〜〜馬込車両検修場「都営フェスタ2022」(東京都)〜〜
ここ数年、鉄道各社の行事がコロナ禍で自粛されてきたなか、最近ようやくイベントも開かれるようになってきた。12月3日(土)には「東京交通局馬込車両検修場」(大田区)で、東京都交通局「都営フェスタ2022」が開催された。3年ぶりに開かれた同イベントでは参加者を300人に絞り、密にならないよう少人数に分けてのツアー方式が取り入れられた。引退間近の車両も並び、鉄道ファンにとって気になる催しとなった。見どころ満載だったイベントに迫ってみよう。
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【都営フェスタ2022①】会場となった馬込車両検修場とは?
「都営フェスタ2022」が開かれたのは東京都大田区南馬込にある「東京交通局馬込車両検修場」。都営浅草線の車両の検修施設があり、また都営浅草線と都営大江戸線の車両の重要部検査や全般検査が行われる。車でいえば定期検査や車検にあたる検査が行われる、東京都交通局にとって重要な施設である。
場所は都営浅草線の西馬込駅の南側で、西馬込駅から延びる引込線が車両検修場内の線路につながっている。車両基地も兼ねているために、運行を終えた車両が朝夕を中心に入庫、出庫をしている。
通常、車両検修場のなかへは入れないが、車両検修場の上に「道々め木橋(どどめきはし)」という名の陸橋が架かり、その上から全景を見ることができ、この陸橋を訪れる鉄道ファンも多い。
【都営フェスタ2022②】33倍の難関を突破した300名が見学
今年で誕生111年目を迎えた東京都交通局の成り立ちを簡単に振りかえっておこう。東京都交通局は1911(明治44)年8月1日に東京市(当時)が東京鉄道株式会社を買収し、東京市電気局が創設されたことに始まる。同局により路面電車の運行と電気供給事業が開始され、その後、市電(後の都電)は東京市民の欠かせない足となった。
111年の歴史の中には関東大震災や、東京大空襲などの想定を上回る災害があったものの早々に復旧を果たし、増強され戦後の高度経済成長を支えた。高まるモータリゼーションの中で、都電は1線のみとなったが、都営バスの路線網に加えて、1960(昭和35)年12月4日には地下鉄事業を開始、押上駅〜浅草橋駅間が開業し、以降、浅草線の延伸に加えて三田線、新宿線、大江戸線が開業し、東京都民にとって必要不可欠な公共交通機関となっている。
今回の「都営フェスタ2022」は3年ぶりの公開行事となった。密を避けるために参加者は300名に限定され、WEBサイトで応募・抽選する方式で来場者を選んだ。入場無料の人気イベントでもあり、今回も9800名を超える応募があったとされ、33倍の超難関のなか幸運を手にした300名が、30名ごと10組に分けられ、10時から16時にかけて検修場内で60分のツアーを楽しんだ。
来場できなかった人向けに「都営フェスタ2022」(12月12日まで公開予定)のホームページ上でスペシャルムービー「馬込車両検修場に潜入!」と題した映像を公開。検修場内の仕事の様子を紹介したり、またPC用の壁紙を提供するなど、オンライン上でのイベントとのハイブリッド開催が行われた。
筆者は2017(平成29)年12月9日に馬込車両検修場で開かれた「都営フェスタin浅草線」も訪れたことがあるが、当時の写真は下記のような状態で、入口付近は長蛇の列ができたのだった。
5年前の都営フェスタの時に公開されたのが、浅草線の現在のエースとして活躍する5500形だった。そして今年の都営フェスタでは、最後の姿になるかもしれない浅草線の旧主役が登場した。両車両の詳細は後述したい。
【都営フェスタ2022③】親子連れにはキャラクターが大人気
「都営フェスタ2022」で目立ったのが親子連れの姿だった。2017(平成29)年の時には一般の鉄道ファンの姿が多かったが、将来、鉄道ファンになるであろう世代が保護者に引きつれられて電車に見入る姿がほほ笑ましく感じられた。こうした世代の目を引きつけたのは東京都交通局のキャラクターや、レールが緻密に組まれたプラレールだったことは言うまでもない。
会場を訪れていた小学3年生の男児と母親の2人連れに話を聞いてみた。抽選に運良く当たったそうだ。以前に父親と検修場が見渡せる陸橋「道々め木橋」に来て検修場内を眺めたことがあるそうで、かなりの鉄道好きのようである。男児は普通の線路幅(1067mm)よりも広い浅草線の線路幅(1435mm)を体感しようと、線路をまたぎ、ようやく足が開いたようでご満悦の様子だった。
「車庫基地に入れてうれしい?」と聞いてみると、「うん。本当は地下鉄よりJRの方が好きかな」との答え。さらに「お父さんとよく遠くに行くんだ。この間は青春18きっぷを使って中津川駅(岐阜県)まで行ったよ」と誇らしげに話してくれた。
