「インスタ映え」していますか?
皆さんが肌で感じているとおり、ますます「発信力」が問われる時代になってきました。TwitterやInstagramなどのフォロワー数やいいね数によって、これまで曖昧だった「人間としての魅力」がハッキリと可視化されるからです。
2017年に話題になった『バッタを倒しにアフリカへ 』(前野ウルド浩太郎・著/光文社・刊)という新書本は、表紙デザインが「インスタ映え」を体現しています。お見事です。
バッタを模したコスプレでお気楽そうに見えますが、数年前までは廃業を覚悟していたそうです。人生崖っぷちのバッタ研究者を救ったのは……約2年間のアフリカ生活とインターネットを使った情報発信でした。
ポスドクの就活事情
博士になったからといって、自動的に給料はもらえない。新米博士たちを待ち受けるのは命懸けのイス取りゲームだった。
(中略)
一般に、博士号を取得した研究者は、就職が決まるまでポスドクと呼ばれる、一、二年程度の任期付きの研究職を転々としながら食いつないでいく。早い話が、ポスドクは博士版の派遣社員のようなものだ。(『バッタを倒しにアフリカへ』から引用)
前野ウルド浩太郎さんは、1980年生まれの農学博士です。秋田県出身。神戸大学大学院の博士課程を修了しています。専門は「昆虫学(サバクトビバッタ)」ですが、ほとんど屋内で実験していたので、野生のサバクトビバッタを見たことがありませんでした。
前野博士はポスドクとして研究を続けていましたが、再任用されなければ実験室を使えなくなります。ポスドクから正規職員になるためには業績が必要でした。
このさき屋内の実験室だけで得られるデータでは画期的な発見ができないと見切りをつけた前野博士は、サバクトビバッタが大量発生するというアフリカ大陸のモーリタニア共和国で、じっくり腰をすえて研究することを決断します。31歳のときでした。
フィールドワークの意義
世界のバッタ研究の情勢として、これまでのバッタに関する情報は実験室内で得られたものがほとんどで、野外でバッタを観察したものは極めて少ない。実験室で得られた知識が、必ずしも野外のバッタに当てはまるとは限らない。
(『バッタを倒しにアフリカへ』から引用)
バッタ研究者は野外で研究したがらない。昆虫学者といえばファーブルのような人物像をイメージしていたので、意外な現状です。
モーリタニアは、世界有数の「サバクトビバッタによる蝗害(こうがい)」に悩まされている地域でした。2003年に大発生したときには飛翔する数億匹以上のバッタが約500kmにわたり連なっていたそうです。現地では「神の罰」として恐れられています。つまり、野生のサバクトビバッタを観察・研究するにはうってつけの環境でした。
幸いなことに「日本学術振興会海外特別研究員(学振)」の審査に合格することができました。2年間が前野博士に与えられたタイムリミットです。このときから始めたブログ「砂漠のリアルムシキング」が、前野博士の運命にとって追い風になるのですが……。
バッタの生態について
サバクトビバッタには「孤独相」と「群生相」という2つの顔があります。孤独相は、群れないおとなしいバッタです。群生相は、いわゆる「神の罰」を引き起こすバッタです。
長年にわたって、孤独相と群生相はそれぞれ別種のバッタだと考えられてきた。その後1921年、ロシアの昆虫学者ウバロフ卿が、普段は孤独相のバッタが混み合うと群生相に変身することを突き止め、この現象は「相変異」と名付けられた。
(『バッタを倒しにアフリカへ』から引用)
いまでも、サバクトビバッタによる「相変異」のメカニズムは完全解明されていません。つまり、群生相に変異するのを防ぐことができればアフリカの人たちは救われます。それを解明するためにはフィールドワーク(野外調査)が欠かせないわけです。
『バッタを倒しにアフリカへ』では、「相変異」のナゾを明らかにするために、サバクトビバッタを追いかけて前野博士がモーリタニア全土を駆けめぐった日々を記録しています。ポスドクの境遇から抜け出すことができる業績を上げるため、前野博士はフィールドワーク主義者へと「相変異」を果たしました。
ウルドの秘密
モーリタニア共和国にやってきた前野博士を誰よりも歓迎したのは、現地研究所のババ所長でした。大ベテランの生物学者であり、サバクトビバッタ研究における第一人者です。
先述したとおり、多くのバッタ研究者は屋内にこもっています。モーリタニアで発生している「神の罰」を肉眼で見たことがないのです。辺境の地にやってきた31歳の前野博士は、ババ所長に「モーリタニアン・サムライだな!」と評価されます。
ババ所長のフルネームは「モハメッド・アブダライ・ウルド・ババ」といいます。つまり、「前野ウルド浩太郎」とは本名ではなく、ババ所長から受け継いだミドルネームなのです。
前野ウルド浩太郎博士による「バッタのフィールドワーク研究」は、ブログ「砂漠のリアルムシキング」を通じて、世界中の多くの人たちに伝わっていました。そのおかげで、業績をひっさげて帰国したあとには、ナショナルジオグラフィック誌の取材を受けたり、学術書の出版を依頼されたり、京都大学の昆虫生態学研究室に招かれるなどの活躍を重ねています。
『バッタを倒しにアフリカへ』表紙のエキセントリックなコスプレは、サバクトビバッタのように、ポスドクから正規職員へと「相変異」するための意気込みを感じます。ふざけているのではなく、バッタ研究者としての業績をたった1枚のビジュアルで見事に言い尽くしています。
【著書紹介】
バッタを倒しにアフリカへ
著者:前野ウルド浩太郎
出版社:光文社
バッタ被害を食い止めるため、バッタ博士は単身、モーリタニアへと旅立った。それが、修羅への道とも知らずに……。『孤独なバッタが群れるとき』の著者が贈る、カラー写真満載の科学冒険(就職)ノンフィクション!