シュールな作風でカルト的な人気を誇る、映画監督・三木聡さん。小さいころから、プラモデルも設計図を無視して自分の好きなようにパーツくっつけていた、カスタム好きの三木さんにバイクへの愛とカスタムのこだわりについて伺いました。
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:背戸馬)
【三木聡の1999年式ソフテイルカスタムの画像はコチラ】
ソフテイルカスタムのこだわりポイント
――先ほど撮影で走ってる姿を見たときV-RODかなと思いましたが、拝見したら全然違いました。こちらの車種は?
三木聡(以下、三木)「1999年式ソフテイルカスタムです。エボリューションエンジンの最終モデルですね」
――確かにソフテイルです。さっそくカスタムポイントを教えていただきたいんですが、まずは個性的なルックスのタンクから。
三木「このコブラタンクは、前に乗っていたファットボーイにつけていたものを移植しました。オイルタンクもですね。キャップカバーは型取りしてレザーで自作しました。金属のキャップが熱を持つので、ふとももに触れると熱いんですよ」
――いいアクセントになっています。マフラーもかなりいい音してます。
三木「BOSSのマフラーです。バンテージテープは自分で巻いたんですよ。放射熱で足が焼けそうになりますから」
――フロントフォークは?
三木「サンダンス・トラックテックです。ソフテイルのリアショックも変更してます。前後のサスペンションとパフォーマンスマシン製のブレーキで制動力をアップしてます」
――他にも吸気はFCR、チェーンドライブ化、前後ホイール……と内容は書ききれないほどですが、カスタムはどちらのショップで?
三木「サンダンスです。代表の柴崎(武彦)さんにお任せでカスタムしてもらいました」
――サンダンスは、ハーレー・ダビッドソンのカスタムショップの国内第一人者ですね。
三木「サンダンスには1991年にファットボーイを買ったときからお世話になっています。このソフテイルカスタムは、チョッパーにしてあった車体をベースに作ってもらいました。チョッパーのころの名残はフレームのカラーだけですけど、そのカラーを活かしてあるのもポイントですね」
――なんと前はチョッパーだったんですか。ここまでガラッと車体構成が変えられるってハーレーならではです。
三木「ソフテイルカスタムの前のオーナーさんも、自分のハーレーがそのまま乗られているのは嫌かなと思いますしね」
ハーレー一筋30年以上
――1991年からファットボーイに乗られていたとなると、30年以上前ですね。ずっとハーレー一筋なんですか?
三木「そうですね、ファットボーイから2018年にこのソフテイルカスタムに乗り換えて2台目です」
――ファットボーイは27年乗られてたんですか! 1台のバイクの所有歴としてはかなり長いと思います。ファットボーイはどういった経緯で乗られたんですか?
三木「ヤマハのビラーゴ250に乗っていて、カスタムもいろいろしてたんですけど、一緒に『タモリ倶楽部』をやっていたディレクターに『だったらハーレーにすれば?』と促されてサンダンスを紹介してもらいました。まだ、お店が高輪にあるころでしたね。そのディレクターはサンダンスでゴリゴリにカスタムしたショベルに乗ってました」
――それで限定解除をしたと?
三木「当時は府中の免許センターで一発試験のみでしたから、八王子の河原にあった練習場で練習をして試験を受けましたね。番組が暇なタイミングって1月なんですけど、極寒の中央高速をビラーゴで八王子まで通ってました(笑)。ハーレーに乗るんだという熱意があったし、当時27歳くらいだったかな、年齢的なものもあったかもしれませんね」
――ファットボーイはサンダンスで購入したんですか?
三木「そうです。僕は1991年型をたしか新古車で買ったのかな。型落ち寸前に。どうせカスタムしちゃうんだからファットボーイでもなんでもいいよね、みたいな話だったと思うんです。そのまま乗るんじゃなくてカスタム前提だったから車体はリーズナブルなやつでいいよねと」
――ショベルヘッドなど他のエンジンじゃなく、エボリューションが搭載された車体にしようというのは決めてたんですか?
三木「『ショベルはエンジン精度の問題がいろいろあって、最初に乗るならエボ(エボリューションエンジン)のほうがいいよ』って話になったと思うんですよ。『ハーレーの三拍子も出るし』と。それを断るほどこだわりもなかったし、ナックルヘッドだパンヘッドだというのもその時はまだそれほど詳しくなかったですから」
ファットボーイのカスタムポイント
――でも「最初に乗るならエボ」は的確なアドバイスな気がしますね。先ほど、コブラタンクはファットボーイからの移植だと仰ってましたが、ファットボーイもカスタムされていたんですね
三木「そのころはクラシカルな嗜好があったので、スプリンガーフォークを組んで、クリーム色っぽい茶色と焦げ茶色のツートンカラーでした。AMF時代の純正色のイメージで」
――1970年代風の渋いカラーリングですね。
三木「柴崎さんにおまかせでカスタムを依頼したんですけど、サンダンスにあったカスタム車をサンプルにして割りとベタなカスタムにしてほしいと伝えたんです。ところが出来上がったらぜんぜん違うものになっていた」
――な、なんと!
