毎日Twitterで読んだ本の短評をあげ続け、読書量は年間1000冊を超える、新進の歴史小説家・谷津矢車さん。今回のテーマは「医療」。新型コロナウイルスの最前線に立つ医療従事者の方々に感謝しつつ、改めて「医療」について考え直す5冊となっています。
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風邪を引いたり、怪我をした際、皆さんはどうするだろうか。
薬局に行って市販薬を買う? それも一つだろう。わたしは、間髪入れずにお医者さんに駆け込むようにしている。
親不知の痛みの際に痛感したことだが、体調の悪化を我慢しても何もメリットがない。早い内に根治してしまったほうが、結局クオリティ・オブ・ライフが高まることに気づいてからは、体調の不調を感じたらかかりつけ医の元に相談に向かうようにしている。わたくしごとで恐縮だが、この前腰を痛めた折には即座に医者の助言を受け、大事になる前に痛みが引いたりしている。
お医者さんには頭が上がらない。というわけで、今回の選書テーマは「医療」である。
傷をつけた武器に軟膏を塗る? 不可思議すぎる「奇書」の世界
まずご紹介するのは『奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語』(三崎律日・著/KADOKAWA・刊)である。皆さんは「ゆっくり動画」をご存知だろうか。ニコニコ動画やYouTubeなどの動画投稿サイトに投稿される、音声読み上げソフトの声を当てられた同人ゲーム『東方シリーズ』の登場人物が、解説や説明役に当たることを特徴とした動画ジャンルのこと。本書は「ゆっくり動画」発書籍の一つである。
本書(そして本ゆっくり動画)が扱うのは、ずばり「奇書」である。なぜこんな本が存在するのだろう? と首を傾げたくなるような本を取り上げ、奇書成立の史的経緯や逸話を紹介している。その手の好事家には広く知られる『ヴォイニッチ手稿』や『台湾誌』、明治期のトンデモ野球害悪論『野球と其害毒』などなど、ラインナップも充実している。
今回の選書に本書を選んだのは、武器軟膏に関するくだりが存在するからである。
武器軟膏とは、16~7世紀のヨーロッパで唱えられた学説で、傷を治す際、傷口ではなく、傷をつけた武器に軟膏を塗る治療法である。――こう書くと、皆さんの頭の上には「?」が浮かぶことだろうが、書き間違いではない。本当に武器に軟膏を塗る治療法なのである。
現代から見れば奇異なこと極まりないが、本書はその治療が受け入れられた経緯から、この説が克服された経緯までを追っている。
医療行為――ひいては人間の智そのものが現代と比べれば未発達だった時代。だからこそ浮かび上がる人々の試行錯誤を平易に紹介し、ことほぐ1冊である。
なかなか聞けないツアーナースの日常
お次に紹介するのは漫画から。『漫画家しながらツアーナースしています。 こどもの病気別“役立ち”セレクション』(明・著/集英社・刊)である。漫画家兼ツアーナース(修学旅行などの際に同行し児童の健康管理を行なう看護師)である著者のエッセイ漫画で、ツアーナースとして直面した様々な事件や日々の業務を紹介した書籍である。
本書を読んで、まず「そんな仕事があったのか」という驚きがあった。わたしも児童時代にはお世話になっていたはずだろうが、さっぱり記憶からすっ飛んでいた。多くの方はわたしと似たような感覚だろうと思う。しかし、ツアーナースの重要性は、本書を読むうちに心から理解できる。アトピー、喘息、怪我に熱中症、体調の激変。子どもの周りには常に危険が佇んでいる。そんな中、適切な応急処置を施す人の存在は、子どもたちの学校生活、楽しい思い出をも守ってくれている。
そして本書、子どもが直面しがちな怪我や病気などの知識や応急処置法についても細かな記載があるので、お子さんのおられる方や、お子さんを引率する立場の方にもお勧めである。そして、広い意味での医療がわたしたちの生活を守ってくれていて、多くの医療従事者が胃を痛くしながら身体を張ってくれていることを知ることのできる書籍でもある。
雑学的に読めるも志の高さを感じる1冊
お次は『すばらしい人体――あなたの体をめぐる知的冒険』(山本健人・著/ダイヤモンド社・刊)をご紹介。〝外科医けいゆう〟の名前で情報発信を続けている著者による、人体を巡るサイエンス書である。
それにしても、本書はフックのかけ方が上手い書籍である。本書の惹句で引用されている文章に、こんな一文がある。
