〜玉袋筋太郎の万事往来
第30回「明和電機」代表取締役社長・土佐信道
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。30回目のゲストは、芸術ユニット「明和電機」の代表取締役社長として、国内のみならず広く海外でも活動する一方、音符の形の電子楽器「オタマトーン」などの商品開発も行う土佐信道さん。ユニークなナンセンスマシーンを開発し続ける創作の秘密に玉ちゃんが迫る!
(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)
過去に父親が経営していた会社の屋号を使って活動開始
玉袋 まさか武蔵小山の住宅街に明和電機さんの秘密工場があるとは思いませんでした。ここに越してきて何年になるんですか。
土佐 1998年からだから26年です。
玉袋 この工場が将来はドーンと大きくなって、明るいナショナルみたいになるわけですね。
土佐 そうですね(笑)。
玉袋 明和電機さんとは、ちょこちょこすれ違っているんですよね。昨年も俺が応援団長をやっている「企業対抗カラオケ選手権」でライブパフォーマンスをしてくれて。
土佐 飛び道具を持ち込んで、ずるい出方をしたんですけど。
玉袋 いやいや、番組史上一番盛り上がりましたよ。明和電機さんとしての活動はどれぐらいなんですか。
土佐 2023年で30周年を迎えました。
玉袋 おめでとうございます。そもそも活動を始めたきっかけは何だったんですか。
土佐 美術大学で変な機械を作っていて、それを世の中に見せるときに、普通に見せてもみんな興味を持ってくれないなと考えていたときに、そういえば父親が電気屋をやっていたなと。ちっちゃな会社でしたが、最盛期は100人を超す従業員を抱えていたんですが、オイルショックが原因で倒産してしまって。それを思い出して明和電機を名乗るようになりました。
玉袋 マキタスポーツみたいなもんだね。あの芸名も山梨にある実家のスポーツ用品店の屋号だから。形はどうあれ明和電機という名前が復活して、一種の親孝行じゃないですか。
土佐 父親は理解していなかったです。借金があって潰れた会社なので、「おまえは大丈夫なのか?」って言われました。
玉袋 電気屋の頃は製造をやっていたんですか?
土佐 そうです。主にテレビのボリュームなどを作っていて、松下電器や東芝の下請けでした。
玉袋 まさしく明るいナショナルに繋がるわけだ。
土佐 倒産するときは全然明るくなかったですけどね(笑)。
玉袋 明和電機は世の中に出たときに、すぐに光がつきましたよね。面白い活動をしているってことで、テレビにも出てましたもんね。
土佐 初めてテレビに出たのはタモリさんの「音楽は世界だ」(テレビ東京系)でした。次がビートたけしさんの「たけしの誰でもピカソ」(テレビ東京系)で、とんとんとテレビに出させていただいて。
玉袋 (明和電機の「全製品カタログ」のページをめくりながら)テレビに出る前から発表する機械はたくさんあったんですか。
土佐 今みたいな数はなかったです。今は300点ぐらいありますけど、最初は指パッチンする木魚(パチモク)しかなかったですし。
玉袋 背負ってたやつだ。覚えてるよ!
土佐 今もやっていますけどね(笑)。
──大学在学中からパフォーマンス活動は行っていたんですか。
土佐 やっていましたけど、当時は魚を撲殺するパフォーマンスとかをしていました。今じゃ考えられないです。
玉袋 そういえば昔、一緒にお仕事をさせてもらったときに、「魚コード」をいただいて家で使ってましたよ。
土佐 魚コードが明和電機の量産第1号ですね。
玉袋 大手事務所に入らず、自分でやっているわけですよね。
土佐 以前は事務所に所属していました。最初はソニー・ミュージックエンタテインメントに1993年から1998年までいて、1998年から2016年までは吉本興業でした。
玉袋 (「全製品カタログ」掲載の活動歴を記した世界地図を見ながら)相手は世界ですもんね。言葉もあるけど、音楽とモノがあるから、どこでも通じちゃうわけじゃないですか。
土佐 行ってないのは南アメリカぐらいだったんですけど、昨年はコロンビアにも行きました。
玉袋 世界戦略は、とにかく明るい安村よりも全然早いし、規模もそれどころじゃないからね。しかも製品を海外に卸しているわけでしょう。
土佐 そうですね。ライブが飛び込み営業みたいなものですから。営業先でパフォーマンスをして、「(オタマトーンを指して)これ売ってるよ」って感じで。
玉袋 大人から子どもまで喜ぶしね。
土佐 ただ今のようにネットが発達してなかったら難しかったです。今は飛び込みで行って、「どうぞAmazonで買ってください」って言えますから。
影響を受けたのは横山ホットブラザーズ
──製品の販売はいつから始めたんですか?
