こんにちは、書評家の卯月 鮎です。打ち合わせや取材をオンラインでやることが普通になってきて、もともとインドア派の私にとっては天国だなあと実感しています(笑)。せっかく準備した資料を忘れることがない! グーグルマップで見ているのに目的のビルにたどり着かず迷子なんてこともない! 慣れない環境であたふたする場面も減りました。
これまでは住むとしたら交通の便がいいところ、というのが必須の条件でしたが、徐々にそうした制約もなくなりつつあるかもしれません。緑に囲まれている、海が近い、歴史的な街並みがある……など、交通網の“立地”よりもそこに住んでいる人の心を“リッチ”にしてくれる場所が重要になってきそうです。
経営エッセイストが分析する“山奥ビジネス”
さて、今回紹介する新書は『山奥ビジネス 一流の田舎を創造する』(藻谷 ゆかり・著/新潮新書)です。著者の藻谷 ゆかりさんは、東京大学経済学部卒、ハーバードビジネススクールでMBA取得。会社員、インド紅茶の輸入・ネット通販会社の起業を経て現在は経営エッセイストとして活躍しています。著書に『衰退産業でも稼げます』(新潮社)、『六方よし経営』(日経BP)などがあります。
人気ゲームと地元の縁を結びつけて成功
7つの自治体のケースから“山奥ビジネス”の可能性に光を当てる本書。「はじめに」では、本書のキーコンセプトのひとつとして「ハイバリュー・ローインパクト」が挙げられています。価値が高い財・サービスを生み出しながら(ハイバリュー)、環境やその土地の文化に悪影響を与えない(ローインパクト)という意味の言葉で、持続可能なビジネスを行うための指針だそう。取り上げられているビジネスは、いずれもこの「ハイバリュー・ローインパクト」を体現しています。
第1章は「熊本県山都町」。熊本市内から車で1時間ほど、九州のほぼ真ん中に位置する「九州のへそ」です。この章の主役は、250年以上の歴史を誇る老舗「通潤酒造」。現在12代目の山下泰雄さんはバブル期にエリート銀行員として猛烈に働いていましたが、廃業を言い出した祖父と口論になり、祖父が脳卒中を起こして亡くなったのを機にUターンを決意したそうです。
月々の資金繰りにも苦労していた酒蔵が好転したきっかけは、なんと人気ゲーム「刀剣乱舞」。ネット通販を軌道に乗せようと苦心するなか、2015年、地元・山都町にゆかりのある名刀「蛍丸」が「刀剣乱舞」に登場していることを知り、「純米吟醸酒 蛍丸」を発売。すると最初の300本は数秒で売り切れ! その後も年間1万本以上が売れるヒット商品となりました。
しかし、2016年に熊本地震で被災し……。一難去ってまた一難。それでもくじけないエピソードの連続に熱い魂を感じました。
第4章「島根県大田市大森町」のケースも波乱万丈でドラマチックでした。2007年に世界遺産に登録された日本最大の銀山・石見銀山がある太田市。この大田市大森町でアパレルを中心としたブランド「群言堂」を創業したのが、松場大吉さんと妻でデザイナーを務める松場登美さん。およそ40年前、引っ越してきた町を「まるで廃墟のようだった」と感じた登美さんが歩んだサクセスストーリーとは?「群言堂」で働くスタッフや家族が移住し、大田市の転入数と出生数が増えているというデータにも驚きました。
国際的なアートフェスティバルで町おこしを続ける元着物産業の町、「写真の町」プロジェクトを打ち出し人口増を達成している北海道の小さな町……。7つの章は、それぞれビジネスにも焦点が当たっていますが、主役となっているのは人間。
いくら優れたアイデアがあったとしてもそれを実行し、多くの人に協力してもらうには情熱と継続が必要ということが伝わってきます。2002年に家族5人で首都圏から長野に移住したという著者・藻谷さんならではの視点も入っていて、ビジネスドラマ的ノンフィクションとしても、ビジネス本としても読み応えがありました。
【書籍紹介】
山奥ビジネス 一流の田舎を創造する
著: 藻谷ゆかり
発行:新潮社
人口減? 地方消滅? 悲観する必要はない。日本には「山奥」という豊かなフロンティアがある。「なにもない田舎」も、地域資源を再発見し、角度を変えて眺めれば、宝の山に変わるのだ。ハイバリュー&ローインパクト(高付加価値で環境負荷が低い)なビジネスを山奥で営む事例や、明快なコンセプトで若い世代やユニークな事業を呼び込んでいる自治体事例を紹介し、「一流の田舎」を創るストラテジーを提示する。
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【プロフィール】
卯月 鮎
書評家、ゲームコラムニスト。「S-Fマガジン」でファンタジー時評を連載中。文庫本の巻末解説なども手がける。ファンタジーを中心にSF、ミステリー、ノンフィクションなどジャンルを問わない本好き。