かつて、アメリカのカフェや娯楽場では必ずと言って良いほど存在したジュークボックス。コインを入れ、目当ての音楽を聴く機械ですが、1980年初頭までは日本でも喫茶店やスナックなどでよく置かれていました。まばゆい光で自由なデザインは、映画のワンシーンでも時代を表現する際のシンボリックなモノとして度々登場していますが、このジュークボックスを現代でも愛し続けコレクションをする人がいました。自宅で鳴らすジュークボックスの魅力と、コレクターたちの深い世界についてマニアの一戸英樹さんに話を聞きました。
音を鳴らすまで手間がかかるのもジュークボックスの魅力
――もともと一戸さんがジュークボックスにハマったきっかけは何だったのですか?
一戸英樹さん(以下:一戸) もともと富士重工が作っていた「ラビット」というスクーターが好きで集めていたのですが、集めているとバイク仲間ができて。バイクに乗りながら、ジュークボックスも愛するマニアの方が手持ち以外の機械をレストアするために、「いま持っているものを手放したい」という話を聞きました。その方が持っていたモデルは以前からカッコいいと思っていたので、すぐ購入することに。それがワーリッツァー社の2700というモデルでした。そこからどんどんハマっていったんです。
――でも、ジュークボックス自体、もともとが業務用だから家に置くのは大きいですね。
一戸 そう。でも、カタチとかデザインがカッコ良いことと、僕はなんでもそうなんですけど、便利なモノが嫌いで(笑)。
例えば、レコードを聴くにしても、古いメカ的なほうが好きで、色々と段取りをして、やっと音が出る……みたいなほうが楽しいんです(笑)。いま、スマホとかパソコンとかで簡単に音楽を聴ける時代になってるけど、僕はそれがあまり面白くない。むしろ面倒臭いほうが好きなんです。
ジュークボックスコレクターの情報網はネットより速い?
――ジュークボックスは基本業務用ですし、大きいし、現代に残っている個体自体もすごく少ないように思うのですが。
一戸 そうですね。ただ、最近は目黒にあるフォルクスワーゲン・ビートルの専門店「FLAT-4」とかでも売られるようになったし、昔に比べれば手に入れやすくなったんじゃないですかね。
――そのコレクターのお仲間はどうやって古いジュークボックスを見つけてきたのでしょうか?
一戸 どうなんでしょうね。インターネットではないことだけは確か(笑)。きっとマニア同士の繋がりで「◯◯県で◯◯製のジュークボックスがあった」「売り手を探しているらしい」という情報がすぐに入ってくるんだと思うけど、それだけ狭い世界だからかもしれません。
僕は2台のジュークボックスを持っていますが、1台はさっき言った最初に買ったワーリッツァー社製の2700というモデル。次に買ったのが同じワーリッツァー社製の「2500」というモデルなんですが、これは「どうも沖縄にあるらしい」という話をマニア同士の情報網を通じて聞いて、ボロボロだったものを譲り受けて、レストアして再生しました。
――レストアすると言っても、技術はもちろん、パーツの入手などはどうされるんですか?
一戸 仲間内で直せる人もいたし、ジューク全盛期から設置されているお店に出向いてメインテナンスをし続けていたプロのメカニックの人もいたので大丈夫でしたね。あと、パーツはアメリカから直接取り寄せて。僕が買ったのは今から22年前で、いまみたいにebayとかがある時代ではないから、やはり仲間内でまとめてアメリカのパーツ屋さんに通販でオーダーする。一度にオーダーしたほうが送料が安いですからね。
1960年代のジュークボックスが一番近未来的
――いわゆるジュークボックスと言うと、丸いドーム型の木箱に入ったものを想像しますが、一戸さん所有の2台はどちらかと言うと、エッジが利いたデザインですね。
一戸 みんながジュークボックスをイメージするドーム型のタイプは1940~1950年代までのもので、アメリカの主力機。よくジュークボックスと言うと、フィフティーズとかのリーゼントっぽい人が好むけれど、ああいうのが好きな人たちは、この辺の丸いドーム型が好きかもしれないですね。でも、僕はあまりこのタイプが好きじゃなくて、1960年代のクロムメッキのパーツが多くて、ビカビカしているデザインが自由なもののほうが好きなんです。
たぶんアメ車とかと同じだと思うんです。アメ車も1950年代までは、流線型のいかにもクラシックな感じだけど、1960年代に入ると、直線でクロムメッキパーツが増えていくでしょう。こっちのほうが僕は断然カッコ良いと思ってるんです。ジュークボックスもあえてなかに入っているレコードの動きがスケルトンで見える仕組みになっていたり、近未来的な感じなんですね。
だけど、 これが1970年代に入ると、ジュークボックスはまた、ただの箱のようになって、レコードの中身は見られなくなるんです。こうなるとまた面白くないんですね。だから、僕や仲間内で欲しいなと思うジュークボックスは1960年代のモデルにほぼ限定されるんです。
――何社くらいのメーカーがあったんですか?
