絶滅が危惧される鉄道車両 第1回 JR東日本・115系近郊形電車
ここ数年、国鉄時代に誕生したいわゆる“国鉄型車両”の消滅が急速に進んでいる。国鉄が分割民営化され、JRとなったのが1987(昭和62)年のこと。それ以前に造られた国鉄型車両は、最低でも30年以上走り続けてきてきた。当然ながら、かなり“老朽化”してきているのは事実だ。
30年という月日が経ち、致し方ないとはいうものの、慣れ親しんだ車両が消えていくのには、一抹の寂しさを感じることも確かだ。特急、寝台列車などの“優等列車”は、廃止が事前にアナウンスされることもあり、消える前ともなると注目度も高まる。
一方、ごく身近な通勤形電車や近郊形電車となると、熱心な鉄道ファンを除き、知らぬ間に消えていることも多い。廃車にあたって各鉄道会社からもほとんど発表がなく、あまり注目されずに静かに“退場”していくのだ。
本稿では、そうして静かに消えていきそうな鉄道車両の現状に迫る。まずは、かつて東京や大阪など大都市近郊の路線を走っていた115系近郊形電車の動向から見ていこう。なかでもJR東日本の115系は、消滅が秒読みに入ったといってよい。
【歴史】1963年に登場した急勾配・寒冷地向け近郊形電車
いかにも武骨な鋼製の車体。手作り感いっぱい、適度な丸みを帯びた正面のデザイン。先頭部の中央にある貫通トビラ。そしてクロスシートと、ロングシートを組み合わせた「セミクロスシート」の座席配置。いまのステンレス車両、ロングシートの電車に比べて見ると、何と味のある佇まいであろうか。
115系近郊形電車は、1963(昭和38)年から製造が始まった。同時期に造られた兄弟形式に113系近郊形電車があるが、113系が温暖な地区・平坦な路線向けの車両であるのに対して、115系は急勾配、寒冷地向けの電車として造られた。そのため、勾配対策や寒冷地対策がしっかりと施されている。
筆者も中学生時代に近くの中央本線でお目にかかり、撮影した記憶がある。当時、走っていたのは基本番代で、前照灯の大きさが妙に目立っていたことを覚えている。基本番代はいつしか後輩の300番代に置き換わっていたとはいえ、およそ50年以上も中央本線を走り続けたということ自体に、驚きを感じざるをえない。
中央本線を走る115系の多くが、古くから横須賀色と呼ばれる青とクリーム色の2色の塗り分け(一部列車は新長野色で運行)。通称“スカ色”の名で長年親しまれてきた。そんなスカ色115系も残念ながら2015年で消えてしまい、普通列車の全車両が211系に変更された。これに続くように、JR東日本管内の他の地区の115系も急速に車両数を減らしていった。
【現状その1】高崎駅のホームで115系の現状をチェックしてみた
JR東日本の115系が2016年12月現在も、走っているのは高崎を中心とした北関東地区と新潟地区のみとなった。この2地区の115系の現状に注目してみよう。
北関東の路線は長年、115系の“聖地”でもあった。北関東を走る115系はすべて湘南色と呼ばれる、オレンジと緑の塗り分け。この湘南色の115系が主力で、同じく国鉄時代に生まれた107系電車が補う形で、信越本線、上越線・吾妻線、両毛線の列車は長年、運行され続けた。
しかし近年では、すっかりその牙城が崩れてしまった。東海道本線や東北本線、高崎線を走った211系が短い編成に変更され、徐々に投入されるようになったのである。そこで、2016年12月3日(土曜日)、高崎駅のホームと上越線沿線で115系の運行状況をチェックした。下記がその結果である。
【115系で運行】
●上越線 下り:727M、733M、735M/上り:732M、734M、736M
●上越線・吾妻線 下り:531M、533M/上り:526M、530M
●両毛線 下り:633M/上り:444M、630M
●信越本線 下り:135M/上り:138M
【107系で運行】
●上越線 下り:731M/上り:730M、738M
●両毛線 下り:441M/上り:628M
【211系で運行】
●上越線 下り:729M/上り:728M
●上越線・吾妻線 下り:535M/上り:524M、528M、532M
