岸田國士戯曲賞受賞作家・三浦大輔さんが2010年に書き下ろし、2016年には映画化もされた傑作舞台『裏切りの街』が待望の再演。主人公・菅原裕一の恋人役を、これが舞台作品2本目となる萩原みのりさんが務める。「三浦さんの作品には、現実と地続きのようなリアリティがある」と話す彼女に、今作の思いや緻密さ故にひと筋縄ではいかない稽古場での様子をたっぷりと伺った。
【萩原みのりさん撮りおろしカット】
三浦さんの演出は針の穴に糸を通すような感覚なんですが、その穴が本当に小さくて
──今回はオーディションだったそうですね。
萩原 はい。三浦さんの舞台はこれが初めてになるんですが、以前、三浦さんが監督をされた映画『何者』(2016年)でも一度お仕事をさせていただいていたんです。ですから、少しはリラックスして会場に行けました。
──では、本番もあまり緊張もせず?
萩原 それが、映画でご一緒させてもらっていたはずなのに、オーディション会場では目も合わせてくれなくて(笑)。“えっ? 何で!?”と思って、次の瞬間とんでもない緊張感に襲われ、オーディション用のセリフが全部飛んじゃいました。ですから、どうして受かったのかいまだに謎なんです(笑)。
──そうだったんですね。でも、演出家はどこを見てオーディションの合否を決めているのか分からないってよく言いますよね。意外なところで判断していたり。
萩原 そうなんです。特に三浦さんはすべてを見透かしているような方なので、稽古場でもそれがいつも怖いです(笑)。
──また、この舞台は当初、2020年の上演を予定しており、その時はコロナ禍で中止となってしまいました。当時はどのような思いでしたか?
萩原 あの時は稽古が最初からずっとオンラインでしたし、裕ちゃん(菅原裕一)役の髙木雄也さんとも、パソコンの画面を通じて台本の読み合わせをしていた程度だったんです。それでも、いつかは皆さんと直接お会いして、稽古ができる日が来ると信じていたんですね。なのに、ある日、三浦さんがみんなをリモートで集めて、画面の中から「公演が中止になることが決まりました」と発表されて……。その時は何日も涙が止まらなかったです。もともとこの作品の映画が大好きで、その舞台に出られることが本当に楽しみでしたし、そうした思いや、みんなで準備してきたことなどが全部取り上げられてしまったような気持ちになって。それぐらい哀しい出来事でしたので、今回再び公演が決まった時は、ただただ「良かった〜!」という思いだけでしたね。
──以前から映画版の大ファンだったということですが、どういったところに魅力を感じていたのでしょう?
萩原 映画館で観た時に男性と女性でお客さんの笑う場所が全然違っていて、そこがまず興味深かったんです。それに、人間のいろんな感情が描かれていて、最初は“なんかすっごくムカつく!”と思っていても、次第に愛おしくなってきて、最後には許してしまえる。映画館を出たあとで、“こんなにも登場人物全員を愛せてしまう作品ってすごいなぁ”と感じたのを覚えています。また、一度観ただけなのに、会話のやりとりやセリフが、まるで実際に体験したことのように心の中に残っていたりして。物語の舞台となった荻窪の街を歩いていても、“あの人たち、この辺にいるかな”と思ってしまったりするし、そうした現実と少し地続きに感じるところも魅力的だなと思いました。
──現在、稽古の真っ最中ですが、三浦さんの演出はいかがですか?
萩原 映画の時と変わりなく、役の心の奥の部分を一緒に考えてくださいます。ただ、三浦さんの場合、“ひと言ひと言”というよりも、一文字単位で神経を使って細かい機微を決めていく感じなんです。針の穴に糸を通すような感覚なんですが、その穴が本当に小さくて。それに、たまに稽古中に自分でも、“今の感情はちょっと違ったな……”と分かることがあるんですが、その時は必ずすぐに「今のところなんだけど」って指摘されます(笑)。三浦さんの前ではごまかすことが不可能なので、今はとにかく必死に食らい付いていっているという感じですね。
──となると、稽古場の緊張感もすごそうですね。
萩原 もう、半端ないです!(笑) “こんなに緊張したのって何年ぶりだろう!?”と思うほどで、普段の3倍くらいお水を飲んでますし、頭も使うので、甘いものが止まらなくて(笑)。また、感情の部分だけでなく、セリフもとても細かいんです。例えば、言葉と言葉の間に「…やっ」や「あ、」といった接続詞ではない一文字がたくさん入っている。きっとそれがなくても会話は成立するんです。でも、あえてそこに入れたことには必ず三浦さんの意図があるはずですし、それをうまく表現することで一気にせりふが生々しい会話になっていくので、最後の最後まで逃げることなく、しっかりとやり遂げていきたいなと思っています。
どんな役であっても、決してお客さんから悪い人間に見えないように
──物語の中で萩原さんは主人公・菅原裕一の恋人である鈴木里美を演じています。現時点では、どのような女性像をイメージされていますか?
