〜玉袋筋太郎の万事往来
第32回 高橋総本店グループ「TAKASO」代表取締役社長・髙橋 亮
全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第32回目のゲストは、様々なお店が所狭しと軒を連ねる合羽橋道具街で、飲食店で使う業務用商品を扱う4つの専門店を展開する高橋総本店グループ「TAKASO」の代表取締役社長・髙橋亮さん。合羽橋道具街に脈々と受け継がれるDNAや職人に対するリスペクトが炸裂する!
戦後の焼け野原で祖父が開業した調理道具屋がルーツ
玉袋 高橋総本店さんは創業が昭和21年ということですが、どのように始まったんですか?
髙橋 私の祖父が創業したんですが、当時の合羽橋は戦争で焼け野原の状態。東本願寺という大きいお寺があるんですが、その本堂以外は何も残っていなかったそうです。詳しい経緯までは分からないんですが、祖父は戦争から帰ってきて、2つの選択肢があったと。1つは神田で荒物屋さん、もう1つは浅草で調理道具屋さん。それで浅草を選んだらしいんですが、本日お越しいただいた本社の隣の建物が創業の地で、バラックみたいなお店からスタートしました。
玉袋 合羽橋の周辺全体が戦後の始まりだったんですか?
髙橋 現在、合羽橋には120店以上あるんですが、戦前からやっている会社さんと、戦後から始まった会社さん、それぞれあります。
玉袋 どうして合羽橋という名前がついているんでしょう?
髙橋 この通りの下には細い川が流れているんですよ。
玉袋 いわゆる暗渠ですね。
髙橋 江戸時代中期~末期の話ですが、その川のほとりに下級武士の皆さんが住まれていて、奥様方が内職として雨合羽を作っていたんです。それで雨合羽を干していたので合羽橋という名前がついたという説があります。
玉袋 面白い説だね。
髙橋 もう一つファンタジーな説があって、この辺は水はけが悪くて、雨が降るたびに川が氾濫していたんです。そのときに合羽屋喜八さんという方が私財を投げうって川の氾濫を止めるべく治水工事をしたらしいんですが、なかなか大変だったと。そしたら夜な夜な、河童が手伝いに来たと。そのおかげで治水工事が無事に完了して、みんなが平和で暮らせるようになったそうなんです。
玉袋 なるほどー。どっちの説を取ろう……どっちでもいいか(笑)。結果的におじい様が調理道具屋さんを選んで今日の高橋総本店さんがある訳ですが、最初は何を売っていたんですか?
髙橋 鍋、釜、ざるなどですね。昔は今みたいに物流がないので、大八車(だいはちぐるま)を引いて、横浜のほうから仕入れていたそうです。
玉袋 どうして横浜だったんですか。
髙橋 闇市に出る米軍から流れてきた商品を主に仕入れていたんだと思います。
玉袋 ここから横浜なんて大変な距離だよ。当時扱っていた商品は、アメリカ製が多かったんですか?
髙橋 それもあるでしょうし、食器だったら有田焼、ステンレスだったら新潟の燕三条というのが当時から海外でも有名で。そういう商品を戦前から輸出していたんですよね。ひょっとすると、そういうものも闇市に紛れていたのかもしれません。日本が作っていた調理道具は、戦前から一定の水準を超える商品でしたからね。
玉袋 勝手なイメージで、闇市って穴が開いた鍋にリベットを打ったような粗悪なものばかり扱っていたのかと思っていたけど、かなりレベルが高かった可能性もありますね。
髙橋 今となっては当時どういうものを販売していたのか分からないんですが、昔は職人さんがたくさんいらしたので、穴が開いた鍋もきれいに直せたと思います。今も、合羽橋に穴の開いた鍋を持って行けば、直してくれると思っている方もいらっしゃいますしね。
玉袋 合羽橋といえば、包丁研ぎが流しでやっているイメージがありますけどね。
髙橋 今も時々いらっしゃるんですよ。
玉袋 やっぱり!