土佐 一発目の魚コードが1995年です。当時はニセモノも出回りました。
玉袋 どうやって流通に乗っけたんですか?
土佐 ソニー・ミュージックだったので、流通はレコード屋さんで売っていたんですよ。お店側からしたら邪魔でしょうがなくて、このスペースに何枚CD置けるんだよって話で。
玉袋 魚コードにしても、オタマトーンにしても何て言うんだろう……。
土佐 役に立たないものですからね。
玉袋 そう、その言葉が欲しかったんだ! それを言おうとしたんだけど、俺からは言いにくいし、社長自ら言ってもらえて良かった。世の中、こういう幅がないと面白くないわけで、そういったニーズにピタッとハマっているのが素晴らしいですよね。
土佐 ニッチだけど、好きな人が世界中にいますからね。
玉袋 言ってしまえば変態ですよ。
土佐 変態と変態を繋いでいるんです。
玉袋 一番変態がいたなと感じた国はどこですか?
土佐 スタッフがおかしかったのは2019年に行ったロシアですね。最初から最後まで、ずっとお酒を飲んでいるんですよ(笑)。
玉袋 下手すると、北朝鮮にも呼ばれそうだな。社長としては製品も売らなきゃいけないから、コストのことも考えなきゃいけないし、さじ加減が難しいんじゃないですか。
土佐 最初は全然駄目でしたね。明和電機でCDも出しているんですが、作詞作曲っていうシンガーソングだけじゃなく、楽器も一から作るので元を取れないんです。それがソニー・ミュージック時代。
玉袋 そうか。ミュージシャンですからね。
土佐 シンガーソングライターメイカーです(笑)。CD、魚のコード、コンサートの収入など、いろいろあったんですけど、本当に儲からなかったです。
玉袋 影響を受けたパフォーマーで言うと誰なんですか。
土佐 強いて挙げるなら横山ホットブラザーズですかね。
玉袋 そっちの方向になるんだ。確かにホットブラザーズのノコギリも気持ちいいですもんね。
──学生時代、何か楽器はやられていたんですか。
土佐 打楽器をやっていました。それとコンピュータミュージックをくっつけたいなと思って、くっつけたらこうなっちゃったんです。
玉袋 テクノはどうだったんですか。
土佐 YMO世代なので、高校生のときにコンピュータミュージックにドハマりしました。でも出音がピコピコだけでしょぼいというか、打楽器でダイナミックな音を出していたから物足りなさを感じて。それで自然と今のスタイルになっていったんです。
玉袋 そういえば昔タミヤのプラモデルで戦車とか作ったけど、工作するのもありましたよね。
土佐 「楽しい工作シリーズ」ですね。
玉袋 それだ! 明和電機さんの製品を見ていると綱渡りするピエロとか思い出すね。懐かしい。そこら辺も通ってるんですか?
土佐 ちっちゃい頃は、そういうのも作ってました。
玉袋 そりゃ作るよね。ただ普通はガキの頃で終わっちゃうんだよ。それをずっと続けているんだもんね。
土佐 ずーっと続けちゃってます。
玉袋 続けた結果が明和電機になるわけじゃないですか。普通なら卒業するけど、そうじゃないから面白いんだ。プロレスも一緒だよ。みんなガキの頃は熱中するんだけど、大抵は卒業しちゃうんだ。俺は卒業できてないけどね。昔は学校でも技術の授業があって、いろいろ作ったじゃない。今はどうなっているんだろうね。
土佐 我々の時代とは違うみたいですね。男の子女の子の区別はなくしましょうという流れもありますし。
玉袋 そうだ。男子は技術、女子は家庭だったよね。
土佐 だからIKEAの家具が届いたけど組み立てられない男の人もいるらしいですよね。
玉袋 うちの倅がそうですよ。「任せろ!」って買ったわりには何にもできなくてカミさんが全部組み立てたっていうさ。今は仕組みが見えるものって減ってるじゃない。明和電機さんの製品って、仕組みが見えているのもいいんだ。昔は親父のラジオをドライバーで開けちゃったりしたけど、そういう解体する文化がないよね。
土佐 iPhoneとか簡単に分解できないですからね。明和電機の製品は見て分かる。僕自身、見て分かるものじゃないと分からないんですよ。
玉袋 機械なんだけど温かみがあるよね。俺の知り合いがコーンズっていう高級車を販売する会社で整備士をやっているんだ。彼の両親とも話すんだけど、やっぱちっちゃい頃からドライバーで車のネジを外しちゃっていたらしいんだ。それが今はコーンズってデカいところで整備をやっているんだから、子どもの頃の経験って大きいんだよね。