三木「スプリンガーを組むならこういうほうがいいよ、っていう柴崎さんのセンスが全面的に押し出された結果ですね。当初の想定とは違うけど、そのカスタムの意味が『なるほど、そういうことか』とだんだんわかってくるんですよね」
――乗り始めて、ハーレーのエンジンや歴史のことを知っていくことで……。
三木「理解できるっていう。絵画や映画とかでもそうじゃないですか。わかりやすい一般的な作品と違って、特殊な映画って最初はとっつきにくいものですからね。ポピュラリティーってそういうことですから。アルバムの1 曲目はすぐに飽きちゃうんだけど、2曲目がずーっと気にいって聞いてるみたいな」
――そういう深みのあるカスタムをするサンダンスに出会ったことも、長くハーレーに乗り続ける理由かもしれませんね。
三木「だからサンダンスは長く付き合えるショップなんだと思います。お客さんがとっつきやすいような汎用パーツをつけて仕上げるということはやってなかったですからね。カスタムしてもらったバイクをずっと見ていると、いろんな発見があるんですよ。映画もそうじゃないですか。そのうち映画以外の他の情報も入ってきて、たとえば僕の好きなデビッド・リンチやコーエン兄弟の作品って、ニューカラー派の写真家ウィリアム・エグルストンの影響が映像にあったりとか、絵画的な影響があったりとか、そういうのがあとからわかってくるというのがありますよね」
――それがハーレーにおいても同様だと。
三木「はい。乗っててそれを実感するオートバイですね。日本や、他の国のオートバイとどちらが偉いとかじゃなく、僕がそういうのに興味があるってことなんですけど、なかなか他にないんだろうなと思ったりしますよね」
乗り換えは事故がきっかけ
――監督の作品『熱海の捜査官』(2010年、テレビ朝日)で、アメリカンな雰囲気の“南熱海警察署”が登場しましたが、たしか署の前にハーレーが停められていました。あれってもしかして……。
三木「それ、僕のファットボーイです。撮影用にパトランプをつけて」
――画面越しで、ちょこっと見えただけでしたけどしっかりビンテージハーレーの風格でした。なるほど、たしかに通好みの渋いカスタムです
三木「警察署のセットが三浦にあったんですけど、毎朝、撮影のために乗って行ってましたよ。しかし、よく覚えてましたね。うれしいなあ」
――そんなに気に入ってたファットボーイを乗り換えるきっかけというのは?
三木「ファットボーイで走っていたときに、中央分離帯みたいなところから突然、女の人が車道を突っ切ってきて、かろうじて避けたんですがブレーキかけたら車体が流れちゃってコケたんです。鎖骨を折りましたよ」
――うわあ、それはつらい……。
三木「これを機に、50歳も過ぎたし、ファットボーイを修理しないでちゃんと制動が効くにバイク替えたら? という話になったんです。僕も『じゃあそうします』と。ファットボーイのほうは、フレームがいったとか大きな損傷はなかったので下取りに出して」
――それで1999年式のソフテイルカスタムを入手されたと。柴崎さんへのオーダーで、監督の要望通りのカスタム内容になっているというわけですね。
三木「そうですね。バイクの場合は制動がうまく行かなくて事故を起こすということがありますから、サスペンションとブレーキが重要だろうと。ファットボーイも冷静な状態で止まるのは制動面に問題はなかったけど、やっぱり緊急時ですよね。その点、トラックテックのサスは制動時にしっかり沈んで、急ブレーキかけてもリアが流れたりしにくい。今のバイクは走ることも優秀ですけど、止まることに関しても優秀だと思います。タイヤも制動力重視で選んでます」
――そこまでしっかり考えてカスタムされているということは、今後このソフテイルカスタムを乗り換えるということは……。
三木「サブのオートバイで何か買うってことはあるかもしれませんけど、今のソフテイルカスタムを乗り換えることはないでしょうね」
米軍がいる横浜が原風景
――ところで、三木監督のバイク歴を教えていただけますか。
三木「最初は中古で1万か2万で買った原付き、ホンダ・スカイにしばらく乗ってました。車の免許を取ったら原付き免許がくっついてくるじゃないですか」
――じゃあ車の免許が先なんですね。
三木「20代前半は旧車に乗ってたんですよ、車のほうの。ヘッドライトが縦に並んだ日産グロリア、いわゆる“タテグロ”に。それを全塗装かけるのに工場に入れたら、1年か2年かかることになった。移動する足がなくなっちゃうってことで、バイクの免許を取ったんです。仕事でいろんなテレビ局に行ってたんですけど、乗り始めたら移動するのはバイクのほうが便利だってことに気づいて。それでビラーゴ250に乗り始めました」
――ビラーゴ、そしてハーレーと、アメリカンスタイルのバイクがお好きなんですね。
三木「中学生のころかな、『イージー・ライダー』が直撃したんですよね。映画の公開は1969年で僕は小学生なので、後追いだったのかな。部屋にでっかいポスターも張ってましたし」
――『イージー・ライダー』に影響された少年は多かったでしょうね。
三木「サイドカーつきのBMWのプラモデルを買って、ランナーを炙って伸ばしてチョッパーに改造したり(笑)、友達の兄貴は、ビーチクルーザーみたいな自転車のフロントフォークを、単管パイプを加工してチョッパーみたいにしてましたよ」
――魔改造!
