2016年12月16日、JR北海道から2017年3月4日に行われるダイヤ改正の要旨が発表された。主な変更点として、元「スーパー白鳥」789系0番代が札幌〜旭川間を走る特急「ライラック」として復活。また、特急「スーパー宗谷」「サロベツ」は名称が「宗谷」と「サロベツ」に変更され、そのうち「サロベツ」は旭川〜稚内間を走る特急となり、「宗谷」「サロベツ」ともにキハ261系で運転されることになった。
だが、今回のダイヤ改正は、決してこのような朗報ばかりではない。ほとんど利用者がいないとされる道内10の駅の廃止も決定した。なお、廃駅となるのは以下の10駅だ。
●千歳線 美々駅(びびえき)
●根室線 島ノ下駅、稲士別駅(いなしべつえき)、上厚内駅(かみあつないえき)
●釧網線 五十石駅(ごじっこくえき)
●函館線 東山駅、姫川駅、桂川駅、北豊津駅、蕨岱駅(わらびたいえき)
この中で、鉄道ファンに人気があり、訪れる人も少なからずいたのが「姫川駅」と「美々駅」の2駅。筆者としても、ひときわ愛着が深かった2駅ということもあり、ここでは探訪した時の模様を振り返ってみたい。
【姫川駅】国道5号のすぐ横の不思議だった“秘境駅”
函館駅から函館本線を北上すると大沼駅から、路線が二手に分かれる。駒ヶ岳の東西に別れて走る函館本線は、内浦湾に面した森駅で再び合流する。姫川駅があるのは、駒ヶ岳の西側を走る「本線」とされる路線上だ。地図を見ると、国道5号に沿うように線路が敷かれ、駅もこの国道のすぐ横に立地している。ところが……。
筆者は学研プラスから発刊されたMOOK誌「トワイライトエクスプレスfan」の制作に関わっていたことから、2009年から頻繁に北海道を訪れた。クルマで函館市から北上、国道5号を走るたびに、姫川駅という美しい名前の駅が気になって仕方がなかった。駅へ立ち寄ろうと国道を行ったり来たりするのだが、樹林と雑草が生い茂り入口が見つからない。1〜2年目は立ち寄るのをあきらめ、ようやく駅へ到達できたのは3年目のことだった。
駅へは、裏手を通る道道から入ることが必要で(アクセス路の記載がない地図が多い)、民家のすぐ裏手の細い未舗装路を抜けつつ400メートルほど走り、姫川駅に着いた。2面2線の姫川駅は、鉄道模型のジオラマにでもしたくなるような緑に包まれコンパクトな造りだった。大沼駅〜森駅間の路線が主に単線で、姫川駅の構内が列車のすれ違いに使われることも多かった。
2回ほど訪れたが、いずれも先客はおらず(駅は無人駅)。2回目はSL函館大沼号の運転日ということもあり、ガードマンが鉄道ファンの“整理”にやってきていたが、駅への来客は自分も含め3名のみ。時間を持て余すガードマンのAさんとのおしゃべりに興じた。列車を待っている間、ホーム上を蛇が横切る。「この蛇は姫川駅の住人かな」などと、たわいのない会話を交わしたことを思い出す。
姫川駅は1951(昭和26)年に旅客扱いを始めた。そして、2017年春に消える運命となった。長年、営業を続けてきたのに、なぜ国道5号からの連絡道を設けなかったのだろう。国道沿いには民家もあり、それなりの利用があったと思うのだが。残念だと思うと共に、その疑問が付きまとう、不思議な造りの駅だった。
【美々駅】鉄道ファンに人気の“撮り鉄の聖地”が消えていく
今回の駅の廃止で、非常に残念に思う鉄道ファンが多いのが千歳線の美々駅(びびえき)でないだろうか。
美々駅は千歳線の無人駅。JR北海道の路線の中では、列車の本数が多い幹線ルート上にある。北隣の駅は、石勝線(せきしょうせん)や新千歳空港へのアクセス線が分岐する、いわばターミナル駅の南千歳駅。この南千歳駅へは3分ほど、札幌駅までは各駅停車で約1時間。苫小牧駅へも10分少々という距離にある。
首都圏ならば、住宅地も建とうかという立地だが、駅の周囲に民家が1軒のみ、ほかに事務所や工場もほとんどない。新千歳空港から、車ならば約10分という場所にも関わらず、原野が広がる。実に北海道らしい自然に包まれた駅だ。それこそ自然や緑が“美しい・美しい駅”だった。
美々駅は、1926(大正15)年に千歳線の前身である札幌線の開通時に開業した。当時、牧場を所有していた資産家が自身の所有地近くに駅を造ったのが始まりとされる。
駅ができたのにも関わらず90年以上、手付かずの状態。そんな“何もない”という環境もあり、美々駅を利用する乗降客は1日にほぼ1人以下。駅の西側、徒歩20分ほどの場所にレーシングカートのコースがあり、レースなどが開かれる休日には、数人の利用客が見受けられる。こうした利用客の姿自体が珍しいぐらいだから、乗降客の少なさも推測がつこう。