●両毛線 下り:439M、627M、449M、451M、639M、453M、455M/上り:622M、446M、3448M
●信越本線 下り:133M/上り140M
結果として特筆すべき点は、チェックした38列車中、115系は39%、107系は13%。そして211系が48%を占めたこと。なかでも、両毛線への211系の進出ぶりが際立っている。これは、高崎車両センター(旧新前橋電車区)内に留置される電車をチェックしても同じことで、211系が約9割を占めていた。なお、115系の39%という割合は、減ることはあれど、今後増えることはほとんどないと見られる。急速な211系の増え方を見ると、このエリアの115系は2017年がひとつの節目の年になるだろう。
【現状その2】計算では新潟地区の115系が約32両残るはず……
北関東と共に多くの115系が走り続けた新潟地区。2016年4月1日の時点では新潟車両センターに配属された115系は172両(書類上の数字で、すでに春の時点で廃車が出ていた)。
この新潟地区の115系も安泰ではなくなっている。2014年12月のE129系の登場により、急速に活躍の場が狭められているのだ。すでに2016年3月には上越線(長岡〜水上間)での115系の運用がなくなっており、4両および2両編成の115系の大半が廃車とされた。
また、2016年の12月9日〜10日には、信越本線の長岡〜直江津間の計12本の列車が115系からE129系に置き換えられるなど、その動きが加速している。今後はどうなるのだろうか。JR東日本からの発表がないので推測になるが、ここからは筆者の予測として読んでいただきたい。
後任の新型車、E129系は合計160両が造られる予定だ。E129系は老朽化する115系の置き換えと、えちごトキめき鉄道に譲渡されたE127系の補填を目的として造られている。えちごトキめき鉄道へ譲渡されたE127系は計20両、115系の車両数(最も多い時の車両数が172両)との合計は192両。うち160両が新型のE129系に代わるとすれば、残りは32両となる。
つまり、E129系が計画された両数がすべて増備されても、32両は残る計算となる。E129系以外の新たな車両の導入は報告されていない。運用は減るものの、2020年ごろまでは越後線、弥彦線といった路線を中心に、朝夕のラッシュ時などの運用が残るのではないだろうか(希望的な観測も含んではいるが)。
【その他の地区】しなの鉄道とJR西日本の115系は安泰か!?
減り続けるJR東日本の115系だが、JRの他社とほか第三セクター鉄道ではどのような状況なのだろうか。国鉄が民営化されたときに115系はJR東日本、JR東海、JR西日本の3社に引き継がれた。そのうち、すでにJR東海の115系は全車が廃車されているが、JR西日本には590両と多くの115系が引き継がれた。JR西日本では福知山電車区、岡山電車区、下関総合車両所の3か所に、いまも300両以上の115系が在籍する。
JR西日本の車両は多くが体質改善工事という、大規模なリニューアル工事が行われている。編成数を増やすために中間車両に運転台を設けるなど、かなり手を入れた車両が多い。そのJR西日本でも広島地区で新型227系を導入。車両数はやや減りつつあるが、少なくともあと10年はその活躍ぶりに接することができそうだ。
首都圏に近いところでは、しなの鉄道で115系に出会うことができる。ここは全車両がJR東日本からの譲渡された115系だから、会えて当然なのだが……。とはいえ、JR当時の塗装から、徐々に、えんじ色の“しなの鉄道色”に塗り替えが進むものと思われる。
いずれにしても、JR東日本の115系。乗るなら撮るなら今のうちに、と言えそうである。
【115系(近郊形直流電車)DATA】
(1)製造期間:1963(昭和38)年〜1983(昭和58)年
(2)総車両数:1923両(113系の改造車両も含む)
(3)営業最高速度:100km/h
(4)車体材質:鋼製
(5)車体サイズ:全長20,000 × 全幅2,950 × 全高4,077mm
(6)製造メーカー:川崎車輌、汽車製造、近畿車輌、東急車輛製造、日本車輌製造、日立製作所