一戸 代表的なのは、アメリカのワーリッツァー、アミ、シーバーグ、ロッコーラという4つ。それに日本製もビクターなどが作っていました。
アナログのシングルレコードのドーナツ盤は、ジュークボックスのために開発された規格だった!
――ジュークボックスの中に入れるレコードはすべてシングルですが、自由に入れ替えられるんですよね?
一戸 そうです。特に1960年代の音楽は、やっぱりこの時代の機械で聴くのが一番良いですね。いまみたいな良い音が鳴るわけではないんだけど、その時代の雰囲気が感じられますね、やっぱり。
ジュークボックスって、だいたい50枚とか100枚のレコードを収納できるんですけど、アメリカではジュークボックス用のセットが売られているんです。その時代のレコードをベストセットみたいな感じで買うことができる。しかも、単品のシングルでは手に入りにくい曲が入っていたりするから、その曲1枚を入れたいがために、やむを得ずセットで注文してみたり……。でも、アメリカから届いて箱を開けてみたら、目当てのレコードだけ何故か入っていなかったり(笑)。結構テキトーなんですけど、そういう苦労も楽しみながらですね。
あと、余談ですけど、アナログのシングルレコードのドーナツ盤って、あれはもともとジュークボックスのための規格だったんです。
ジュークボックスが日本で主に稼動したのは約30年!
――調べたところによると、日本でのジュークボックス市場は1948年に日本橋高島屋に初展示され、1953年に有楽町の外人バーに設置、1958年ごろのロカビリーブームで盛んになったようですね。
一戸 1960年初頭は数千台のみでしたが、1960年代後半から1970年代には、台数がうなぎ登りに伸びて、最盛期は7万台のジュークボックスが稼動していたようです。
――しかし、やがて、ジュークボックスは姿を消していくわけですが、この原因はなんだったのですか?
一戸 有線放送が始まったことと、あと、やっぱりカラオケですね(笑)。そりゃカラオケには叶わないですよね。
でもね、自分で所有してみると、すごい愛着が湧くものなんですよ。メッキの部分を磨いてレストアした記憶とか、タイトルカードを細かく書いて入れることとか。面倒くさいことではあるんですけど、そこも含めてジュークボックスの楽しさだと思っていますから。
――肝心の市場価格ですが、実際に手に入れたいと思ったら、今の相場はいくらくらいですか?
一戸 どうだろう……。ピンキリだとは思うけど、だいたい100万円くらいじゃないですかね。ちなみに僕のワーリッツァー社製2500は、沖縄から仕入れたあと、修理費用やパーツ代も含めると、100万円は遥かに越えています。高いものだけど、いまでも飽きず手放したくないし、ジュークボックスがずっと楽しいです。
その一番の理由はやはり「手間がかかる子ほどかわいい」という(笑)。やっぱり電話といったらダイヤルを何度もクルクル回したほうが楽しいっていう。僕がジュークボックスが好きなのは、電話機のダイヤルのほうがいまだに好きなのと同じことかもしれない(笑)。
ジュークボックスの稼動の様子を見てください。このつたない動き、どこまで柔らかい音は、確かに癒されます。
最後に一戸さんは「ジュークボックスで音楽を聴きながらお酒を飲むのがたまらなく好き」とおっしゃっていました。確かに、この音、この光、そしてつたないけど、愛らしいジュークの動き……一度ハマるとヤメられないかも。どこまでも奥が深いジュークボックスの世界、機会がありましたら皆さんも是非一度触れてみてはいかがでしょうか?
撮影/我妻慶一