、無理やり心理士さんに預けて、妻と私も別室で面談。だが30分を過ぎたころ、息子が部屋に入ってきた。
「もう終わった」とのことだが、心理士さんは「今日はちょっと無理ですね……」とのこと。息子は「騙された!」とプンプン怒っている。
どうにか公的な支援と結びつきたくて半年前からこの日を予約していたのに、それが水の泡となる。誰のせいでもないのだが、まるで、ずっと準備してきた映画がクランクイン直前で「ダメになりました」と言われたような脱力感と絶望感だ。「ふざけんじゃねえぞ、このタコーッ!」とわめき散らしたくなるも、正直そんな気力もない。
私と妻はもう口をひらく気力もなく、トボトボと歩いていると、うしろから息子が「父ちゃんが悪いんだぞ!」とか「母ちゃん謝れ!」と言って、我々の背中をパンチしたり蹴ってきたりする。だが、その力加減は往路の暴れ方の十分の一だ。息子も「やっちまった……」と思っているのである。悪いとも思っているのだろうが、どうにも感情をコントロールできない様子を見ていると、こちらの思考も停止してしまう。どうすればこいつは「普通」になってくれるのだろうか。
「普通」って何? なんて屁理屈をよく聞くが、普通とは「大多数」のことだ。「大多数」のほうにいればこの世を生きて行くのは楽だ。この世には色んな形の「マイノリティ」の人がいて、それぞれに生きづらさを抱えていて、映画ではそういう人たちの苦しさや、周囲の多数派はどうすべきかなんてことが描かれるものがたくさんあり、私だってそういう作品に感動してきたりもしたが、今こうして息子と接していると、「多数派」にいてくれりゃこっちも楽だったのにななんて思いしか出てこないのが本当に情けない。
「小さな声に耳を傾ける映画」なんて言葉もしばしば聞くし、すごく良いことと思うが、社会に適応できず小さな声しか出せない者を「あいつ、使えない。仕事できない」と制作の現場から排除するような場面だって見たことがある。人間なんてほんと身勝手だ。そして私はその最たる部類だ。と開き直る自分も嫌いだ。
10時半ごろ帰宅。この状態では息子は当然学校に行かないと思うから、息子を家に残して私も妻も外で仕事をしようと(する気になんかまったくなれないが)家を出る準備をしていたところ、「学校行く……」と言った。やはり悪いと思っているのだと思う。
私も息子もほとんど精も根も尽き果てていたので、無言で学校に行った。その後、気力を振り絞ってそのままファミレスに向かい仕事……はせずにひたすら負の妄想をしていた。
12月8日(水)
昨日の大癇癪の後遺症か、朝から息子の調子が悪い。「学校に行きたくない行きたくない」と連呼。
今日は毎週水曜の高校の授業が休講のため、随分前に予約していた、城山羊の会の「ワクチンの夜」に行く予定だったので「学校は休んでも良いけど、ママもパパも今日は11時半には家を出るからな」と話し、家で仕事をしている。息子はずっとぐずぐずしながら、「ドラえもん」で現実逃避していたが、昼前になったら「やっぱり学校に行く」と言ったので送る。
下駄箱で聞いたのだが、今日は算数のテストがあったので行きたくなかったらしい。どんなに「テストなんて気にするな!」と言っても、息子はテストの点にこだわるものだから(点は取れないのに)、テストの度に非常に苦しんでいる。ある意味理想が高いのだろう(できてないけど)。0点取っても全然平気な子が羨ましい。どうしてこんなに毎回傷つくのか……。でも、そんな繊細な息子も、教室に入るときは「ちーっす! 遅刻しやしたー!!」みたいなキャラクターになるから、この繊細さはなかなかに伝わらない。虚勢の張り方が尋常でない。
凹みながら演劇を見に妻と三鷹に向かう。こういう時の貴重なランチは絶対にハズしたくない。食べログを凝視して、行った店「餃子のハルピン」。小皿も餃子も小籠包も美味しくて、これは無限に食べられると思った。
14時半から観劇。自由席だったので最前列で鑑賞。ワクチンを接種した日のとある一家のちょいエロなカオスの夜。とても面白かった。あー、私も演劇やりたい……。
12月9日(木)
今日も朝から息子は「学校、行きたくない行きたくない」の連呼。先日、発達支援センターに連れて行くまでは、グズグズながらもなんとか学校に通えるようになっていたのだが、あの大癇癪でまた行き渋りが始まってしまったのかもしれない。
今日は朝から機嫌の悪い娘が、弟のその態度にさらに機嫌を悪くする。
「お前、ふざけんなよ! この怠け者! こいつゲームなしにしてよ、不公平だよ!」とキレる。「弟は怠けているのではない」とたしなめると娘はますますヒートアップ。「弟ばっかり贔屓してる! ずるい!私はいろんなことに耐えている!」と泣き出し、ものすごい音を立てて家を飛び出て学校に行った。娘も何か嫌なことが学校であったのかもしれないが(家庭ではしょっちゅうだろう)、とにかく娘の呪詛を聞いた息子の脳調はますます悪くなっている。
「今日は昼からお仕事の人が家に来るから、その間は違う部屋にいろよ」と言うと、「分かった」と言ってまた「ドラえもん」に没頭。目が死んでいる。心を無にして、仕事の資料を読む。
昼前に息子が「学校行く」と言い出したので送って行く。道中、今日は漢字50問テストがあるとの事。「そうか」とだけ反応。教室には昨日と同じ「チーッス!!」のテンションで入って行った。軽い頭痛がする。
気を取り直して、家まで来てくれた造形の飯田さんとプロデューサーの坂井さんと打ち合わせ。飛騨のふるさと納税で取り寄せたピザやアイスがめちゃくちゃ美味しく、昼からビールを飲んで、ほとんど飲み会のような打ち合わせになったが楽しかった。