髙橋 おそらく週末だけですが、包丁屋さんが合羽橋の店頭で見かけることもあります。
玉袋 そういう文化を知っているのは、かろうじて俺らの世代までだろうね。俺は合羽橋周辺が大好きで、この辺に来るだけでワクワクするんですよ。ハイエースを乗り付けて、買い付けしちゃいたいぐらいの勢いだから(笑)。もちろんデパートの調理器具売り場もワクワクするけど、もっと深く入っていくと合羽橋に繋がるイメージだね。
髙橋 そう感じていただけるのはありがたいですし、まさに合羽橋のDNAは、そういうところにあると思います。ただ今は時代の変化で、インバウンドの方がたくさんいらっしゃっています。それから若い方たちも、メディアなどで知って合羽橋にいらっしゃいます。
玉袋 俺が小さい頃の合羽橋の記憶だと、取っ手がチューブになった竹でできた籠を持った職人さんが買い付けに来ているイメージだけど、今は外国人と若い世代が多いんだね。
あらゆるニーズに対応できる間口の広さが合羽橋の強み
玉袋 店頭も見させていただきましたが、高橋総本店さんに来たら、飲食店に関わるものが何でも揃いますね。
髙橋 和食器、洋食器、グラス、ナイフ、フォークもそうですし、鍋、ざる、冷蔵庫、冷凍庫など何でも承っていますので一式揃えることはできます。昔は営業用の家具もあったんですよ。
玉袋 営業用の家具というと?
髙橋 例えばスナックだったら、スツールやレザーを張ったソファ。昔のお蕎麦屋さんだったら、縄で作った背もたれのない椅子や縄のれんなどです。
玉袋 縄の椅子はいいよね。
髙橋 昔はメーカーさんに発注していたんですが、今は縄の椅子を作っているところがほとんどないんですよ。
玉袋 それはショック!
髙橋 かつてはラーメン屋台も扱っていました。
玉袋 すげー!
髙橋 ラーメン屋台を作る職人さんがいらっしゃったんです。僕が入社した当時は、まだ店頭に展示もしていたんです。売り物というよりは、昔ながらのものを象徴するものとして展示していたんですが、けっこう問い合わせもありました。
玉袋 ラーメン屋台はドラマやコントにも欠かせないものだったからね。
髙橋 ラーメン屋台を販売していた頃は、100万円ぐらいで売っていたと思います。
玉袋 100万円か。それに具材の仕入れ、ヤクザに払うショバ代なんかが加算されるんだよな(笑)。屋台から始めて、大きいラーメン屋になったところもあるし、そういうストーリーは全部繋がっているんですよね。俺も会社を独立したときに、これからも芸人を続けるんだけど、屋台を引いて生きていくって気持ちだったんですよ。それで自分の味で行列を作って、そのうち店舗を持つみたいな。そうやって生きているんですよね。
髙橋 チャレンジャーというかパイオニアですよね。
玉袋 いやいやいや。独立する前の年から「町中華で飲ろうぜ」に出ているから、仕事で町中華のお店にガンガン行ってるけど、自然と厨房を見る癖がついているんだよね。そうすると、おじいちゃんおばあちゃんだけでやっている町中華でもピカピカにしているお店があるんです。「客が来ないから掃除が趣味なんです」なんて言うんだけど、そういったところは信用できるよね。そういえば俺の誕生日プレゼントに、スタッフが岡持ちを買ってきてくれたんだ。ここでは岡持ちも扱っているんですか?
髙橋 扱っています。今も岡持ちを作っている職人さんがいらっしゃいますからね。
玉袋 今年4月から「町中華で飲ろうぜ」に若いスタッフが新しく入ったんですけど、ロケに行ったとき、初めて岡持ちで出前しているところを見て驚いていたんだよね。出前と言えば、ウーバーしか知らないんだ。それを見て、俺のほうが衝撃を受けましたよ。
髙橋 うちとお付き合いのある麻布の高級中華料理屋さんは、今も配達をやっているんですが、岡持ちを使っています。あと先ほどお話しに出た竹の籠、あれは「市場かご」と言って、その高級中華料理屋さんからもご注文をいただくんですが、それも今や貴重品なんです。
玉袋 市場かごも貴重品なんですか!?