土佐 ただYouTubeで機械をバラして組み立てる動画もあって、詳しい子は、めちゃめちゃ詳しいので、両極端になっちゃっているんですよね。ただ、またそういう解体する時代がくると思うんですけどね。
役に立つものは作りたくない
玉袋 スーツケースを使った「スーツケース型音源」も面白いですね。
土佐 スーツケースって叩くと良い音がするんですよね。そのままライブに持って行って、組み立てて演奏して、それを解体して持って帰る。海外に行くときもコンパクトなので一番いいんですよ。
玉袋 発想がいいよね。子どももさ、最先端のおもちゃに触れるよりも、オタマトーンとかに触れていたほうが絶対いいと思うね。孫へのプレゼントでおもちゃ売り場に行くとさ、スマホ型のおもちゃがあるんだよ。親がずっといじっているんだから、そりゃ子どももやりたいよね。でも俺は、よちよち歩きしたら音が鳴るみたいなさ、昔ながらのおもちゃに惹かれるんだ。明和電機さんの製品は、それに近いよね。
土佐 やっていることは19世紀だと思います。僕は役に立つものは作りたくないんですよ。
玉袋 最高だよ! でもパッと思い浮かぶものって便利なものばかりだよね。
土佐 でも自動車にしても、時計にしても、出始めの頃って「何これ?」って反応だったと思うんです。「一日を24時間で区切るって何言ってるの?」みたいな。僕はナンセンスって言っているんですけど、ウォシュレットだって最初はナンセンスだったと思うんですが、それが徐々にコモンセンスになっていく。だから明和電機も100年ぐらい経つとスタンダードになる可能性があります。
玉袋 いいですね!
土佐 可能性はなくはない(笑)。
玉袋 確かにウォシュレットが出始めたときは、「何だこれ?」って思ったけど、今はないと物足りないもんな。今、頭の中で考えて形になってないものはあるんですか。
土佐 たくさんあります。イメージはあるけど素材が見つかってないとか、なかなか実現が難しいものもあります。でも待っているうちに、使えるようになったとか出て来るものなんですよ。
玉袋 言える範囲で、まだ実現化してないのってどんなものですか。
土佐 水の中に花を描く機械みたいなのを作りたくて、いろんな材料を使って試しましたけど、まだ見つかってないですね。ただ、今は何でも明和電機の工房で作れるようになって、この「SUSHI BEAT」なんかも3Dプリンターとレーザーカッターで作っているんです。昔だったら、金型を工場に出すしかなかったですからね。
玉袋 ピストルとかも作れちゃうよね。
土佐 まあ作れないこともないでしょうけど……。
玉袋 ダメだよ(笑)。冗談だよ。
土佐 大体自分で作れるようになったので、物欲もなくなりました。
──新しい製品に取り組むときに締め切りは設定しているんですか。
土佐 新しいイベントがあるとか、そこに向けての締め切りはあります。まあ人生が締め切りみたいな感じで、ずっとやっています。
玉袋 やっぱ人生は締め切りだよ、締め切りのない奴は駄目だ。常に締め切り。いつ終わるんだろう、この戦争は? みたいなさ。でも締め切りがあるからこそ考える力も出てくるしね。
土佐 締め切りに終わらせるイメージがないとダメですね、そこで終わらせるぞっていうイメージがあると勢いで行けるんです。あと僕は諦めが早いんです。どうでもいいから、やろうっていうか。社訓が「やったもんがち、とったもんがち」ですから。「やりましょう」「やっとけ」みたいなことを全部自分の中でやっているんですよね。
──外注に出すことはあるんですか。
土佐 大量に同じものが欲しいときなどは出します。そういうときは中国のアリババと直接交渉するんですけど、すごく便利になりました。物を作るのも便利になってますし、売るのも簡単になりました。
玉袋 大きさでいうとどこら辺までの大きさが得意なんですか。
土佐 僕が得意中の得意な大きさはおもちゃだと思います。おもちゃサイズを超えると、もう手に負えないですね。車なんて絶対に無理です。
玉袋 車で言うとさ、中央道で山梨方面に行くとき、「メロディーポイント」ってあるじゃない。あれは発明だよね。
土佐 いいですよね。あれはわりと悔しかったです。
玉袋 悔しいよね(笑)。アイデアとして「やりやがったな」みたいな。
土佐 ヒット曲ですよ。車であそこを通る人は、みんな聴いているわけですから。
玉袋 レゴなんかはどうですか?