三木「うちの近所は坂が多いもんだから、坂を上がっていくと後ろにひっくり返っちゃって(笑)」
――(笑)。三木監督は横浜出身とのことですが、世代的に暴走族カルチャーは通過してるんですか?
三木「僕は暴走族にはいかなかったですね。暴走族全盛期の1972~3年は中学生くらいだったんですけど、信じられない台数のバイクが第二京浜を湘南に向かって走ってるのは見てましたよ」
――暴走族よりも、監督の場合はアメリカンカルチャーにハマっていたと。
三木「そうですね。米軍基地もあったし、本牧とかには米軍の居留地もあって、すごいアメ車が街を走っている時代でしたからね。土地柄なんですよね。たとえば中華街に食事に行ときは山下の居留地の間をバスで走っていくんですけど、芝生にスプリンクラーがあって犬がいるという感じでしたし」
――もう映画の中の世界ですよ。小さころからそういうアメリカンな景色を日常的に見てたわけですか?
三木「あとはまぁ僕らの世代って、アメリカのテレビドラマがすごく多かった世代なんですよね。あれは占領軍の政策で、共産主義にならないようにアメリカの文化の素晴らしさをテレビでいっぱい流してたらしいです。だから影響は少なからずあったんでしょうね」
カスタムせずにはいられない!
――ハーレー一筋とのことでしたが、ハーレー以外のバイクはお持ちじゃないんですか?
三木「ヤマハのYD125ですね。これは、ファットボーイからソフテイルカスタムに乗り換えるとき、カスタムに1年間くらいかかったんですけど、その間の足として乗ってました。もともとは、僕の映画『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』のときに、劇中で使用するサイドカーを作ろうと思って買ったんです」
――吉岡里帆さんと阿部サダヲさんが乗って突っ込むやつですね。
三木「YD125にサイドカーを取り付ける予定だったんですけど、サイドカーってバランスを取るのがすごく難しいみたいなんです。そんな相談をしてたら、ちょうどネットオークションでサイドカー付きのスズキK50が出品されて、これいいじゃんってことで購入しました」
――ということはYD125 を使う予定がなくなった。
三木「そうです。それで僕が乗ることにしたんです」
――当然カスタムをするわけですね(笑)
三木「鉄道のカンテラってあるじゃないですか。あれを買って中のライトを変えて取り付けたり、ハンドルやグリップを変えて、ウインカーとテールランプも変えて、カフェレーサーっぽい感じにしてます」
――鉄道のカンテラ? 個性あふれるカフェレーサースタイルですね。
三木「まぁクラシカルロッカーという感じですね。溶接機も買いましたよ(笑)、マフラーステーとかウインカーバーつくったりしました」
――カスタムが本当に好きなんですね。手を入れないと自分のものという感覚がしないって感じなんですか?
三木「小さいころから自転車少年だったんですけど、自転車をペンキで塗ってカスタムしたりしてましたね。プラモデルもそのまま組むのが気に入らないから、設計図とか無視して自分の好きなようにパーツくっつけるとか。このパーツはこっちについてたほうがいいだろうとか(笑)」
――根っからなんですね~。
三木「1人っ子だったから、強制されるのが気に入らなかったんだと思いますね(笑)」
「自分流」を磨く
「でも手先が器用じゃないんで、溶接にするにしろ、塗るにしろ、うまくはないんですよ。あと、人に教わるのが下手くそなんですよね。だから、教わって習得して上手くなるっていうのがない。苦手なんですよね、きっと」
――自分で手を動かして上手くなっていくという。
三木「映画とかもそうなんですけど、自分流のやり方でしかできない。映像的なことを教わったり、見たりして勉強するというよりは、とにかく無手勝流でやってるみたいなところはありますよね」
――仕事でもバイクでも、三木監督の“らしさ”が生まれる原点ってそこな気がします。
三木「オリジナルのものがあって、それを人が模していくうちにちょっとずつ解釈の仕方がずれていくことで違う形になっていく。その繰り返しですよね。自分もそういうことなのかなと。教わり方が下手だから、その分解釈がずれてオリジナルからは遠くなっていくというね」
――それがやがて個性となっていく、ということなんですね。
三木「たぶんそういうことだと思うんですよね」
――最後になりますが、三木監督にとってバイクとは?
三木「基本的には移動する楽しみ、ということですね。バイクって目の前にあるじゃないですか。それを常に見ているわけだから、自分が気にったものである必要はありますね」
――たしかに。何でもいいってわけではないと思います。
三木「なおかつ、走れないといけない。僕の場合は仕事にも使うので、たとえば撮影現場に乗っていくときに止まった、エンジンかからないというわけにはいかない。何十人もスタッフが撮影所で待っているわけですから」
――今のソフテイルカスタムはサンダンスの柴崎さんによって、監督のこだわりが形になったということがよくわかりました。ありがとうございました!