そんな人気(ひとけ)のない駅だが、この駅を愛好する人たちが少なからずいた。それは鉄道ファン。なかでも、“撮り鉄”と呼ばれる鉄道ファンたちだ。駅前後の線路が直線的で、視線をさえぎる障害物がない。しかも背景は原生林が写り込むとあって、絶好の撮影ポイントだった。一般の利用客がいないため、気兼ねなく写真撮影が楽しめるのだ。
北海道では、下手な場所に入り込んで撮影しようとすると、危険なクマにも出会い兼ねない。実際に、美々駅の南隣の植苗駅の近くのポイントには「○月○日にクマ出没」という物騒な看板が常に立てられている。線路を目指して茂みを分け入ると、ハチや、害虫、危険なダニの餌食になることも北海道では珍しくない。
そういった環境の中で、美々駅は楽に安全に撮れる、いわば“撮り鉄の聖地”でもあった。新千歳空港にも近く、利用する飛行機が飛び立つまでの合間に、ちらっと訪れて撮影する芸当もできた。こうした美々駅が消えてしまうということは、何とも悲しく寂しさが募る。
【今後の展望】北海道の鉄道を取り巻く環境がさらに厳しく
留萌本線の留萌〜増毛間が12月4日に廃止され話題となった。そのほか、日高本線が2015年1月に起きた高波災害のために鵡川(むかわ)〜様似(さまに)間が運休している。経営環境の悪化に苦しむJR北海道では、復旧費用および、復活させた後の運転にかかる経費の捻出は不可能とし、そのまま路線を廃止することを正式に地元自治体に提案した。
北海道は札幌市などの中核都市を除き、人口減および高齢化、地方経済の鈍化などのマイナス要素が重なる。さらに高速道路網も年々充実、道内のJR路線は利用者の減少に喘いできた。今後、さらなる廃線および廃駅の動きは止めることができないのだろうか。
そんな中、ひとつの解決策がある駅で試みられていた。それは室蘭本線の小幌駅(こぼろえき)。“日本一の秘境駅”と呼ばれる駅だ。筆者も一度訪れたことがあるが、列車でしか行くことができない。トンネルとトンネルの間にある、とんでもない秘境感たっぷりの駅だった。利用者はそれこそ鉄道ファンと保線のスタッフだけ。実際に2016年10月に廃止が予定されていたほどだった。
そうした秘境駅ぶりを逆手にとったのが地元の豊浦町。駅業務に関する協定書が豊浦町とJR北海道との間に交わされ、駅の1年間の存続が決まった。
地元のボランティアの人たちが、駅の施設を清掃。実際に手すりなどもきれいに塗装され、快適な印象に模様替えされた。廃止が予定されて以降、大きな話題となり、わざわざ駅へ訪れる人も増えた。さらに町からは小幌駅グッズの限定販売も行っている。
小幌駅の場合、地元自治体が主導、さらに地元の人たちの支援が実った形だ。こうした話題性を造り出すことも、駅を廃止に追い込まないためのひとつの方法だろう。
【観光列車の効用】道庁がリードをとって新観光列車を走らせる?
北海道は本州以南にはない大自然という素晴らしい“財産”がふんだんに眠っている。海外から北海道を目指して訪れる人も多い。そうした人たちがわざわざ乗りに来る列車がある。
初夏の富良野線を走る観光列車「富良野・美瑛ノロッコ号」である。初夏に咲くラベンダーは大人気で、どの列車も海外から訪れた人たちで、乗り切れないぐらいの人気となっている。こうした人気の観光列車も、JR北海道では維持し切れず、また車両の老朽化という問題が重なり、一部の廃止や減便をせざるをえない状況になっている。
そんな状況を見かねた北海道道庁では、「観光列車運行可能性検討会議」を立ち上げた。2017年2月には新しい観光列車の提言と報告書を取りまとめる予定だ。
海外の鉄道では上下分離方式で運営する鉄道が多い。上下分離方式とは、例えば、線路などの鉄道資産は自治体などが共同で出資する会社が所有し、列車は別の経営組織の会社が走らせる方式のこと。
国内でも、すでに青い森鉄道や上信電鉄などいくつかの鉄道会社の運営で採用されている方式だ。JR只見線もこの上下分離方式での復活を目指している。この方式を採用すると、固定資産税の減免措置などを受けられる利点もあり、その効果は大きい。
将来に向け、北海道の鉄道を活性化させるためにも、道庁、地元自治体、北海道との関わりの深い民間企業が協力して鉄道運行に参画し、活性化を図る動きがいま必要なのかも知れない。また鉄道ファンの一人として、なるべく北海道では鉄道を利用しての移動を心がけたいと、強く思った。