土佐 正直、今のレゴは僕に合わないですね。ちっちゃい頃のレゴは本当にブロックしかなかったから、動かそうとしても動かない。それを何とか動かすように工夫して、いろいろ考えるわけですけど、今は最初から動くようにセットされていますからね。
玉袋 個人的には神輿を明和電機さんに作ってほしいな。
土佐 盆踊りのやぐらも惹かれるものがありますね。神輿をやるなら、まずは神様から作りたいですね。神社があって、神輿があって、露店があってという3部作をやりたいです。
玉袋 明和神社だ。
土佐 ディズニーランドっぽさもありますしね。昨年、ラフォーレ原宿で、エレクトリカルパレードみたいな感じで、明和電機で「メカちんどん屋」をやって店内を練り歩いたんです。百鬼夜行みたいになってしまいましたけどね(笑)。
シャッター街になっていた秋葉原のラジオデパートに出店した理由
──2019年、秋葉原のラジオデパートに初の公式ショップ「明和電機 秋葉原店」を出店したのは、どういう経緯があったんですか。
土佐 ラジオデパートは学生のときから通っていて、部品とかを買っていたんですけど、今はシャッターが降りたお店が増えて、シャッター街になっているんですよね。それを見たときに悲しいなと思って、家賃を聞いたら意外と安くて借りました。
玉袋 今は、あの頃の秋葉原じゃないからね。俺も「マルチバンドレシーバー」とか無線を買いに行ってた口だからさ。大手よりも個人店で買うほうが面白いんだよね。一見すると吊るしで売ってるもんと一緒なんだけど中身は改造してあってさ。普通ならスクランブルがかかるのに、最初からダイヤルを回すとスクランブルがかからないようになってるとかさ。それを親父も言わないんだ。暗黙の了解というかさ。そんな関係が良かったよね。
土佐 お店を出すときは怖かったんですよ。老舗のラジオデパートに忽然と出店するわけですし、昔から営業している方々とどう関係性を作ろうかと。実際、開店祝いの花を置きっぱなしにしていたら、怒られたこともありました。話してみると良い人たちばかりで、今は楽しいですけどね。最近は三代目の方々が中心で、四代目も現れています。
玉袋 最初にそういう流儀を教わるんだね。ちょっと話は変わるけどさ、荻窪に「カッパ」っていう行きつけのモツ焼き屋があるの。そこでベトナム人がバイトしていたんだけど、故郷に帰ることになって。カッパの味が大好きだから、ベトナムで同じスタイルのもつ焼き屋をオープンしたんだ。いつか行こうと思っているんだけど、そういうのを聞くといいなって感じるよね。一号店を秋葉原の老舗デパートに出店して、いずれは海外にもどんどん支店を出してほしいね。シンガポールとかにあったら行きたくなるよ。夢が広がるね。日本の大手家電メーカーが右肩下がりの中、明和電機さんには頑張ってほしいよ。
土佐 明和電機という名前をつけたとき、日本の大手家電メーカーはイケイケだったので、仮想敵というか。そこに対する反骨精神もあったんです。だけど、どんどん元気がなくなって寂しさもあります。
玉袋 こうなっちゃったのが悔しいよね。自動車もそうだけど、日本の家電は心の誇りだったからさ。でも明和電機は世界のトップに立つ可能性もありますよ。
土佐 500年ぐらい経ったら、上にいるかもしれないですね(笑)。
玉袋 東芝だって以前は「サザエさん」の一社提供だったけど、何年か前にやめちゃったじゃない。「水戸黄門」の枠だって、かつては“ナショナル劇場”って名称だったんだから。いずれは「明和電機がお送りする○○アワー」みたいな番組もできるかもしれないですよ。
土佐 三代目ぐらいになったときにあるかもしれません(笑)。
玉袋 今はCMにも出ていますよね。
土佐 三協アルミさんのCMに起用していただきました。オファーをいただいたとき、「楽器から作ります」と伝えて、三協アルミさんの工場に行って廃材で楽器を作ったんですが、夢のような場所でした。
玉袋 宝の山だ。
土佐 曲も踊りも自分で作って、楽しかったですね。
玉袋 着実に活動の幅を広げていますね。益々のご活躍をお祈り申し上げます!
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)
<出演・連載>
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」