髙橋 作っている職人さんが少ないんですよ。
玉袋 俺は高校時代、歌舞伎町でラーメン屋のバイトをやっていたんですよ。もちろん岡持ちを持って出前もしていましたし、丼を下げるときは、市場かごを使っていました。
髙橋 この辺で言うと、市場かごは築地に買い物に行くときに使う飲食店さんが多かったんですよ。
玉袋 そうそうそう。「新日本紀行ふたたび」で昔の築地が取り上げられていて、みんな朝から市場かごを持っていましたよ。
髙橋 プラスチックや樹脂のかごもあるけど、やっぱり市場かごじゃなきゃダメらしいんです(笑)。
玉袋 分かるわー。それが貴重品になっているんだ。今のうちに抑えておこうかな(笑)。市場かごを持ってスーパーに行ったら、見る人が見たら「通だね」って思うよ。
髙橋 「あの人はガチだ」って思いますね(笑)。
玉袋 あと合羽橋に来るとさ、意味もなく寸胴が欲しくなるんだ。カミサンと一緒に行ったときに、それを言ったら、「うちに置ける訳ないでしょう」って怒られてね。
髙橋 先ほど「自然と厨房を見る」というお話がありましたが、僕らもスナックや飲食店さんに行くと、職業柄、食器やグラスに目が行くんですよ。「このワインに、このグラスはどうなの?」とか、氷を入れるアイスバケットにしても、「ここは二重構造の高いアイスバケットを使っているな」とか。普通は酔っぱらっていると、そこまで気にしないじゃないですか。でも、良いものを使っていると、「こういうところにお金を使っているお店は素晴らしい」と思うんですよね。
玉袋 分かるなー。俺の店のおしぼりがそうだよ。一番安いおしぼりが6円ぐらいなんだけど、うちは銀座の高級クラブでも使っている13円する厚手のおしぼりだから。そこだけは譲れないね(笑)。
髙橋 おしぼりは大事ですよね。
玉袋 でしょう? 日本のスナック文化はおしぼりに代表されるからね。うちはおしぼり屋さんと氷屋さんが同じところなんだけど、お店をやり出すと、そういう繋がりも見えてくるんだ。
髙橋 昔から商売されている方で、今も続いている方は本質を掴んでいるんですよね。おしぼりしかり、氷しかり、割り箸しかり。安いものだけを使っていたら商売は続かないんです。
玉袋 さすが。ずっと社長は飲食店を見続けてきたから説得力が違うね。
髙橋 価値があるものを、ちゃんと価値がある値段で売られている方のご商売は、今のご時世でも続くんです。ただ安いだけでいくと、当然大手には敵わないんですよね。1個1個の価値を伝えてご商売をされている方は、ちゃんとファンがつくし、常に満席繁盛とはいかないまでも、ガラガラではないんですよね。
玉袋 ちょうどいい感じですよね。
髙橋 おそらくスナックもそうだと思うんですけど、そういう本質を分かっている方が合羽橋に来ると思うんです。
玉袋 もちろん大手で売っている大量販売の食器もいいと思うんだ。ちゃんと使えるからね。でも、うちのカミさんに言わせると、「そんな食器でご飯を食べたくない」と。
髙橋 必ずしも価値が分からなくてもいいんです。入り口として合羽橋を楽しむのもありがたいことですからね。一方で、価値が分かる方のニーズに応えられる商品が揃っているのも合羽橋なんですよね。
玉袋 間口が広いんだよね。入り口でもあるし、突き詰めれば突き詰めるほど、ちゃんとしたものがあるというのが合羽橋の強みですよ。
髙橋 そのどちらかががなくなってしまったら合羽橋じゃなくなるんですよね。幅広く扱っていて、誰でも楽しめる。個人でも買えるんだけど、こだわっている方がより良いものを探せる。お菓子のケーキ型一つ取っても、グラス一つ取っても、分からない人にとっては「どうしてこんなに高いんだろう」と不思議に思うだろうけど、分かる人には分かるんです。
玉袋 外国人も広い間口で入ってくる人たちが大半だろうけど、ちゃんと良いものを買っていく人もいる訳だしね。
展示会などの現場に行くと、作り手さんがいろんな思いを教えてくれる
