現在、約6万人のタイ人が日本で暮らしています。タイ人の国民性としてよく挙げられるのが、微笑みを絶やさないこと。しかし、どうしてそうなのでしょうか? そこで、宗教的・制度的な側面からタイ人の微笑みを深堀りしてみることにしました。身近にいるタイ人との付き合い方や働き方についても何らかのヒントが得られるかもしれません。
サクディナー制と上座部仏教
なぜタイ人はいつも微笑みを絶やさないのでしょうか? その答えは、近代まで残っていた階級制度「サクディナー制」と「上座部仏教」の教えに、タイの国民性が深く根ざしていることにあります。
サクディナー制は、国王が社会の頂点として国土と人民の支配権を持ち、貴族、僧侶、農民などが身分に応じて国王から貸与された土地保有面積を数値化した階級制度。15世紀に定められ、1932年の立憲革命まで存続しました。
長く続いたサクディナー制は、自分と他人の身分や立場を明確にし、「互いの面子をつぶさないことが最も重要」であるという価値観をタイ社会に浸透させました。制度が廃止された現在でも、相手は自分と比べて立場が上なのか下なのかを無意識に慮り、その基準に沿って行動するという国民性が存続しているのです。
その一方、タイ人は「出家して悟りをひらき、煩悩の苦に満ちた生を解脱する」という上座部仏教の教えにも大きな影響を受けています。男子が一度は出家して僧侶としての修行を行うという文化もあり、仏教が持つ寛容の精神を持って日々功徳を積んでいくことが行動規範です。
基本的にタイ人は、今の社会的立場は前世の業によるものということを信じ、自分の社会的立場を知って分に応じたふるまいをすることが大切だと考えます。そのため自分の置かれた立場や運命を受け入れやすく、不満や怒りを表に出さない傾向があります。
こういったことが背景となり、タイ人は微笑みを絶やさないといわれているのです。
気配りの世界
サクディナー制と上座部仏教の影響により、タイ人は人と関わりを持つ社会を「気配りの世界」とらえています。そして、この世界では「グレンチャイ」がとても重要です。
グレンチャイは日本語で「遠慮する」の意味で、タイでは人間関係において相手との心理的距離感に常に配慮するという教えです。特に自分より立場が上の人に面倒をかけることは、相手の面子をつぶす「分をわきまえない言動」であり、自分の面子も傷つき社会的評価が下がってしまうという考え方です。
気配りが行き届いているといわれる日本人と似た部分もありそうですが、タイ人は「タンマ(仏教的公正)」に沿った行動規範にならっているため、気遣かったり敬意を払ったりすることや、自己抑制という意識が徹底しています。
ただ、ビジネス現場などではグレンチャイが障害となることもあります。具体的には、配慮しすぎたあまり上司への緊急報告が遅れたり、上司の指示が理解できないのに質問せず「わかりました」と対応したり、といったことがよく見られます。
そのため、自分が上司の立場になった場合は、その都度「マイ・トン・グレンチャイ(遠慮しないで)」と伝え、タイ人スタッフとの風通しをよくすることが大切。そういったコミュニケーションを重ねることにより、グレンチャイの壁が低くなるからです。
微笑みは13種類
グレンチャイはタイ人の微笑みにも表れているので、会話する際にもそれを念頭に置くことが大事です。
タイ人の微笑みは13種類あるといわれています。しかし、そのうちポジティブな感情を表す微笑みはわずか3種類で、残りの10種類はネガティブな感情を隠すためとされます。タイ人の微笑みを理解するには、言葉だけでなく、表情、ジェスチャー、目線、声のトーン、身体の距離といった非言語的な要素も注意深く観察する必要があるのです。
タイ人はサクディナー制と仏教の教えに基づき、自分と他人の面子を守り、「グレンチャイ(遠慮)」を美徳とする世界に生きています。タイ人がいつも絶やさないさない微笑みは、複雑な感情を伝えるコミュニケーションツールでもあるのです。
私たち日本人がタイ人の微笑みの本当の意味を読み取るのは簡単ではないでしょう。でも、微笑みの背景にある宗教的・制度背景を知ることにより、互いの理解を深めることができるかもしれません。
執筆/諏訪薗 和人