12月10日(金)
朝、仕事の参考にしようと映画「ディア・エヴァン・ハンセン」(監督:スティーブン・チョボスキー)鑑賞。主人公だけでなく、偽友人、偽友人の妹、偽友人の両親、同級生、母親など、丁寧に人間が描かれていて見入った。
夕方から横浜シネマリンで「稽古場」の最終日の舞台挨拶。「稽古場」は来年の2月26日から池袋シネマロサでも公開されますのでよろしくお願いします。
映画「稽古場」池袋シネマロサで2022年2月26日より公開予定
https://tokushu.eiga-log.com/new/112665.html
12月11日(土)
朝から静岡に仕事の参考のため演劇を見に行く。お寺でやっていた一人芝居は無料だったが、往復の新幹線&タクシー代がバカにならない。妻が猛烈に不機嫌になる。しかし、もしかしたら参考になるかも? と思うとどうしても見ないと気が済まない。もしかしたら息子と同じような特性なのかもしれない。
鑑賞後ダッシュで帰宅。今日は息子のキックボクシングジムの忘年会があり、忘年会前に道場生同士で試合をすると急遽決まったので見に行くのだ。
息子はずっと試合を楽しみにしていたが、結論から言うと試合をしなかった。この日はプログラミングの体験も入っていたのだが、特性を発揮して「二つも初めてのことができる訳ないでしょ!」と、試合場に行く途中で動けなくなってしまったのだ。で、結局試合もプログラミングも行けないという最悪の結果。
息子は大人の人たちのスパーリングを見ると言って道場には行った。その間に、何の意味があるのかプログラミング体験には我々が夫婦で行って、説明だけボケッと聞いていた。だが、体験にこなくて正解だったかもしれない。
代表者は「私は同じことは二度聞かせません」とか「自分で考えられるようにします!」とかおっしゃっており、いまだに私もできていないこれらのことは息子もできないと思われる。この教室は息子には難しそうだ。
その後、妻と近所の焼きトン屋で一杯飲み、お互い子育ての弱音を吐いた後、私は19時からオンライン会議のため帰宅。妻は息子とともにキックボクシングの忘年会に行く。忘年会には子どもたちも何人か参加していて、息子は楽しかったらしく、妻と共に0時過ぎに帰宅したが、きっと楽しかったのは妻なのではないかと思う。泥酔していたから。
12月12日(日)
娘は朝から野球の試合。妻も用事があるため、一日息子と一緒。息子は朝から脳調が悪くグズグズだったが、なんとか「ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ」(監督・アンディ・サーキス)に行くテンションになり、久々に二人で映画鑑賞。だが私は日ごろの疲れが出て、始まって10分で撃沈。
その後に古着屋に行き、服を買ってやる。息子はなぜか服が好きで、古着屋とかユニクロに連れて行くと嬉々として服を選び、私の服まで選ぶ。そして気に入った服をほぼ毎日のように着る。
12月14日(火)
今日は朝の10時から出版社の編集者さんと宣伝部の方とライターさんとカメラマンの方が来る。
来年早々に出す「したいとか、したくないとかの話じゃない」という小説のことで妻と取材を受けるためだ。取材時に「セックス」という単語が頻出するのは分かり切っているので、息子にはどうしても時間通りに登校してほしかったが、案の定「行かない」が始まる。
そんな息子を横目に朝から妻と家を大掃除し、いよいよ息子は隣の部屋に閉じ込めるしかないとかと諦めた矢先、「学校行く」と言った。こっちのバタバタが分かったのか、何か聞きたくない話をするのを悟ったのか(発達障害の子どもの育てづらさも話す予定だった)息子も頑張ったようだった。
妻との取材がうまく話せたのかどうか分からないが、妻はエンジンをかけるため朝から酒を飲んでおり、いきなり「妻の自慰シーンは私が書きました!」と飛ばしたことを言い出す。妻もそんなことを言うつもりは毛頭なかったのだが、こういうときはヤバイ。そして横にいる私のテンションは激下がりする。結果、サービストークと言うか、盛り上げるようなエピソードは何ひとつ話せなかった気がする。反省……。
今回出す本は今までの夫婦ものとちょっと違い、自分たち夫婦をモデルとはしていないし(発達障害児の育てにくさなどモデルのところもあるが)、初めて妻からの視点も織り込んで、妻と夫の視点を交互に書いてみた。「マリッジストーリー」のような作品を目指したから映像化もしたい。
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12月15日(水)
今日も高校の授業が休講のため、朝からワークショップ。今回のワークショップは、「したいとか、したくないとかの話じゃない」からセリフを抜粋して行った。参加者の大半の方が40歳以上という、人生において熟練された方が多数だったため、今回の脚本への意見交換や感想などが思いのほか白熱して、メチャクチャ楽しかった。
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【プロフィール】
足立 紳(あだち・しん)
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が公開中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。
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