──商品にもよると思いますが、職人さんは全国各地にいらっしゃるんですか。
髙橋 ある程度は固まってきますね。先ほどお話に出たステンレスを例に出すと、今も燕三条が有名ですが、それ以外の産地もあるんです。でも燕三条に商品と情報と注文が集まっているので、周辺のメーカーさんや職人さんは今も多いですが、それ以外の地域に住んでいる方が独自で発信できるかというとそうではないので、なかなか商売として続けるのはハードルが高いかもしれません。
──どういうふうにメーカーさんや職人さんとの付き合いが始まっていくんですか。
髙橋 昔は量販もなかったですし、ネットもなかったので、調理道具を作っている人たちからすると、「合羽橋に置いてもらいたい」という町だったんです。業務用の備品を作っているんだったら、まずは合羽橋に営業しようみたいな。それもありましたし、職人さんは横の繋がりも多いので、そういうのでどんどんお付き合いが増えていきました。ただ今は、いろんな形で商品が流通しているので、そこまで単純ではありません。展示会に行くなど、こちらから情報を集めに行くこともあります。現場に行くと、作り手さんも喜ばれるので、いろんな思いを教えてくれるんですよね。
玉袋 いいですね。
髙橋 ネットだけのやりとりだと、そういう思いは見えてこないんです。我々としても売るにあたって、ネット上の情報だけだったら、「ネット通販で買ったほうが安いし」という話になっちゃいますからね。
玉袋 産地で言うと、刃物はどうなんですか? 大阪の堺なんて有名ですが。
髙橋 刃物の産地はいくつかありますが、例えば岐阜の関は、どちらかというと大量生産が得意な産地なんです。だから質が悪いという意味ではなくて、オートメーション化も早かったので、大量生産ができるメーカーさんがあるんですよね。堺で言うと、刀鍛冶からの流れから来ているので、今もトンテンカンで作っているところもあります。ただ、それだけだと今はビジネスとして難しいでしょうね。福井の越前や高知の香美なども有名ですし、それこそ燕三条も産地ですよね。高知は農作業系の刃物から発展しているとか、ちゃんと地場のルーツがあって、それが何となく刃物の特徴に出るんです。
玉袋 確かにそうだ。それぞれの土地で進化していくんだね。どうしても俺は刀鍛冶の流れが欲しくなっちゃうね。強そうだし、切れ味も良さそうだし。
髙橋 それぞれ包丁の用途もありますしね。和包丁、洋包丁でも違いますし。海外との比較というのもありますし。
玉袋 ドイツのゾーリンゲンなんて有名ですよね。
髙橋 そうですね。ただ世界的に見ると、日本の刃物のほうがブランドとしては上ですね。海外の方も日本には刀のイメージがありますし、日本の包丁はよく切れるというイメージがブランドとして定着しているんです。だから合羽橋の包丁屋さんは大人気で、お店も増え続けているんです。
玉袋 外国人の包丁屋さんもありますよね。
髙橋 ありますね。先日、シンガポールに行ったんですが、7、8店舗が集まる小規模の道具街があって。そのうちの1店舗が包丁屋さんだったので入ってみたら、合羽橋にある包丁屋さんの包丁を扱っていたんです。でも、その合羽橋の包丁屋さんは中国人の方がやっているんですよね。
玉袋 奥が深い話だな~。
どういうふうに売るかもデザインしないといけない
玉袋 これからの高橋総本店さんの展望はいかがですか。
髙橋 海外輸出に力を入れていきたいんですが、すでに取引は増えているんです。特に和食器の人気が高くて、海外の方たちが日本の食器に価値を感じてくださっているんですよね。基本的に「これだけ買うから、安くしてください」という交渉もそれほどなく取引してくださるんですが、海外の方にとっては他に多くの取引先がある訳ではないので、Win-Winの関係なんです。それは産地にとってもWin-Winなんですよ。
玉袋 どういうことですか?