汚い例になってしまうが、私たちが「おなら」ができるのは、肛門に降りてき物質が固体か液体か気体かを瞬時に見分けて、「気体の場合のみ気体だけを排出する」というすごい芸当ができるからである。
この引用文には雑学本的な匂いがするのだが、いざ本書を読んでみると、人体のふしぎだけに留まらず、古代から現代に亘る医療史や、医学は何を目指す学問なのかという命題をも包括しつつ平易に読める1冊になっている。それどころか、学びを深めるためのブックガイドまでついた、志の高さを感じる1冊でもある。
もちろん、雑学本的な読まれ方を想定する作りになってもいて、この引用文で興味を持ってお読みになっても一向に構わない。実はわたしもこの引用文に釣られて買ったクチである。
というわけで、皆さんもぜひ釣られていただきたい。医学の入り口にもってこいの1冊である。
優れたオウム小説であり、優れた医療小説
次にご紹介するのは小説から。『沙林 偽りの王国』(帚木蓬生・著/新潮社・刊)である。いわゆるオウム事件を扱っており、松本サリン事件発生当時、農薬による中毒症ではないかと疑われていた時分から治療に当たっていた医師たちの視点から描かれるという、少し変わった視点で繰り広げられる小説である。
本書を読み解くにおいて、なぜ医師の視点から描かれるのかという命題はかなり重要である。オウム事件全体を主題に置いた場合、松本サリン事件の治療に当たった医師は主役になり得ない立ち位置の人物で、素直に考えれば、一章の視点人物、あるいは脇役に収まるのが自然である。しかし、本書において医師たちが主役となったのは、本書を貫くテーマが、「医学(という学問)」だからなのである。
人を癒やす術である医学は、裏返すと人を壊す術になる。そして、現代、多くの人を救っている医学は、多くの人の犠牲や、理不尽な実験の上に成り立っている。本書において731部隊に関する言及があるのも、化学兵器が詳述されているのも、医学という学問の負の面も浮かび上がらせたからに他ならない。
本作は、優れたオウム小説であり、優れた医療小説なのである。
ワクチン接種前の世情を後世に残すための物語
最後にご紹介するのも小説から。『臨床の砦』(夏川草介・著/小学館・刊)である。本書は2021年の1月から2月ごろの長野を舞台にした医療小説である。当然、この時期を舞台にしているということは……。そう、本書の主人公たちは、未知のウイルスといっても過言ではない新型コロナウイルス対応に当たる医師の奮闘を描いた小説である。
本書に描かれる光景には、胃の痛くなる思いがする。後手後手に回る行政、毎日のように感染者が担ぎ込まれる病院、家族と会えぬ日々、偏見や差別に晒されるのではないかという恐怖、医療従事者である自分たちが社会を分断してはならぬという危機意識……。まさしく、地域医療最後の砦である病院で戦う医者たちも、一個の人として逡巡し、懊悩し、それでも医師としての責任を果たすべく働く姿を描いている。
そうした読み方とは別に、本書はワクチン接種前の雰囲気を残す小説であるともいえ、その点でも興味深い。2021年夏の接種により風向きが変わる前の殺伐とした雰囲気は、5年もすれば忘れられてしまうことだろう。その雰囲気を物語る語り部となりうる1冊でもあるのである。
新型コロナウイルスによる社会の混乱が長引いている。
明るいニュースがないのは何処の業界も一緒。出版業界は好況に湧いているという報道もあるが、その中にいる一個人としては横ばいないし少々状況が悪化しているように思える。よくある話だが、マクロとミクロの動向は往々にして食い違うものである(種明かしをすると、学習書籍や漫画などの分野の好況が出版業界そのものを底上げしているとされている)。恐らく、これをお読みの皆さんも大変な思いをなさっていることだろうと思う。
だからこそ、今、最も大変な役割を担ってくださっている人たちの一角である、医療関係者の皆様に厚く御礼を申し上げる次第である。
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【プロフィール】
谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。2012年「蒲生の記」で歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝狩野永徳』でデビュー。2018年『おもちゃ絵芳藤』にて歴史時代作家クラブ賞作品賞受賞。最新刊は『北斗の邦へ跳べ』(角川春樹事務所)