萩原 実は今回、稽古を重ねていくうちに、あえて明確なキャラクターを作るのをやめるようにしたんです。最初の頃は、“里美ってちょっと猫背っぽいのかな”とか、“少しあか抜けない女の子なのかな”、“優柔不断なところもありそう”と、台本から受けた印象をたくさん紙に書いていました。でも、そうやって外側の部分で役を作っていくのではなく、ある程度自分の中に落とし込めたら、あとはお客さんそれぞれが異なる印象を持ってもいいし、むしろバラバラであればあるほど、面白い役になるのかなと思うようになったんです。
──それはなぜでしょう?
萩原 例えば、普段の自分たちの生活に置き換えても、私のことをクールそうだと感じる人もいれば、全然そんなふうには見えないと言う人もいます。人の印象って本当にそれぞれで。ですから里美に関しても、いろんな見え方のする魅力的なキャラクターになっていけばいいなと思ったんです。それに三浦さんがOKを出してくれているのなら、間違いなくその役はみんなから愛されるに違いないという信頼があるのも大きいです。
──と、言いますと?
萩原 三浦さんは、私がこれまで出会った演出家さんや監督さんの中で、一番と言ってもいいぐらい登場人物の一人ひとりを愛していらっしゃるんです。すべての役に対してお客さんから悪い人間に見えないようにと、すごく考えていらして。もちろん、描かれ方としてはダメな人間に見えることもあります。でも、「僕は絶対に善と悪を区別しない」とおっしゃってくださる。私自身、映像のお仕事で悪者と言われる立場の役であっても、必ずその人の中にある正義を大事にして演じているので、いろんな方からの感想で「悪い役だったね」と言われると、どこがモヤモヤしてしまうことがあるんですね。でも、三浦さんは常にすべての役の一番の味方になってくれるので、演じていてすごく心が救われるんです。
──なるほど。では、萩原さんから見て恋人の裕一はどんな男性ですか?
萩原 ひと言でいうのはすごく難しいんですが、今、稽古をする中で、里美としてどんどん裕ちゃんに愛おしい気持ちが増していますね。基本的には裕ちゃんって、かっこ悪い部分ばかりの男性なんですけどね(苦笑)。それでも、すごく優しくて、居心地もいいし、里美が2人の関係について、「わざわざこれ以上の変化がなくても、今のままの日々が続くのであればそれでいいかな」って思う気持ちはすごくよく分かります。それに、舞台って毎日の稽古の積み重ねですが、まさしく裕ちゃんとの時間も積み重ねていっている感じがして。そこも演じていて面白いですね。
──また、裕一を演じる髙木さんとは初共演ですね。一緒に稽古をしてみての印象はいかがですか?
萩原 髙木さんは私の中でずっとスターのイメージでした。でも今は、裕ちゃんでしかない瞬間がたくさんあって、もう全然スターに見えないです(笑)。同棲しているシーンでソファに座っている後ろ姿もちゃんとだらしないですし(笑)、逆に、普段髙木さんがステージで歌って踊っている姿が想像つかないぐらい。お芝居も素晴らしく、三浦さんに言われたことにすぐ反応し、アプローチの仕方がどんどん変わっていくので、いつも稽古場で拝見しながら刺激をもらっています。
機会があれば、舞台はどんどんチャレンジしていきたい!