小学校3年生ともなると好みがはっきりしてくるようだが、車庫内に入れたことはきっと良い思い出になったことだろう。
【都営フェスタ2022④】浅草線のエースとして活躍した5300形
ここからは「都営フェスタ2022」に集合した車両を見ていこう。車両撮影用に並べられた車両は7編成で、うち5編成は浅草線の主力車両5500形だった。5500形にはさまれ5300形5320編成が並ぶ。5320編成は5300形最後の8両で、この編成以外はすべて引退となっている。5320編成は今回のフェスタ以降も走っていることが確認されているものの、いつまで運行されるかは発表されておらず、気になるところである。
浅草線5300形とはどのような車両なのか見ておこう。
1960(昭和35)年に開業した都営浅草線で最初に導入された車両が5000形だった。通勤型電車のサイクルは約30年を目安にしている鉄道会社が多い。浅草線開業からちょうど30年後の1990(平成2)年に5300形の製造が開始され、1991(平成3)年3月31日から走り始めた。正面は当時一般的だった平面ではなく、ガラス窓がなだらかに傾斜した造りで、これは浅草線が走る銀座など都会的なセンスをイメージしたものとされている。浅草線には京成電鉄、京浜急行電鉄、北総鉄道などの車両が乗り入れているが、他社とは一線を画すデザインだったと言っていいだろう。1997(平成9)年まで8両×27編成、計216両が製造された。
浅草線のエースとして活躍してきた5300形だったが、後進となる5500形が2017(平成29)年の「都営フェスタ」で初公開され、翌年の6月30日から走り始めた。その後に5500形の増産は続き、すでに5300形の最盛期の車両数である8両×27編成、計216両まで増備されている。5300形はそれに合わせて徐々に引退となり、最後の5320編成もいつ運用から外れてもおかしくない状況になっているわけである。
「都営フェスタ2022」で5300形5320編成の、正面の表示は「快速急行・新逗子」行きとなっていた。すでに2020(令和2)年3月14日から新逗子駅は逗子・葉山駅と駅名が改称されている。今はない駅名を掲げての〝最後の晴れ姿〟となったのかもしれない。
この記事が公開される日まで走り続けているかどうかは定かではないものの、もし走っていたら今のうちに乗り納め、撮り納めしておきたい貴重な編成となっている。
【都営フェスタ2022⑤】5500形の洗車シーン&レアな表示も
5300形に代わり、浅草線の主力車両となり「都営フェスタ2022」でも5編成が並んだのが5500形だ。5年前の都営フェスタでは1編成のみだったものが、27編成に増備された。
正面デザインは、歌舞伎の隈取りをイメージ。車内各所に東京の伝統工芸品である江戸切子のデザインが施されている。性能面では5300形の設計最高速度が110km/hだったのに対して5500形は130km/hまでスピードアップが図られた。このスピードを生かして、5300形では乗り入れできなかった成田スカイアクセス線での運用が可能になり、成田空港駅まで走るようになっている。
「都営フェスタ2022」では車両撮影スペースに5編成が並び壮観だった。さらに。フェスタに合わせた演出ではなく、偶然、検修場に入庫してきた5500形の洗車シーンを見ることもできた。
今回の「都営フェスタ2022」では事前に公表されていなかったのだが、隠れた演出をいくつか発見することができた。まず、5500形の並び方だ。5300形5320編成の右隣には、最初につくられた5501編成、その右隣には2編成目の5502編成が並んでいた。5500形の1編成目と2編成目が、5300形と並べられて配置されていたのである。
さらに、行き先を示すLED表示器にもなかなか粋な演出を見ることができた。5501編成の表示は「急行・東成田」行きとなっていたのである。
東成田駅は京成電鉄東成田線の終点駅で、その先は芝山鉄道線の芝山千代田駅まで線路が延びている。現在は京成成田駅〜芝山千代田駅間を走る電車が停まる駅となっている。開業当時は成田空港駅と呼ばれた駅だった。今はこの駅始発、終着する列車はなく、ふだん見ることができない貴重な「東成田」行き表示だったわけである。
5500形の他の車両の表示は「特急・京成上野」、「快特・金沢文庫」といった具合。こちらも5500形の行き先としては、あまり表示されることのないレアな駅名といって良いだろう。こんな細かいところにも来場者を楽しませようという気づかいが見られた。
【都営フェスタ2022⑥】一番端の謎の赤い電気機関車は?
