「足立 紳 後ろ向きで進む」第24回
結婚19年。妻には殴られ罵られ、ふたりの子どもたちに翻弄され、他人の成功に嫉妬する日々——それでも、夫として父として男として生きていかねばならない!
『百円の恋』で日本アカデミー賞最優秀脚本賞、『喜劇 愛妻物語』で東京国際映画祭最優秀脚本賞を受賞。いま、監督・脚本家として大注目の足立 紳の哀しくもおかしい日常。
【過去の日記はコチラ】
3月2日(水)
2年間講師をした高校の最後の授業。この街での毎週のランチ納めが少々寂しい。今日ばかりは最後だからとなんとか妻を言いくるめて安いランチではなく、ちょっと値の張る店にした。
店は大変高級感あふれるのに、給仕されている方は皆フレンドリーで気さくな感じだった。妻が普段は絶対頼まない値段のグラスワインを頼むと(それでも2番目に安いやつ)、ワインに向かって「飲んでもらってよかったねー。このワインちゃん「本気のブルゴーニュ」って仇名なんですよ」と話してくれる。妻がテンションあがって「わー!スゴイ!『サイドウェイ』みたい!」と呟いたら「あの映画面白かったですよねー」なんて話が弾む。妻がチビチビケチケチそのワインを飲んでいたら「サービスです」となみなみお代わりを入れてくれた。
こんなに美味しいそうにワインを飲んでくれる人はあまりいませんからとおっしゃっていたが、あまりに妻がチビチビ飲んでいるのを見かねたのだと思う。妻はなんの遠慮もなく、「きゃーありがとうございますー!いただきまーす!」と言って今度はゴクゴク飲んでいた。
その後、ちょっとばかり赤い顔をして最後の授業。みんなに書いて貰ったシナリオの合評会。去年もそうだったが、合評会の日は出席者が少ない。去年も受講してくれた生徒に聞くと「みんなの前で読まれたくないし、みんなからの感想も恥ずかしいんです」と。私もいまだに作品を誰かに読んでもらう時は緊張する。
60分位の中編のシナリオの予定だったが、1時間半くらいの作品を書いてくれた子も数名おり、かなり読み応えのあるシナリオ文集が出来上がった。
授業が終わると、「楽しかったです」とか「就職先のレストランに食べに来てください」と言われ、お手紙なんかももらったりして、ちょっと鼻の奥がツンとした。
そんな気分も名残惜しく、そのまま夕方から打ち合わせ。その後「稽古場」をレイトショーで上映中の池袋シネマロサに向かう。
3月3日(木)
朝から今月クランクインの映画のスタッフと我が家で打ち合わせ。コロナやドカ雪などで予算が膨らんだり、スケジュールがはまらなかったり、いろいろな問題についてスタッフと喧々諤々。お金で解決するしかないのだが、お金はない。
3月4日(金)
池袋シネマロサにて「稽古場」の千秋楽。たくさん人お客さんが入っていてうれしかったが、マンボウ期間中でレイトだと上映後にお店も空いてなく、軽くいっぱいだけの打ち上げもできず残念。
3月5日(土)
息子が図工の時間に「悪魔のいけにえ」のチェーンソーを作ってきて、それをもっと完璧にしたいとのことで、近所の工具店に行き、ノコギリとトンカチと釘を購入。私はこうした作業が死ぬほど苦手だが、息子も得意ではない。
それでも息子なり、ここにこれをつけたいとか、ここをこうしたいとかあるようで、時にイライラしながらも不器用な親子でなんとかチェーンソーを完成させた。
3月7日(月)
衣装・メイク打ち合わせ。
3月9日(水)
飛騨にロケハン。雪もずいぶん溶けてきてくれて少しホッとした。今回は3月〜6月までの話だから、雪があるのは冒頭をのぞいてはやはり苦しい。地元の役場の方々も雪かきをしてくださっている。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
今年は例年より雪が多いらしく、コロナにくわえて雪という敵は予期せぬものだった。予算も人員もそれに割かねばならなくなってくる。映画界も来年から働き方改革が始まる。すると、私のフィールドである小規模の作品はほぼ作られなくなってしまうかもしれない。完全なる自主制作で作るしかないか。
改革は良いことだが、居場所を失うかもというよく分からない状況になりそうなのは私の思考停止が招いたことなのか、それとも違う要因があるのかは分からない。
ただ、綺麗事を言うようだが、私が日本映画界に入ろうとした時、ほとんどの業界の先輩が「やめとけ」と言ったが、そうは言わなくてもすむような業界にはなってほしい。
そんな時に、とある監督の性行為強要問題で、俄に映画業界がざわめき立ちはじめた。性行為の強要って=レイプにはならないのだろうか。レイプだとしたら一発アウトどころか、まず逮捕されるべきだろう。
しかし、これは人間性の問題以外に、今、乱立しているワークショップの場というのも大いに問題があるのではないだろうか。そこは演技を学ぶ場というよりは、嫌なパワーバランスの単なる出会い系サイトのような場にもなっている気がする。そこのことに関してはまたいつか書きたい。
3月11日(金)
都内、関東近郊のロケハン。エキストラの打ち合わせなど。
3月12日(土)
子どもたちのクランクイン最後のリハーサルとカメラテスト。とにかく出てくれる子たちが、この映画に出て良かったなとは思う映画に最低でもしたい。