──また、今回はご自身にとって二度目の舞台になります。改めて初舞台(『遊侠 沓掛時次郎』2016年)の時のことを教えていただけますか。
萩原 初舞台は右や左どころか、前がどっちかも分からないような状態でした(笑)。大先輩の中に急に投げ込まれたような感じでしたし、稽古初日が私の1ページ目の長ゼリフだけでほとんど終わってしまい、大先輩方をただただお待たせしてしまったのも、昨日のことのように覚えています。今でもあの時の申し訳なさとか、“私、何でこんなにできないんだろう……”と思ったことなどが甦ってきては、反省するばかりですね。
──それでも、「また舞台をしたい!」と思われたんですね。
萩原 はい。技術的なことはさておき、舞台の世界観や稽古がすごく自分には合っているなと思ったんです。特に、お客さんからリアクションがダイレクトに返ってくるところが楽しくて、あれほど幸せなことはないなと思いました。また、稽古場で時間をかけて作品をつくっていく作業も大好きで、映像のお仕事だと、自分の出番がない時は邪魔にならないようにモニターを見ることぐらいしかできませんが、舞台の稽古だと共演者の皆さんのお芝居をずっと見ることができる。演出家さんのいろんなアイデアや指摘を一緒に聞くこともできますし、むしろ自分のこと以外のダメ出しをメモしているほうが多いぐらいなんです。ですから、これからも機会があれば、どんどん舞台にチャレンジしていきたいなと思っていますね。
──萩原さんにとって、舞台が天職なのかもしれませんね。では、今は本番を迎えるのが楽しみな感じですか?
萩原 いや、実は私、すごくあがり症で、人前が本当に苦手なんです(苦笑)。映像は周りにいるのがスタッフさんだけだからまだいいんですけど、これまでの人生で新国立劇場の中劇場ほどの人の数がいる場所に立ったことがなくって。なので、公演初日に自分がどんな感じになるのか想像もつかないんです。とにかく震えないようにしようと思っていて、そのことで髙木さんに相談したことがあったんですが、髙木さんは「俺は人がいっぱいいればいるほどテンションが上がる」って言っていました(笑)。“さすがだなぁ”と思いましたけど、残念ながら参考にはならなかったですね(苦笑)。
──(笑)。ということは、楽しむような余裕はまだ全然ないんですね。
萩原 ないです、ないです(笑)。きっと公演中は緊張が取れることがないと思います。ただ、先ほど初めて三浦さんと取材で2ショットの撮影をしたんですが、その時、今まで見たことのない顔で「大きくなったな」って言ってくださって。なんだか親戚のおじさんみたいなんですけど(笑)、それが感慨深くて。三浦さんには私が10代の頃からお世話になっているということもありますし、こうしてまた一緒にお仕事ができることや、一度中止になった作品にもう一回挑めるという喜びもありますので、すべての公演が終わったあとに心の底から、「あ〜、本当に楽しかった!」と言えたらいいなって思っていますね。
──では、最後にGet Navi webということでご登場いただいている皆さんに最近購入したお気に入りのアイテムをお聞きしているのですが、萩原さんは何かありますでしょうか?
萩原 最近買ったものといえば急須ですね。器にずっとはまっていて、益子焼を益子まで買いに行ったりするんです。唐津焼を扱っていたり、器屋さんをやっている友人がいるので、そこから趣味が広がっていったのですが、ある時、お茶を飲む器はあるのに、急須がないことに気づいて(笑)。
──それは一大事ですね(笑)。
萩原 ほんとに(笑)。でも、急須を買ったら生活が変わったんです。それまでも夕飯を食べながらテレビを見たり、旦那さんとおしゃべりをしたりしていたんですが、全部の片付けが終わったあとにお茶を飲むゆったりとした時間がすごくよくって。その日にあったことなんかを思いだしながらホッとしていると、お風呂に浸かっている時に似た感覚になるんですね。ですから、これからもいろんな茶器を集めて、こうした時間を充実させていきたいなって思っています。
パルコ・プロデュース『裏切りの街』
2022年3月12日(土) ~ 3月27日(日) 東京・新国立劇場 中劇場
2022年3月31日(木) ~ 2022年4月3日(日) 大阪・COOL JAPAN PARK OSAKA WWホール
料金:10,800円(全席指定・税込)
(STAFF&CAST)
作・演出:三浦大輔
音楽:銀杏BOYZ
出演:髙木雄也、奥貫薫、萩原みのり、米村亮太朗、中山求一郎、呉城久美、村田秀亮(とろサーモン)
※開幕後当面の間は、智子役は奥貫薫に代わって呉城久美が、また裕子役は呉城久美に代わって日高ボブ美が演じます。
(STORY)
フリーターの菅原裕一と平凡な専業主婦の橋本智子。出会い系サイトを通じて知り合った2人は逢瀬を繰り返していく。家に帰ると、2人にはそれぞれ大切なパートナーがおり、その関係を壊すつもりも、勇気もない。はたして、自分はこの先どうしたいのか……。そんな悶々とした思いを抱えながらも、2人はただただ日常生活を送っていくのだった。
撮影/映美 取材・文/倉田モトキ ヘアメイク/石川奈緒記 スタイリスト/伊藤信子 衣装協力/UNITED TOKYO、CITY