格差社会と言われるようになって久しい。その格差は次第に広がり、ついには「貧困」という言葉が使われるようになった。今や子どもの貧困率は13.9%である(2017年国民生活基礎調査より)。そのせいか児童文学にも貧困が登場するようになった。
子どものガマン
『ブルースマンと小学生』(こうだゆう子・作/学研プラス・刊)という児童小説は、とてもほろにがい。主人公の男の子は小学6年生で、塾にも行かず、少年野球にも入らず、エネルギーを持て余してコンビニで立ち読みをしている。両親はあまり家におらず、おやつはカップ麺だ。
外壁にひびが入り、室内の壁紙の裏にはカビが生えているような古い団地に住み、両親は毎日働いているというのに生活は一向に豊かにはならない。よって少年は塾にも少年野球にも通うことができない。その費用を親が出せないからだ。本当は少年野球をしたいのに、そんな金がないと言われ、ガマンせざるをえなかった気の毒なエピソードも出てくる。
子どものお金
私の息子も短期間入っていたけれど、スポーツ少年団は結構お金がかかる。まずバットやグローブなどの道具、それからスパイクに、お揃いのチームユニフォーム。このユニフォームが高かった。長袖と半袖合わせたら2万円以上したと思う。さらに外に皆で連れ立って試合で出かける時のスポーツ自転車も用意する必要がある。
塾は塾でさらにお金がかかる。入塾金、テキスト代、毎月の授業料、それとは別に夏期冬期春期講習の費用がかかる。あまり成績がよろしくないと個別授業をさらに追加で勧められたり、通学用塾バッグまで購入しなくてはならない塾もある。生活がギリギリの親ならかなり厳しい。
ブルース小学生
小学生からお金のことでつらい思いをしていたら、そりゃあ厭世観も出るだろう。主人公の男の子は不登校になり、公園で弾き語りをしていたお兄さんと知り合った。彼が歌っていたブルースの歌詞が気に入り、ライブにも行くようになる。小学生でブルースとは、なんて渋いんだろう。
少年は、この弾き語り青年には、なんでも話せた。家が貧しく、本当は野球をしたいのに金がないからすることができないなど、小学生にして人生のつらさをグチるほどにストレスフルになってしまっているのだからかわいそうである。するとお兄さんは、そんなことで夢をあきらめていいのか? と少年に鋭く問いかけてきた。
お金という関門
少年はその一言に刺激を受け、野球を続ける決意をする。そこからがまたグッとするのだけれど、経済的理由で少年野球には入れないから、一人ぼっちでランニングをスタートさせたのだ。あと半年で中学生になる。そしたら中学で野球部に入るのだ、と……。
ここで私は思わずツッコミみたくなった。最近の中学はいずれかの部活動に全員が属するよう指導しているところも多い。少年の学校もそうであったのなら、彼は迷わず野球部に属するのだろう。けれど、そこでも野球道具やユニフォーム代が必要となり、親に難色を示されるのではないだろうか。
夢はお金では買えない
でも、それは杞憂かもしれない。中学生なら新聞配達などでお金も稼げるはずだ。本当にやりたいこと、実現したい夢があれば、人間は真っ直ぐにそこに向かっていく。少年が出会った弾き語りの青年も、東京に行くためにアルバイトをして資金稼ぎをしていた。お金がなければ働けば、夢へのチケットが手に入ることも多い。
しかし、その逆は難しい。いくらお金があっても夢がなければ、張り合いのない人生が続くだけだ。夢は決してお金では買えない。自分で見つけるものなのだ。まずは夢を持つことだ。そうすればそのために何をするべきか、いくら必要かが見えてくる。人生の柱が見えてきた時こそ、生きているという実感が持てるはずだ。
しかしこうした主人公の物語をぜひ読んでもらいたい当の貧困家庭の子どもたちはこの1000円以上もする本を買ってはもらえない可能性がある。せめて図書室や図書館に入っていればと思うけれど、子どもたちへの図書の告知は繰り返し行っているのだろうか。こども食堂や無料塾など貧困家庭の支援は広がっている。もっと読書支援もあってほしいと個人的には考えている。
【著書紹介】
ブルースマンと小学生
著者:こうだゆうこ(作)、スカイエマ(絵)
発行:学研プラス
6年生で大の野球好きの鉄平は地域の少年野球チームに入ろうとするが、母親にお金がないと断られる。やけになった鉄平は、公園で赤い髪のギター弾きの兄ちゃんと出会う。東京で歌手になるという兄ちゃんの夢を聞いて、鉄平ももう一度野球を目標に立ち上がる。