帰りの電車の中で、映画のことを考えていて駅を乗り過ごした。俺にもまだこういう部分があったのだなあと少しうれしくなった。いつもはスマホで何やら見ていて乗り過ごしたりして、その時はとても落ち込むからだ。
3月13日(日)
朝から大人を含めた主人公家族のリハーサル。初リハーサルのお父さん、お母さん、妹も、期待以上の家族的雰囲気を醸し出していてうれしかった。お父さんの愛情はあるのに他人事感、お母さんのキーキー感、妹の小生意気感、が良い相乗効果を醸し出していた。
3月14日(月)
昼から美打ち。飛騨市にいる制作部や観光課の方もリモートで参加。便利な世の中になったなーと思う。
3月16日(水)
朝から自宅での作業。息子が先日から「なんか足が痛いかなー」などと言っていたので、念のため整形外科に連れて行きレントゲンを撮る。まぁまぁの腫れと内出血があったので先生は驚いていたが、息子は痛みに強い? 鈍い? のであまり痛いと言わない。
発達障害の特性に「感覚鈍麻」というものがあり、痛みをあまり感じないから骨折していても気づかないというようなこともあるらしい。
息子は以前も花火をしていて足に火傷をおったのだが、その時も平気な顔をしているので応急処置をして病院に連れて行かなかったら、翌日に大変な爛れ方になり慌てたこともある。
私がこの「感覚鈍麻」で怖いのは、他人から激しい暴力を加えられる可能性が高くなるのではないか、もしくは他人に激しい暴力を加えてしまう可能性が高くはならないかということだ。痛みに鈍いとそういう可能性が高くなってしまいそうで、とても心配していることの一つだ。そうならなければいいなと思うしかないのだが。
3月17日(木)
終日衣装合わせ。はじめましての俳優の方々に少々緊張する。衣装合わせの場というのは役の説明や擦り合わせをする場でもあるのだが、上手く話せない。つくづくコミュニケーションが苦手だ。
3月18日(金)
衣装合わせ2日目。今日はずっとリハーサルをしていた子どもたちが多い日なので少しリラックスできた。
3月19日(土)
朝から飛騨へ。雪が大分解けてきていて安心した。あと、もう少し溶けて欲しい。
3月20日(日)
朝から一日飛騨市内のロケハン。へとへとに疲れ果てて帰宅したら、息子の友達3人が泊まっていた。足の踏み場はなかったが、4人の小僧たちがひっついて寝ている姿はめちゃくちゃ可愛かった。風呂に入ってすぐ爆睡。
3月21日(月・春分の日)
衣装合わせ3日目。その後、横浜方面にロケハン。
3月22日(火)
カメラテストのラッシュを見に、東映デジタルセンターへ。監督作「14の夜」「喜劇 愛妻物語」に続き、今回も猪本雅三カメラマンにお願いします。猪本さんのカメラは人物が生き生き撮れていてとても好きです。今回もよろしくお願い致します。
3月23日(水)
飛騨へ出発の日。本日一緒に飛騨入りする妻と、ずっと通っている近所の神社へ撮影の安全祈願をしに向かう。
出発まで2時間あったので、近所の回転寿司へ。私も妻もまぁまぁ気分は高ぶって緊張している。珍しく言葉数の少ない食事だった。妻はガンガン酒を飲んでいたが。
14時半に新宿を出発し、飛騨へ。私はスタッフ車で、妻は子ども5人とでかい車に乗車。お母様やお父様たちが見送りに来てくださっている。大切なお子さんを3週間も預かるのだから、とにかく怪我と病気にだけは気をつけねばならない。
3月24日(木)
朝から飛騨のロケ地で子供たちと終日リハーサル。
3月25日(金)
子どもたちを連れてロケ地を回る。夕方、ロケ場所でもあるお堂で、キャストスタッフと撮影の安全祈願。ここにはボケを封じる長寿の神様があるのだが、ついでにボケのほうも祈る。
夕方オールスタッフをして明日からクランクイン。宿の部屋が学生時代に住んでいたような雰囲気でなごむ。
3月26日(土)
本日よりクランクイン。
撮影日誌など書きたいが多分無理だろう。とにかく撮影が事故なくうまく進み、面白い映画ができることを祈るのみ。どうかうまく行きますように。
【妻の1枚】
【過去の日記はコチラ】
【プロフィール】
足立 紳(あだち・しん)
1972年鳥取県生まれ。日本映画学校卒業後、相米慎二監督に師事。助監督、演劇活動を経てシナリオを書き始め、第1回「松田優作賞」受賞作「百円の恋」が2014年映画化される。同作にて、第17回シナリオ作家協会「菊島隆三賞」、第39回日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。ほか脚本担当作品として第38回創作テレビドラマ大賞受賞作品「佐知とマユ」(第4回「市川森一脚本賞」受賞)「嘘八百」「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」「こどもしょくどう」など多数。『14の夜』で映画監督デビューも果たす。監督、原作、脚本を手がける『喜劇 愛妻物語』が東京国際映画祭最優秀脚本賞。現在、新作の準備中。著書に『喜劇 愛妻物語』『14の夜』『弱虫日記』などがある。最新刊は『したいとか、したくないとかの話じゃない』(双葉社・刊)。