髙橋 今は産地の皆さんの環境もかわってきていて以前より品薄状態なんです。それには、いろんな要因があるんですが、1つ大きい問題は、安定してまとまった量の注文がないことです。やっぱり飲食店は水物ですから、波があるんですよね。人を雇っても注文が来なかったらどうにもならないですし、材料を買い付けるにしても、まとめて買わないと割高になる。安定してたくさん注文があれば、窯も動かせるし、人も雇える。うちとしても、安定して大きな注文を出し続けたいんですが、国内だけでは限界があります。海外が大きなチャンスになるんですよね。
玉袋 特に注文の多い国はあるんですか。
髙橋 今は国を問わずですね。アジアもそうですし、アメリカもそうですし。うちはヨーロッパから、ちょくちょく大きい注文をいただくんですが、和食器の魅力や価値を感じてくださっているのが伝わってきます。
玉袋 それは自分の事のようにうれしいね。
髙橋 その価値を上手く伝えられるかどうかが重要ですし、それが我々の存在価値でもあります。
玉袋 俺たち買う側も、そこを見極めるのが大切だよね。安かろう悪かろうが当たり前に刷り込まれちゃっているじゃない。もう、そういう時代じゃないっていうかさ。日本の持っている技術や利便性などを全部ひっくるめて「どうですか!」ってことですよね。
髙橋 調理道具にしても、日本人らしい物作りの良さが出ているんですよね。例えばステンレスのバットですが、縁の部分を丸めているから、触れても痛くないですよね。それって日本では当たり前ですけど、アジア全体では当たり前じゃなくて、他の国では切りっぱなしなんですよ。
玉袋 確かにそうだ。
髙橋 海外の方からすると、「こんなところまで気を使うんだ。ワンダフル!」なんですよね。あと日本のバットは幾つ積み重ねても真っすぐを保ちますが、海外のバットだと当然のように傾きますからね。日本の当たり前が素晴らしいということを、なかなか僕らは意識できないじゃないですか。海外の視点で客観的に見ると、やっぱり日本のもの作りはすごいんです。それこそが価値なので、その価値を上手く伝えて、作り手にも還元できる利益を出さないといけないんですよね。良いものを安く売っても、作り手さんは潤わないし、後継者も生まれない。魅力あるものを売って、魅力ある利益を出して、魅力あるビジネスにして、魅力のある国にしていくのが理想ですね。
玉袋 後継者不足は深刻だし、昔のやり方を若い世代に押し付けることもできないけど、このままだと日本の価値も落ちてしまう危険性がありますよね。
髙橋 もちろん若い方に合わせることも必要ですし、やり方は変わってもいいと思うんですが、積み上げるべき伝統もあるし、コアの部分は絶対に変えちゃいけないんです。「バットの縁を丸くするなんて面倒くさいから、海外と同じく切りっぱなしでいいよ」は違うんですよね。大事なのは、技術、やり方、考え方を伝え続けることで、それが伝統に繋がっていくんです。
玉袋 売る側としての課題はありますか?
髙橋 そこも、ちゃんと商品の価値を伝えることに繋がるんですが、何でもかんでも商品を世に出してしまうと、値段も落ちるんですよ。最終的にネット通販に流れちゃうと、どんどん値段が下がって、我々からしてみると売る魅力のない商品になっちゃうんです。その商品には魅力も価値もあるのに、値段だけがネットなどの競争でどんどん落ちて、価値がなくなったように見える商品がたくさんあるんです。今の時代は、どういう風に売るかもデザインしないといけないんですよね。せっかく1万円の価値がある商品が、どんどん買い叩かれて5千円になって、誰も売りたくなくなって、アフターケアもしなくなる。結果、その商品が残念な形で終わってしまうケースも少なくないので、そうならないようにデザインすることが僕らの役割ですね。
高橋総本店グループ「TAKASO」公式サイト:https://www.takaso.jp/
玉袋筋太郎
生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中
<新刊情報>
「美しく枯れる。」著書:玉袋筋太郎
定価: 1,760円 KADOKAWA刊
仕事の人間関係、夫婦仲、家族構成にも変化が訪れた波乱万丈な50代。
「時代遅れ」な昭和の粋芸人が語り尽くした、
悩めるすべての大人たちに捧ぐ、人生後半戦の歩き方。
一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階)
<出演・連載>
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」
構成・撮影/丸山剛史 執筆/猪口貴裕