今回の「都営フェスタ2022」でずらりと並んだ右端には、大きなパンタグラフの赤い電気機関車が停められていた。都営線沿線ではまず見かけない機関車だ。
この車両はE5000形電気機関車で、車両を牽引する役目を担う東京都交通局の事業用車両だ。馬込車両検修場は、都営浅草線以外にも都営大江戸線の車両の重要部検査、全般検査を行っている。しかし、浅草線と大江戸線は線路幅こそ1435mmで同じだが、大江戸線は鉄輪式リニアモーター駆動によって動いており、回転式電気モーター駆動を採用する浅草線とは方式が異なる。ゆえに大江戸線の電車は、浅草線を走ることができず、それを牽引する車両が必要になるというわけだ。
浅草線と大江戸線との間には通称「汐留連絡線」と呼ばれる連絡線があり、同路線をE5000形電気機関車が通り、大江戸線の電車と連結し、浅草線の馬込車両検修場まで牽引してくる。
E5000形電気機関車は正面から見ると分かりにくいが、JR貨物のEH500形式電気機関車、EH200形式電気機関車などと同じように2車体連結の8軸駆動方式が採用されている。この駆動方式を採用している理由は、汐留連絡線に半径80mといった急カーブがあることや、48パーミルといった通常の鉄道にはない急勾配をクリアするためで、実は外見からは予想もつかない高性能な車両なのだ。日本の地下鉄史上初の地下鉄専用の電気機関車であり、2編成、計4両のみという珍しい車両でもある。
【都営フェスタ2022⑦】車両工場の中には台車や幌がずらり並ぶ
来訪者が車両撮影コーナーの次にめぐったのが東隣にある「車両工場」だった。ここでは電車の重要部検査と全般検査が行われる。
庫内には5500形5509編成が入っており、ブレーキなどの重要部検査が行われているようだった。
この車両に並んで、複数の車両移動機が停車していた。車両移動機とは重要部検査や全般検査などのため、車両工場へ電車を移動させる際に利用するもの。大小の車両移動機が留め置かれていたが、小型のほうはアント工業製で、編成から切り離された電車の移動などに用いられているようだった。
車両工場内を進んでいくと天井まで達するようなラックが設けられていた。緑に塗られた鉄柵のラック内にあるのは電車の台車だ。ここには重要部検査や全般検査のために工場内に入ってきた電車の台車を新しいものに取り換えるため、部品類も格納されている。
「都営フェスタ2022」が行われていた日は工場が稼働していなかったものの、コーナーには解説ボードがあり、このラックからエレベーターで降ろされ、横に動く作動装置に載せられて、台車の付け替えが行われることが推測できた。こうした作業内容はホームページ内のスペシャルムービー「馬込車両検修場に潜入!」で公開されている。
車両工場で気になるコーナーを発見した。角が丸いスチールの骨組みをグレーの部材が包み込んでいる。電車の連結部分に使われる幌だった。単体の部品として見ると意外に大きく感じられた。そこには次のような貼り紙が。
「補修用の部材として一部切り取り済みです」。
幌は長い間走ると擦れて劣化するものなのだろう。時には穴が開き、雨漏りも起こるのかもしれない。そうしたときの補修用として使ったようだ。そうした細かい補修作業もここで行われていることがよく分かる。少人数グループで、急かされることなく見ることができ、車両検修場内をじっくりと見学して回れた〝成果〟は大きかった。
【都営フェスタ2022⑧】主催者の鉄道愛が伝わる意外な展示物
車両工場を出た先には展示・グッズコーナーが。都営交通の歴史を伝える展示や多彩な写真が貼り付けられており、興味をそそられた。
特に気になったのは、東京都交通局の昔の路線図だ。最も古い路線図は1911(明治44)年8月1日と記されていた。8月1日は東京都交通局が生まれた日である。シンプルに線が記されているだけで、途中の停留場の案内はないが、ここから始まったということで資料的な価値は高いように感じた。
筆者も市電時代の路面電車の路線図を数枚所有しているが、さすがに同資料を見たことはなかった。戦後のものには、今はないトロリーバスの路線が記されたものもあった。今となっては〝お宝〟の資料と言ってもよいだろう。開局111年の歴史がここに詰まっていた。
さらに目を引いたのは都営浅草線の5000形から5500形にいたる20枚の写真。車両工場の荷物用エレベーターの扉に貼られていたが、浅草線最初の電車5000形の現役時代から、引退が近づいた5300形導入されたころ、さらに最新の5500形がトレーラーを使って車両基地まで運ばれる写真などがきれいに展示されていた。
今回の「都営フェスタ2022」のように、ゆっくりと会場を見て回るイベントは、いろいろな発見ができておもしろい。来訪者も、東京都交通局の担当者の人たちから、興味深い話を聞くことができ、さらに来場記念カードや、電車のイラスト入りクリアファイルなどの土産を手にし、満足した様子で帰って行く姿が見受けられた。