朝4時:起床・仕事 → 5時:朝食 → 6時:仕事 → 6時半:朝の掃除 → 8時半:仕事 → 10時:昼食 → 11時 :仕事 → 14時:休憩 → 15時 :休憩終了後に引き続き仕事 → 16時半 :夕食 → 18時半 :仕事 → 21時:就寝
こんな過密スケジュール(しかも仕事ばっかり!)、一体、どこの働き者?と思ったら、なんと修行僧の一般的な1日のタイムスケジュールだそう。
お坊さん、とくに修行中の僧侶は、朝起きてから布団に入って眠るまで、事細かにやることが決められているとのこと。さぞかし辛い、そして面白みの無い毎日だろうと凡人は思ってしまうのだが、この「規則正しい生活」を送ることこそ、現代人にとって必要なことなのだとしたら……?
怠惰な生活にサヨナラしたい現代人
そもそも、現代人の生活は不規則・不健康極まりない。起床時間や就寝時間が毎日決まっている人は、はたして何人いるだろうか。朝遅くまで寝ているから朝食は抜き、通勤電車の中でうたた寝、ぼんやりした頭のまま職場へ、退屈な会議にまた欠伸、昼食も仕事の合間にあわててかきこむ、夜はお付き合いで居酒屋をハシゴ、終電間際に帰宅し、シャワーだけで済ませ、小腹が空いたからちょっとお菓子をつまみ、深夜ドラマを見ちゃったりして、やばいもうこんな時間!と布団へ。翌朝また寝坊。
少々極端ではあるが、こんな日々を送っている人は少なくないはず。なんとなく常に体がだるい、もっとシャキッとしたいのに。
そんな、今の生活を見直したい、リセットしたい、忙しい毎日から離れたい。そう望んでいる若者や女性たちに人気なのが、坐禅会や写経会体験だ。私自身も、独身時代に写経を体験したことが何度かある。お寺は、そこに居るだけで背筋がピンと伸び、神聖な気持ちになれる。日常とは異なる空間で、普段し慣れない正座をして、写経に勤しむ。最初は難しいが、だんだんと「無」になっていく自分。帰り、お寺を後にする頃には、なんだか新しい自分に生まれ変わったかのような、そんな気にすらなれる貴重な体験だった。
暴飲暴食、寝不足、体調不良、ストレス……プチ修行で改善できます
泰岳寺副住職である泰丘良玄さんによると、修行生活はなにもお寺でしか出来ないものではない、と著書「お坊さんの修行に学ぶていねいな生き方、暮らし方」の中で述べている。
「動中の工夫は静中の工夫に勝ること百千万億倍」
という禅の言葉がございます。
これは要するに、
「坐禅をして坐っているだけが修行ではない。お経を読んだり、作務と呼ばれる労働をすること、そして普段の生活の一挙手一投足すべてが修行である」
という禅の教えであります。
そしてこれは言いかえるならば、普段の私たちも、日常生活において十分に修行を実践することができ、そこから安心を得て、仏教の智慧を体感することができるわけです。(「お坊さんの修行に学ぶていねいな生き方、暮らし方」より引用)
つまり、私たちが普段送っている日常生活の中でも、十分にプチ修行は可能なのだと。
そうはいっても、難しいことばっかりでしょ?と訝しむあなた。本書の中で挙げられているプチ修行は「1日コース」、「3日コース」、「1週間コース」、「1ヶ月コース」の4種類。まずは「1日コース」からなら、今度のお休みにでもチャレンジできそうじゃない?
プチ修行は古き日本への回帰
例えば、プチ修行「1日コース」をみてみると、「テレビや携帯電話を見ないでみる」、「雑巾を使って掃除してみる」。そういえば、3人の子どもを持つ友人は、あるとき「ママ、携帯ばっかり見ててつまんない!」と言われてしまい、以来極力携帯は手にしない、見ないことにしたのだという。おかげで、子どもとのスキンシップも密になり、普段気付けなかった様々なことにも目が行き、とても充実した毎日だと語ってくれた。またある別の友人は、毎日掃除機後の拭き掃除を欠かさない。拭き掃除をしないとなんだか気持ちが悪いのだそうで、ピカピカになった床を見ると気分もスッキリ、一日を快適にスタートできるのだそう。
ちなみに「3日コース」なら、「出されたものは残さず綺麗に食べてみる」、「背筋を伸ばして生活してみる」。「1週間コース」なら、「間食をやめてみる」、「エアコンを使わない生活をしてみる」。「1ヶ月コース」に至っても、「玄関で靴を揃えてみる」、「家では裸足で生活をしてみる」、そして「規則正しい生活をしてみる」。どうだろう? これなら自分にも出来るかも、そう思えることばかりではないだろうか?
もちろんここに挙げたのは、最もチャレンジしやすいと思われる項目のみで、実際に紹介されているプチ修行の中には、お経を読んだり坐禅をしてみるというものもあるが、基本的には、いわゆる昔の日本人が営んできた日常の再現である。
なんとなく、自分を変えたい。プチリセットしたい。そんな人は、ぜひ泰丘さんの教えに習ってプチ修行にトライしてみよう。きっと、なんとなく探し求めていた「何か」を見つけられるはず。神聖なる「仏の道」の入り口も、少し見えちゃうかもしれない。
「一炷坐れば一炷の仏」
坐禅をしている間は、皆これ平等に仏様であります。
これからご紹介するプチ修行を実践しているあなたは、その時から間違いなく仏様となっているのです。(「お坊さんの修行に学ぶていねいな生き方、暮らし方」より引用)
(文・水谷 花楓)
【文献紹介】
お坊さんの修行に学ぶていねいな生き方、暮らし方
著者:泰丘良玄
出版社:ブックビヨンド
そもそも修行とは何のためにするのか知っていますか? これはまさしく、自分のため。自分自身に目を向けて、本来の自分を探す旅が、禅の修行なのです。一日で出来るものから一カ月じっくり取り組むものまで、あなたをみつめる禅ライフ、今日から始めましょう!