電車に乗る機会の多い私にとって、乗車時間は楽しい読書タイムとなっている。ポケットに入る文庫本で、できれば20分ほどで読んでしまえる短編集が好ましい。長編小説だと夢中になって下車駅を飛ばしてしまいかねないからだ。
『あなたとなら食べてもいい 食のある7つの風景』(千早茜、遠藤彩見、田中兆子、神田茜、深沢潮、柚木麻子、町田そのこ・著/新潮社・刊)は、通勤電車の中、あるいは寝る前のわずかな時間におすすめの短編集だ。
人気の7人の女流作家による食にまつわるアンソロジー。どんな美味しい食べ物が出てくるのか、興味津々でページを開いたのだ。
甘い味、切ない味、思い出の味……七人七色の物語
目次を紹介してみよう。
千早茜 くろい豆
遠藤彩見 消えもの
田中兆子 居酒屋むじな
神田茜 サクラ
深沢潮 アドバンテージ フォー
柚木麻子 ほねのおかし
町田そのこ フレッシュガム -『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』番外編ー
若手女流作家たちが描く食のある風景。好みは人それぞれだと思うが、私が読んで印象に残った話を抜粋してみよう。
京都・丹波の黒枝豆にまつわる物語
これは食べてみたい!と思ったのが、千早茜さんの作品『くろい豆』に登場する黒枝豆だ。
秋に届く豆がある。受け取ると、すぐに箱を開ける。中にはかさついた太い枝が束になって入っている。ところどころ土で汚れており、一見食べ物にはみえないけれど、よく見ると莢におさまった豆が鈴なりについている。(中略)莢は普通の枝豆より大きい。くすんだ緑色をしていて、あちこち茶色い斑点がある。すこし汚い。けれど、これが黒枝豆の特徴。毎年、この時期になると京都は丹波から収穫したてのものが送られてくる。
(『あなたとなら食べてもいい』から引用)
物語の主人公は35歳を過ぎた尚子、妻子持ちの50代の誠一という男性と10年も暮らしている。彼の妻は別居し、夫の存在を無視し続けながらも離婚には応じないという設定だ。尚子と誠一の仲は食べ物がとりもっている。毎年、秋になると彼の故郷から黒枝豆が送られてくるのだが、かつて妻はこれをめんどくさがっていたという。しかし、尚子は違う。受け取るとすぐにゆでて旬の味をふたりで思う存分味わうのだ。
黒枝豆の茹で時間は長い。(中略)あくをすくいながら吹きこぼれないように湯を見つめる。ぷくぷくと弾けるあぶくに思考が吞み込まれていく。誠一との関係は変わらなかった。私は毎年恒例の贈り物をせっせと茹で、誠一はそれをおいしそうに食べた。私も負けじと食べた。最初は意地だったのかもしれない。けれど、人は慣れるもので、いつの間にか影にも慣れた。今ではもう、私も純粋においしいという理由だけで丁寧に下処理をして口に運んでいる。
(『あなたとなら食べてもいい』から引用)
茹で上がった薄墨色の皮をまとった大粒の豆は柔らかく、とても甘いのだそうだ。本書を読みつつ、食べてみたくて、口の中に唾がたまっていく。
さて、物語では波乱もある。ある日、黒枝豆好きの誠一には、まったく似合わない生フルーツを使ったパフェやパンケーキで人気のとあるフルーツパーラーから、彼が若い女性と腕を組んで出てくるのを尚子は目撃してしまうのだ。二人の関係はどうなるのか? それは読んでのおたのしみ。
かつて”カルボーン”というお菓子があった
柚木麻子さんの『ほねのおかし』もとても印象に残った。
「あ、カルボーンっていうお菓子、覚えてる?」いきなり八十年代の固有名詞が出て、私は面食らって、ちょっと笑ってしまった。
「カルボーンって、あの白くてこりこりした砂糖のかたまりみたいなお菓子?」
「そうそう、人の骨って、カルボーンそっくりなんだよ。質感も、焼き場でトングみたいなので挟んだ時、カサカサって軽い音がするの。今にして思うと、かなり危険なセンスの食べ物だったなぁと思うよ。人骨そっくりのお菓子ってさ……」
(『あなたとなら食べてもいい』から引用)
カルボーンは80年代に実際にあった骨型のお菓子で、カルシウムが豊富に含まれているのが売りだったが、1992年に販売終了となっている。
さて、物語は、久しぶりに会うことになった幼馴染の佳織が元旦の夜に遺骨を持って主人公の家にやってきたところから幕を開ける。主人公の”私”が暮らすマンションはかつては若いファミリーたちが住み、活気があったが、今では”孤独死のデパート”と化している。
ひとり暮らしでほぼ部屋から出ることなく、日用品はネットショッピングで済ませていた彼女は、同じマンションの1階で佳織の父親が孤独死したことすら知らなかった。20年ぶりに顔を合わせた佳織は、親戚の間でちょっと問題が起きていて父親をどのお墓に入れるかでもめ、骨の争奪戦がおきている。もし自分の手元に置くと盗まれてしまいそうで怖い。だからお正月が終わるこの2、3日の間でいいから預かってほしいと言う。これに対し、私は、遺骨をほしがる人がいるとは思えず、単に確執のあった父親の骨のそばで暮らすのが怖いだけでは? と疑うが、それでもノーとは言えない。
20年ぶりに再会した友。10歳くらいだった当時、互いの母親たちは手作りのお菓子にこだわっていて、市販のお菓子で許してもらえたのがカルボーンだったのだ。その人工的な味わいを思い出しつつ、遺骨を挟んで向き合うふたり。結局、主人公は正月の間、遺骨を預かり共に過ごすこととなり、当時の出来事を次々と思い出すのだ。人骨とカルボーン、ちょっとゾクッとしそうなストーリーかと予想したが、実はとても心があたたまるいい結末だった。
この他、テレビドラマの撮影現場から消えもののエクレアが本当に消えてしまう話、行き場のない人々が集まる居酒屋物語、減量に奮闘する女性の恋物語、フレンチレストランで繰り広げられる女同士の舌戦の話、そしてみずみずしい初恋を描いた甘いガムの話。
7つの食べ物の味を、あなたにも是非、堪能してみてはいかがだろう?
【書籍紹介】
あなたとなら食べてもいい
著者:千早茜、遠藤彩見、田中兆子、神田茜、深沢潮、柚木麻子、町田そのこ
発行:新潮社
穏やかな食卓を囲む二人に潜む秘密。盗まれたエクレアが導く驚きの結末。最後の砦のような居酒屋に集う人々の孤独。減量に奮闘する女性が巡り会った恋。美食の上で繰り広げられる女同士の舌戦。幼なじみと再会して作る菓子の味。駄菓子を食べ合う瑞々しい初恋とそれを眺める大人達の切ない祈り…。7人の作家がこしらえた、色とりどりの食べものがたりに舌鼓を打つ絶品アンソロジー。