学校に行かない、家族を作らない、会社に所属しない、という生きかたを選ぶ人が増えています。しかし集団に属さない場合、自分の居場所を見つけることができず孤独を感じがちです。居場所の大切さについて考えてみました。
学校以外の居場所がない
筆者の子どもは中学生の時に不登校になりました。学校に行こうとすると体調が悪くなり、行くことができないのです。1日のほぼすべてが自由時間となった彼ですが、すぐに困難に直面しました。平日の昼間に行くところがないのです。
最初のうちは図書館を利用していましたが、そこの机で勉強はできても、誰かとコミュニケーションできるわけではありません。家族以外との会話がない毎日は、かなり退屈そうでした。
そこで塾に通い始めたのですが、塾の先生が「自習室は午後1時から開いているからいらっしゃい」と声をかけてくださいました。自習室の休憩時間の会話で友人も増え、どうにか居場所を見出すことができたのです。もし塾がなかったら、かなり心細子寂しい思いをしたことでしょう。
負担が少ない人間関係を
鶴見済さんが書かれた『人間関係を半分降りる』(筑摩書房・刊)では、現代社会でどのように人と関わりを持って過ごしていくべきかということを、友人・家族・恋人などの関係ごとに、かなり具体的に言及されています。
この本は人間関係を減らすことについて推奨している内容ですが、減らすにあたって重要視されるのは、関わる人数よりは、関わる深さや関わる時間、そして関わることによって生まれる労力なのだと感じます。自分の負担にならない程度に社会とつながっていくことで、日々の暮らしはより快適になりそうです。
新たな居場所の必要性
鶴見さんは「戦後昭和の時代、人が家庭、会社、学校の三領域に閉じ込められていた」が、「90年代あたりから(中略)、三つの領域から人が降り始めた」と書いています。確かに2020年代の現代では、生涯未婚率が上昇し、フリーランスの割合も増え、不登校も過去最多となっています。
本ではこの三領域以外の居場所が作られてこなかったことを問題視しています。今までのごく一般的な日本人の生きかたから外れた途端、居場所が見当たらずに困ってしまう現象が起きているのです。著者の鶴見さんはこれを危惧し、自らも居場所を主宰するようになりました。
つながりを探す時代
確かに近年になってシェアハウスやコワーキングスペースやボードゲームカフェなどで見知らぬ人と生活や仕事や遊びを共有したり、オンラインサロンやオープンチャットなどで会ったことがない人と語り合ったりと、今まででは考えられなかったような新たな関わりが生まれています。
それは、今までの画一的な生きかたを選ばない人が増えていて、何らかの居場所をリアルや非リアルで探しているからだとしたら腑に落ちます。こうした新たな場では交流会も頻繁に行われていて、人と人とのつながりも生まれやすいからです。
居場所をふたつ持つこと
本では会社や学校や家庭以外のゆるい居場所をふたつ作ることを推奨されていました。居場所がひとつだけだとそこに頼りすぎてしまうため、ふたつがいいのだとか。居場所とは「人とのつながりがある場」のことで「他の客と話せるいきつけの居酒屋でもいいし、よく参加する読書会」でもよく、大切なのは「ありのままの自分でいられる」ことだと説かれています。
ひとりが気楽であっても、時には誰かと交わりを持ちたいものです。気分によって自室と居場所とを上手に使い分ける生きかたが今後広まっていきそうです。その集まりから偶然何かの商品やサービスが生まれることも増えるかもしれません。実際、人々が集まりアイデアを出し合うアイデアソンという試みも広まりつつあります。居場所という試みの発展に今後も注目したいところです。
【書籍紹介】
人間関係を半分降りる
著者:鶴見済
発行:筑摩書房
人間は醜い。だから少し離れてつながろう!友人、家族、恋人。大ベストセラー『完全自殺マニュアル』の著者が、悲痛な体験から生きづらさの最終的な解決法=優しい人間関係の作り方を伝授する。