「夜に爪を切ってはいけない」と家族から注意されたことはないだろうか。なぜいけないのかと聞くと「親の死に目に会えないから」と説明される。でも、なぜ夜に爪を切ると、親の死に目に会えないのだろうか。
『知れば恐ろしい日本人の風習』(千葉公慈・著/河出書房新社・刊)によると、夜に爪を切ってはいけないという言い伝えには幾つもの説があるという。
日本書紀説
実は爪についての記述は、日本書紀からある。神々を騒がせたスサノオは、手足の爪を抜かれ、高天原から地上へと追放されたのだ。そこには「追放されたものは家の中に入れてもらえない」という記述もある。家に入れないのだから、親の死に目にも会えない。こうしたことから夜に爪を切ることがいましめられるようになった、というのがひとつめの説である。
戦国時代説
戦国時代は、夜には城の警護が必要だった。いわゆる夜勤であるが、そのことを当時「夜詰め」と言った。「夜詰め」と「夜爪」は、確かに語呂が近い。城の警備、特に城主が休んでいるあたりを守るのは、戦局を左右しかねない超重要な役目であるので、欠勤を許されなかった。そこから、夜爪(夜勤)は親の死に目にあえない、と言われるようになった、というのがふたつめの説である。
江戸時代説
江戸時代には、儒教の影響が多く見受けられるようになった。儒教には親を大切にせよという教えも多いことから「爪といえども親からの大切な授かりものだから、ろくろく照明器具もない暗闇で粗末に爪を扱うことは、親不孝」(本書より)という戒めが広まったのでは、というのがみっつめの説である。
私は個人的には日本書紀説がとても興味深かった。日本書紀にだけ「夜」という記述がない。
ところで、日本書紀による「夜」とはなんだろうか。それは「黄泉の国」を意味するのではないのだろうか。
黄泉の国と夜
「黄泉の国」は「夜見の国」とも書く死者の世界である。スサノオの姉・天照大神は太陽なのだから、正反対の世界、つまり夜、漆黒の異世界だ。ここからは私の空想だけれど、夜に爪を切るということは、夜見の国で爪を抜く、という刑とつながるのではないだろうか。そしてそのような目に遭うものは、異世界(人間界)へ追放されるのだと。
本によると、古代日本では、爪には魂が宿るとされたという。その人の爪を燃やして呪いをかけるなどということもあったようだ。爪や髪は伸び続けるので神聖視されていたというのは、なんとなく理解できる。昔の人たちがそこに何らかの気がこもっていると感じるのも当然かもしれない。
現代での爪切り
爪を切るという行為について、現代ではどうだろうか。夜であっても電気が点き、部屋は昼のように明るい。なので、夜に爪を切っている人は、昔よりもずっと多いはずである。特に私は働く母親なので、子どもたちの爪が伸びていることに気づくのは、夜だ。食事中や皆でくつろいでいる時などに、ふと目が行き「爪を切りなさい」と言ってしまう。
多忙な現代人は、平日の朝に爪を切ることがかなり難しい。ゆっくりと余裕を持ってグルーミングできるのは、どうしても夜や休日になってしまいがちだ。かつてよりもずっと明るくなった世界で、時に昼と夜をも逆転させる生活をするようにもなった日本人には、もしかしたら新たないましめや伝説が必要なのかもしれない。
現代においての恐ろしいことは夜に爪を切ることではなくなっている。ネットやモバイル機器を介して怖い目に遭う事例のほうがずっと多い。例えば歩きスマホをしていたら神隠しにあってしまった、ゲームをしていたらVR空間から出られなくなってしまった、など、現代の子どもたちの危険に親が警告できるような、そんな新しい言い伝えが今、求められているのかもしれない。
【著書紹介】
知れば恐ろしい日本人の風習
著者:千葉公慈
出版社:河出書房新社
日本人は何を恐れ、その恐怖といかに付き合ってきたのか?!しきたりや年中行事、わらべ唄や昔話……風習に秘められたミステリーを解き明かしながら、日本人のメンタリティーを読み解く書。