昭和歌謡とともに、あらためてその音楽性が見直されている“グループサウンズ”(通称GS)。今回は、昭和の隠れた名曲を発掘するCD「昭和ダイナグルーヴ」(ブリッジ)で選曲を担当し、ご自身でもバンド「ザ・トランプ」のドラマーとして活躍されている鈴木やすしさんに、入門に最適なGSの名曲5曲をチョイスして頂きました。
60年代後半に一世を風靡したGS
60年代後半に日本のポップスシーンを席巻したグループサウンズブームでは、わずか3年ものあいだに数多くのバンドがデビューした。全国各地で行われるコンサートで少年少女が熱狂し、眉をしかめた教育関係者らがコンサートに行った生徒を処分をするほどの社会問題となった。1969年にはブームは終息するが、GSとしてデビューしたメンバーは、その後俳優やタレントとして芸能界で活躍したほか、新たなグループとして、また歌手やコンポーザーとして日本のロック・ポップスシーンに携わっていく。
一時代のブームであったGSだが、90年代入り各レコード会社別のコンピレーションCDやアナログ・レコードなどが相次いで再発売され、リアルタイムのファンや新たな世代の再評価によって根強い人気となっている。近年では、レコードブームの再燃とともに、当時のオリジナル盤がネット・オークションや専門店などで高額で売り買いされるなど、新たな展開を見せている。今回は、静かなブームとなっているGSの入門編として、GSを代表する4組をヒット・ナンバーとともに紹介しよう。
ザ・スパイダース
1961年結成。「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」とともにGSの礎を築き、人気・実力を兼ね備えたグループ。グループ解散後、メンバーの堺 正章や井上 順はタレントとして、また井上尭之、大野克夫、かまやつひろしはソロ活動やテレビ・映画の音楽を手がけるなど、全員がいまなお一線で活躍中である。
「ノー・ノー・ボーイ」
66年発表。スチールギターのアンニュイなフレーズが印象的なGS史に残る名曲。大人びた雰囲気で国産の“ポップス”と呼ぶに相応しい。作詞はドラムでリーダーの田辺昭知、作曲はかまやつひろし。
ザ・タイガース
1967年に「僕のマリー」でデビュー。大阪で人気を誇っていた前身のファニーズが、内田裕也の誘いで上京。「モナリザの微笑」や「君だけに愛を」など、その後のヒット曲を手がける当時フジテレビのプロデューサーであった作曲家のすぎやまこういちにより改名。甘いルックスと躍動感溢れるステージで、主に中高生からの人気が高かった。沢田研二や加橋かつみ、森本太郎、瞳みのるは現在も音楽活動を続けており、岸部修三(現・岸部一徳)は俳優として活躍。
「シーサイド・バウンド」
67年発表。2枚目のシングル曲で40万枚と彼等にとって初の大ヒットとなった。「バウンド」とは、当時海外から輸入された曲に合わせてステップを踏む「ニュー・リズム」の一環としてレコード会社が仕掛けた和製版。
ザ・テンプターズ
1966年に結成された埼玉県大宮市(現・さいたま市)出身のアマチュア・バンドが前身。もともとは女性ボーカルが在籍していたが、出演するパーティー当日に体調を崩したため、急きょ飛び入りで歌ったのが当時中学生の萩原健一。その後そのままボーカルとして参加。67年にザ・スパイダースの弟分として「忘れ得ぬ君」でデビュー。ザ・タイガースと共にグループサウンズの最盛期を支える。1970年解散。
「神様お願い」
68年発表の2枚目のシングル曲。次作「エメラルドの伝説」と並ぶテンプターズの代表曲で、デビュー曲「忘れ得ぬ君」同様リーダーの松崎由治の手によるオリジナル曲。オリコンチャートのトップ10に登場するヒットとなる。当時はメンバーによる作詞・作曲は数少なかった。
ザ・ゴールデン・カップス
1966年、横浜本牧にあるバー「ゴールデン・カップ」の専属バンドとして、ボーカルでリーダーのデイヴ平尾が、横浜で腕利きのメンバーを集め結成。その演奏が評判となり、妹から話を聞いていた歌手の黛ジュンが音楽関係者をゴールデン・カップに連れてきた事が足がかりとなり翌67年に「いとしのジザベル」でレコード・デビューとなる。68年のシングル「長い髪の少女」は35万枚を記録するヒット曲はあったものの、当時のライヴでは英・米のロックやR&Bを主なレパートリーとしていた。
「愛する君に」
1968年、4枚目のシングル曲として発表。チャート最高順位は13位。ブラス・セクションやストリングスを導入、また同年加入したミッキー吉野がキーボードとして参加。和製R&Bの傑作との評価が高い。またB面の「クールな恋」はアニメ「巨人の星」の劇中、主人公・星飛遊馬の恋人が所属するアイドル・グループ「オーロラ三人娘」のヒット曲という設定で取り上げられている。
【マニアックな一枚】
「君も僕も友達になろう」アウト・キャスト
67年に唯一発表されたアルバムが本作。オリジナル曲のほか、洋楽曲のカヴァーなどで構成されている。特にリトル・リチャードの「のっぽのサリー」やザ・モジョズの「エブリシングス・オールライト」などファズ・ギターやオルガンが利いた荒々しいカヴァー曲は、後年海外のマニアによって製作されたGSのコンピレーション・アルバムに収められたほどの高い人気とされている。
アウト・キャスト……
インストゥルメンタル・エレキバンド「“津田竜一とブルーエース」に在籍していた水谷 淳と大野良二を中心に結成。渡辺プロダクション初のGSとして1967年にデビューするが、人気の面では後輩のザ・タイガースに大きく水を開けられてしまう。69年に解散となるが、メンバーの轟 健二はアダムスというグループに参加。後に松崎澄夫という名で音楽プロデューサーとなる。水谷 淳は水谷公生と名を改めてスタジオ・ミュージシャンとして、オルガンの穂口雄右はキーボード・プレイヤーや作・編曲家として活動。かつてのメンバーであった松崎澄夫と共にキャンディーズのヒット曲などを手がける。
最近ではCDでの再発売も行われているので、ぜひ一度、懐かしくて新しいGSを聴いてみて下さい!